20世紀の2度の世界大戦においてフランスは戦場となった。このことは人々の思想に大きな影響を与え、フランス文学は大戦を区切りとして大きく3つの時期に分けられる。すなわち、(1)「ベル=エポック」の時代、(2)第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、(3)第二次世界大戦前後以降、である。
20世紀初頭のフランス社会はベル=エポックbelle epoqueの楽観的雰囲気に包まれていた。第一次世界大戦はベル=エポック最後の熱狂の下、1914年に始まったが、人類史上かつてない惨禍をもたらし、大戦後の文学状況を大きく覆すことになる。
第一次世界大戦前のフランス文壇は、「大御所たち」によって支配されていた。A.フランスAnatole FRANCE(1844-1924)、バレスMaurice BARRES(1862-1923)、ブールジェPaul BOURGET(1852-1935)ロチPierre LOTI(1850-1923)らである。
劇壇では、ロスタンEdmond ROSTAND(1868-1918)がロマン派的な韻文喜劇「シラノ=ド=ベルジュラック」Cyrano de Bergerac(1897)で人気をさらった。
クローデルPaul CLAUDEL(1868-1955)はカトリック教徒の詩人として「クローデル律」と呼ばれる詩型を編み出し、「近代の主体と客体との二律背反を超克したところに成立つ『共・生』という認識論」を主張した。一方で劇作家としても彼は近代の常識に反抗し、人間と人間を越えるものとの劇を生みだすため、ギリシア悲劇の原点に返ろうとするが、受け入れられなかった。彼の「繻子の靴」Le Soulier de satin(1929刊)が上演され、一時代を築くようになるのは1943年になってからである。
詩では、19世紀末の象徴主義運動は長続きせず、19世紀末からすでに詩人たちが象徴主義から脱しようとしていた。
ペギーCharles PEGUY(1873-1914)は「唯物論と政治の党派性に毒された近代を批判し中世のキリスト教的精神共同体のなかに霊的な人間の救済を求めた」カトリック詩人であった。また彼は1900年に「半月手帖」Cahier de la Quinzaineを創刊し、ロランRomain ROLLAND(1866-1944)の大河小説roman-fleuve、「ジャン=クリストフ」Jean-Christophe,(1904-1912)を掲載するなど、20世紀冒頭の文学・思想の業績を残している。
ヴァレリーPaul VALERY(1871-1945)は、「知性を唯一の頼りにする純粋精神」を求めて「知性の劇」comedie intellectuelleである散文「レオナルド=ダ=ビンチ方法序説」L'introduction a la methode de Leonard de Vinci(1895)、「テスト氏との一夜」La Soiree avec Monsieur Teste(1896)を発表し、一方で20年間の沈黙の後、マラルメの後継詩人として「若きパルク」La Jeune Parque(1917)を発表した。彼はまた、第一次世界大戦後の混乱の中で、ヨーロッパ文明の危機と、ヨーロッパ文明の根底を成す精神の限界を洞察し、文明論「精神の危機」La Crise de l'esprit(1919)を生んだ。
1914年以前の文学は、前世紀の「生き残りの文学」であったともいえるが、その中でも新しい動きが芽生えはじめている。1909年の「N.R.F.」(La Nouvelle Revue Francaise「新フランス評論」)の創刊である。「N.R.F.」はジードの影響下の下、「フランスおよびヨーロッパの伝統的価値体系の再検討を目ざし、より直接的には既成の文壇文学に対する批判を明確に打ち出しながら、特定の思想傾向に偏することなく、数多くの若い詩人や作家を糾合した」。この雑誌の協力者たちには、小説「ル=グラン=モーヌ」Le Grande Meaulnes(1913)のアラン=フルニエALAIN-FOURNIER(1886-1914)、編集長にもなったリヴィエールJacques RIVIERE(1886-1925)、「ヌーヴォー=ロマン」の先駆者の一人ラルボーValery LARBAUD(1881-1957)がいる。
「N.R.F」創刊に影響を与えた小説家ジードAndre GIDE(1869-1951)は自らの作品を「レシ」recitと「ソチ」sotieの2つに分類している。「狭き門」La porte etroite(1909)も属する「レシ」では、純化された直線的な物語において、主人公たちがそれぞれに作者の分身であるにもかかわらず、さまざまな倫理的・背徳的態度を一定の距離を置いて語っている。「ソチ」は戯画の手法を用いた告発である。一方で「伝統や因習のかげにかくされた疑問や問いかけを、ジードは執拗に目ざめさせ続け」、「贋金使い」Les Faux-Mon-nayeurs (1926)において「伝統的小説概念を打ち破った」。この作品は「小説の小説」「純粋小説」の試みであり、「ヌーヴォー=ロマン」の先駆とも言える。
プルーストMarcel PROUST(1871-1922)は「失われた時を求めて」A la recherche du temps perdu (1913-1927)で小説に革新をもたらした。彼は人間の意識の深層と進入しながら、時の流れを越えて持続する本来の姿の自己、それをつかんだ時の歓喜を不滅のものとして定着させるという芸術家の使命を示した。そして、「外界の描写にしろ、人間心理の分析にしろ、小説がそれまで依拠してきた素朴な認識論は、プルーストの大作とともに崩潰」した。もはや「小説的虚構の世界は現実の詩的なヴィジョンにすぎず、バルザックの小説のごとき確固たる輪郭と基盤はもはや失われたのである。作家はこれ以後自からの足場を確かめずには一歩も踏み出すことはできなく」なった。
プルーストに大きな影響を与えたのは哲学者ベルクソンHenri BERGSON(1859-1941)である。彼は科学的方法の根底を成す「分析」に対して「直観」intuitionの重要性を説き、「時間」に対して、絶えず記憶に裏打ちされ限りなく質的に多様な「持続」dureeこそ生の実相であることを示した。この持続にある自己を人間が捉えきるには、意識の深層にあって形成途上の自我を探求する必要があり、プルーストはこれを実践したのである。ベルクソン哲学はペギーなどにも影響を与え、反知性主義の傾向を生み出した。
第一次世界大戦直後の1920年代は、戦争から解放された人々が享楽に耽ったことから「狂った年々」les annees folles と呼ばれる。第一次世界大戦という人類未曾有の体験は、多くの戦争文学を生むが、社会が平和を取り戻すにつれその表現は陳腐となった。こうしてジードやプルーストらによって小説という形式が見直されるが、彼らによる、形式面での小説の純化には読者の興味をひかなくなる危険が伴っていため、小説は読者大衆の好みにひきづられる傾向が強まった。一方で既成秩序の否定を唱えるダダイスムやシュールレアリスムの運動が文学界を席捲した。
「現代派」Modernismeの詩人アポリネールGuillaume APOLLINAIRE(1880-1918)は、一切の句読点を排除した詩集「アルコール」Alcools(1913)や詩集「カリグラム」Calligrammes(1918)でシュールレアリスムの先駆者となった。また、当時の最も革新的な絵画を擁護した「立体派の画家たち」Les Peintres cubistes(1913)は新しい画家たちの経典として読まれることとなる。彼はシュールレアリスムの宣言者ブルトンや、ヌーヴォー=ロマンの代表的存在ロブ=グリエなどに影響を与え、その現代性がさかんに指摘されている。
ルーマニアの詩人ツァラTristan TZARA(1896-1963)を中心に、第一次世界大戦中の1916年、中立国スイスのチューリヒで起こったダダイスムdadaismeはドイツ各地に波及し、パリの詩人たちを刺激し、シュールレアリスムの登場を準備した。
シュールレアリスムsurrealismeは、1924年に発表されたブルトンAndre BRETON(1896-1966)の「シュールレアリスム宣言」Les Manifestes du Surrealisme(第一宣言)と、同年12月に創刊された「シュールレアリスム革命」Le Revolution surrealiste誌によって出発した。彼は「第一宣言」で、シュールレアリスムは「心の純粋な自働現象である」と定義し、その反論理・反理性の指向を「自動記述法」ecriture automatiqueという無意識的な方法で開拓した。1930年頃まで理論闘争の時代であったシュ−ルレアリスムも、1930年代には政治問題がからみ、共産党へ走るなど、動乱期に入った。
シュ−ルレアリスムは文学運動に留まらず思想となり、美術などにも刺激を与えて国際的に普及した。またシュールレアリスムには、埋もれていたサド、ネルヴァル、ロートレアモンを発見した功績もある。シュールレアリスムは第二次世界大戦以後再評価され、フランスの戦後詩人にわたって影響した。シュールレアリスムの作品として、ブルトンの小説「ナジャ」Nadja(1928)や詩集「自由な結合」L'Union libre(1931)、アラゴンLouis ARAGON(1897-1982)の「パリの田舎者」Le Paysan de Paris(1926)などがある。
30年代には多くの作家が大河小説roman-fleuve(あるいは、円環小説roman-cycle)に取り組んだ。大河小説は、「人間喜劇」や「ルゴン=マッカール」に対抗して、単なる個人史の段階を越えて、集団や時代、更には人類全体を視野におさめた歴史を描き、激動と混迷の只中にある社会に作家の立場から指針を示そうとする、野心的な試みである。この時期の大河小説の代表作に、マルタン=デュ=ガールRoger MARTIN DU GARDの「チボー家の人びと」Les Thibault(1922-1940)がある。
30年代は経済恐慌やファシズムの台頭により、にわかに不安の色を帯びる時代である。読者の現実への関心が高まり、時代の革新を求めて行動する人間の精神的基盤が真剣に要求されるようになる。こうして小説の焦点は再び審美的技術的問題から、倫理的実存的問題へ移行、「西洋世界の没落」の危機感から、作家たちは自らの行動の中に新境地を求め、共産主義やナチズムに走ってまでして閉塞状態の打開を目指した。
マルローAndre MALRAUX(1901-1976)は「人間の条件」La Condition Humaine(1933)で、人間の死という不条理の意識と苦悩以上に、人間の尊厳を連帯性のなかで語り、「個々の死を超えて生きる人間の文明への信頼への道筋」を示した。
サン=テグジュペリAntoine de SAINT-EXUPERY(1900-1944)は「夜間飛行」Vol de Nuit(1931)などにおいて、飛行機という新しい輸送手段を小説でとり上げ、航空文学の先駆けとして大きな反響を呼んだ。彼の大人向け童話「星の王子さま」Le Petit Prince(1943)は、現在日本で最も親しまれているフランス文学作品であろう。この作品では、第二次世界大戦を経験して、社会において連帯と生きがいを失った人間に対する愛情と絶望が交錯している。
前世紀の物質主義や科学の進歩に基づく楽観主義への反省から、20世紀に入ると精神や形而上的なものへの回帰の傾向が生まれ、宗教・カトリシスムへの関心が高まっていた。例えばペギーやクローデルといった作家たちである。そして、モーリヤック、ベルナノス、グリーンといった作家たちが、魂と肉体、善と悪といったような歴史を越える永遠の問題を改めて問い直そうとし、彼らの意識はこの時期に作品に結実した。
モーリヤックFrancois MAURIAC(1885-1970)は「テレーズ=デスケイルー」Therese Desqueyroux(1927)などで、「フランス文学にある明晰と秩序の枠を守りながらも、『生きた人間の非論理、未解決、複雑性』を描こうとつとめた。ベルナノスGeorge BERNANOS(1888-1948)は「田舎司祭の日記」Journal d'un cure de campagne(1936)などの作品において、無垢と聖性を隠し持つ幼年期の絶対性を生の原理とし、また、キリストの十字架上の聖なる苦悩の「まねび」ともいえる苦悩を描いた。グリーン(1900-????)は暗示的な宗教的主題とともに悪の無意識の深淵を描き、逆説的に恩寵を暗示してみせた。「真夜中」Minuit(1936)は彼の文学の典型を示している。
一方で「人間の存在と世界との関わりを『不条理』と見て、それを根源的に問い直す文学や、美学的関心に閉じこもりがちな作家の世界から出、また、西欧中心の文明を批判する態度をもち、行動によって人間と世界とのかかわりを問い直す文学が出てきた」。前述のマルロー、そしてセリーヌの文学である。セリーヌLouis-Ferdinand CELINE(1894-1961)は「夜の果ての旅」Le Voyage au bout de la nuitで俗語・隠語を駆使し、強烈で残酷な文体を通して生を死と不条理の観点から描いた。こうして彼は実存文学の先駆的な役割を果たした。
第一次世界大戦による劇場封鎖を経て演劇は生まれ変わった。ヨーロッパ各地の革新に呼応して、演劇は開花期を迎えた。コポーJacques COPEAU(1879-1949)は演劇を商業主義や文学偏重から守ろうとし、アルトーAntonin ARTAUD(1896-1948)は既成の演劇観を破壊して、演劇の本来の活力を取り戻そうとした。また、詩人コクトーJean COCTEAU(1889-1963)や小説家ジロドゥー(1882-1944)らが劇壇に新風を吹き込んだ。ジロドゥーは「トロイ戦争は起こらない」La guerre de Troie n'aura pas lieu(1935)、「オンディーヌ」Ondine(1939)などで、「卑俗な日常性の重圧から、演劇を解放しようと試みた」。
ファシズムの台頭とそれが引き起こした第二次世界大戦は社会構造を激変させ、死や飢餓を生み、ユダヤ人の大量虐殺を生んで、生の価値体系を崩してしまった。また、科学の発展が人類に幸福をもたらすどころか、破滅をもたらしかねないという価値観の逆転が起こった。そして、そのことが、「人間存在とは何か、それを作り出す社会とは何か、という問い」をあらためて生んだ。「ドイツ現象学による存在と事物への問い直しや、精神分析の、無意識の世界への探求」も加わって、文学の主題は美学的関心よりも、時代に生きる人間の不安や苦悩と、その悲劇的認識になった。その先駆者セリーヌ、マルロー、サン=テグジュペリらから「不条理」absurditeに向かって闘う行動を志向する動きが生まれ、サルトルやカミュら実存主義の文学が登場した。それは必然的に、時代に生きる人間の証言と状況に対する「参加の文学」engagementとなったのであった。
サルトルJean-Paul SARTRE(1905-1980)は小説「嘔吐」La Nausee(1938)で「暗く沈うつなイメージで人間や世界の存在の様相を描き、また町の偽善的なブルジョワ階級の空洞化した生をとらえ」、「そして事実としての存在の形を認識し、それを脱自的にのがれ、自己がこの世における『余分なもの』であるとの認識から、さらに実存する意識の誕生と表現への架橋を物語った」。また、実存主義哲学書「存在と無」L'Etre et le Neant(1943)は、哲学史上に残る著作となった。他にも、戯曲「蝿」Les Mouches(1943)、作家ジュネJean GENET(1910-1986)の紹介「聖ジュネ、役者にして殉教者」Saint Genet,comedien et martyr(1952)など、サルトルは多彩な活躍を見せた。
カミュAlbert CAMUS(1913-1960)は小説「異邦人」L'Etranger(1942)で、世界が「不条理」に満ちていること、人間は死刑囚であるがサルトルのように「超越性」は求めず地上に生きていくことを語り、習慣的な概念に覆われた現実を根底から問い直した。同年の哲学的エッセー「シーシュポスの神話」Le Mythe de Sisyphe(1942)は「異邦人」の注釈ともいうべき作品である。さらに小説の大作「ペスト」La Peste(1947)では、「異邦人」では孤独であった人間の「不条理」に対する闘いを連帯性によって強め、不屈の反抗と神の沈黙の克服を語った。カミュの文学の中心には、「生を感覚的肯定して、永遠を持たぬ人間の地上の生を明晰に見つめることと、他方における「神なき聖性」があった。
第二次世界大戦後10年で「参加の文学」の無力が露呈されると実存主義文学の流行も急速に終息し、「転換」が起こった。
それはバタイユGeorge BATAILLE(1897-1962)、ブランショMaurice BLANCHOT(1907-)、ベケットSamuel BECKETT(1906-1989)を経由して「ヌーヴォー=ロマン」nouveau romanへと続く。「ヌーヴォー=ロマン」は一派を成すものではなく、共通して見られる一つの傾向の便宜的な呼び名であるといえる。ヌーヴォー=ロマンの特徴として、「登場人物達への全知の視点」、「興奮を呼び起こすような場面」、「人物像の統一性・一貫性」、「心理的因果関係」、「筋立て・起承転結」、これらの否定がある。
ヌーヴォー=ロマンの代表者と見られるのはロブ=グリエAlain ROBBE-GRILLET(1922-)である。彼の作品には、「ヌーヴォー=ロマン」の立場からの論争的文章を集めた評論集「新しい小説のために」Pour un nouveau roman(1963)や、小説「嫉妬」La Jalousie(1957)などがある。