フランス中世は987年のパリ伯ユーグ=カペーHUGUE CAPETによるカペー朝樹立に始まり、1447年に終わるとされる。
ローマ軍の征服により圧倒的な優位の下、共通語をラテン語化されたゴール地方(現在のフランスの地域)ではあったが、ラテン語に語彙や格変化・活用体系の変質が生じた。さらに民衆の間ではさらに著しく変化した。フランス語最古の文献は、民衆語で書かれた、「ストラスブールの誓約」Serments de Strasbourg(842)である。とはいえ、それはまだまだラテン語に近いものであった。フランス語最古の文学作品はキリスト教の教化文学である「聖アレクシウス伝」(1040)である。
そして11世紀末から12世紀半ばにかけて、、武勲詩chanson de gesteが生まれた。武勲詩は、殆ど作者不明である80篇の口誦叙事詩群の総称であり、その代表は現存最古(11世紀末成立)の武勲詩でもある「ロランの歌」chanson de Rolandである。武勲詩は8-9世紀のカロリング朝王侯の武勲を描いているものの、初期十字軍の高揚を背景に、封建戦士精神とキリスト教倫理が結びついた共同体意識が投影されている。
ところで当時のフランス語は、北仏のオイル語langue d'oilと南仏のオック語langue d'ocに分かれていた。オイル語は13世紀までの上代フランス語とそれ以降から16世紀までの中代フランス語を経て、後の現代フランス語に通じる。しかしまずオック語圏においてトルバドゥールtroubadourという詩人兼作曲家が、余情詩の世界を切り開いた。
「女性を男性と対等以上にみなし、恋愛を狂気ではなく精神の飛翔の契機とみなす考え方」をトルバドゥールは生んだ。最古のトルバドゥールはギヨーム9世GUILLAUME\(1127没)である。最高のトルバドゥールは12世紀末に活躍したベルナール=ド=ヴァンタドゥールBERNARD DE VENTADOURといわれている。この文化は12世紀後半には北仏にもたらされ、トルヴェールtrouvereといわれる者達によって継承されたが、彼らの歌う愛には肉体への賛美・欲望の表現がみられなくなった。トルヴェールではクーシー城代CHANTE-LAIN DE COUCY(1203没)の名が挙げられる。一方で「町民の世紀」である13世紀にはリュトブフRUTEBEUFが「生活上の不幸」をテーマにした詩人として活躍した。
12世紀には宮廷風騎士道物語roman courtoisが諸侯や騎士の間で流行した。その代表としてまず挙げられるのは「トリスタンとイズー」Tristan et Iseutである。12世紀に物語として成立したとみられるが原本は残されていない。原本に近い粗削りな「流布本」と宮廷風恋愛の観点から伝説を捉えた「騎士道本」の2つの系統があり、前者はベルールBEROULの「トリスタン物語」Roman de Tristan(1170頃)、後者はトマの「トリスタン物語」(1170-75頃)が代表的である。同じ頃にクレティヤン=ド=トロワCHRETIEN DE TROYES(生没年不詳)はまず「ランスロ、または荷車の騎士」Lancelot ou le chevalier a la charette(1177-80頃)を、次に「ペルスヴァル、または聖杯物語」Perceval ou le conte de Graal(1181-90頃)を執筆した。2つは未完に終わるがPercevalは特に大きな影響力をもち、他の作者によって「聖杯物語群」Cycle du Graalと呼ばれる同系列の物語を生み出されることになる。
商業の発達と都市の発展により社会的勢力を伸ばした新興町民階級層の気質と合致して、12世紀末から14世紀初頭にかけて「ファブリオ」fabliauと呼ばれる作品群や「狐物語」Roman de Renartといった笑いの文学も人気を博した。 そして教化的側面を持つ中世文学の集大成として、「バラ物語」Roman de la Roseが生まれた。ギヨーム=ド=ロリスGUILLAUME DE LORRIS(生没年不詳)の執筆した(1225-40)この作品は未完に終わった。ジャン=ド=マンJEAN DE MEUNG(1240-1305頃)は物語の枠組みだけを受け継ぎ、内容はロリスのものとは決定的に異なる後篇をつくりあげた(1275-80)。
14、15世紀には、百年戦争・内乱・疾病(ペストなど)の災禍によって民衆には文学に自らを反映する力はなく、メネストレルmenestrel(聴衆の前で作品を披露する宮廷芸人)が文学の重要な担い手となり、彼らは宮廷の趣味に合わせた作品のみを手がけるようになった。詩法・作曲法が複雑になり、ギヨーム=ド=マショーGUILLAUME DE MACHAUT(1303-1377頃)以後、詩人と作曲家は、さらに詩と音楽は分離することになる。 ヴィヨンFRANCOIS VILLON(1432-1464頃)は伝統的詩型において独自の語彙・隠喩・統辞法を駆使し活躍、「遺言詩集」Testament(1461頃)を残した。
宗教的儀式から出発した中世演劇は12世紀の準典礼劇・13世紀の受難劇を経て、15世紀に聖史劇が栄えたが、次第に聖俗の入り混じった聖史劇は1648年に禁止されることになる。15世紀には喜劇も栄えた。