18世紀は「光明の世紀」siecle de lumieresである。これを担った哲学者Philosopheはまず科学の探求者であり、宗教による束縛から脱して一切を理性の立場から批判しようとした。そして彼らは感情や本能を重視し「感じやすい人間」homme sensibleを自任した。この合理主義と感性の称揚は互いに補完しあいながら18世紀を貫く2つの側面を形作っていた。
モンテスキューCharles-Louis de Secondat,baron de La Brede et de MONTESQUIEU(1689−1755)は、1721年に「ペルシア人の手紙」Lettres persanesを発表した。これはペルシア人の視点からパリ・フランス・ヨーロッパを相対化して描いた書簡体思想小説で、書簡体小説隆盛のきっかけとなった。そして「法の精神」De l'Esprit des lois(1748)において、神によって作られた人間や人間の本質から法を説明することなく、宗教を含むあらゆる人間社会の現象を事実として認め、それと法の関係を体系化した。ここで述べられた三権分立の原理は、後にアメリカ合衆国憲法や大革命後のフランス憲法に取り入れられることになる。
ヴォルテールVOLTAIRE(1694−1778)は、イギリスへの亡命生活の間の経験をもとに「哲学書簡」Lettres philosophique(1734)を執筆しフランスの国情を風刺した。またコントconte作家としての彼の傑作「カンディード」Candide ou l'optimisme(1759)は、人間の夢や理想が現実によって傷つき、破れながら、最後に一つの知恵を得る過程を描いた思想小説である。彼はプロイセンの開明専制君主despot eclaire(哲学を統治に不可欠な知恵とみなす君主)、国王フリードリヒ2世とも親交を持ったが、結局権力者の本音と建前を持つフリードリヒ2世とは物別れに終わった。
ルソーJean-Jacques ROUSSEAU(1712-1778)は「人間不平等起源論」Discours sur l'origine et les fondements de l'inegalite parmi les hommes(1755)で作家としての名声を確立した。思想小説でもある恋愛小説「ジュリーあるいは新エロイーズ」Julie ou Nouvelle Heloise(1761)は後のロマン主義Le Romantisme文学にも大きな影響を与えた。また彼が「社会契約論」Du Contrat social(1662)で説いた理想国家形成の理論は人民主権の最初の主張である。「エミール」Emile ou de l'education(1662)では知育偏重の教育に反対して、「自然」や「事物」による教育・子どもの自発性の尊重・経験による教育を主張し、近代教育思想の礎を築いた。これはヨーロッパの教育観に一大転機をもたらした。自伝「告白」Les Confession(1770)では、社会との対決の中で孤立感にさいなまれる自我の内面生活を赤裸々に語り、それが文学の素材となることを実証して、ロマン主義への道を開いた。
ディドロDenis DIDEROT(1713-1784)はダランベールJean Le Rond d'ALEMBERT(1717-1783)と共に百科全書の編集を担当した。「百科全書、あるいは諸科学・技術・工芸の合理的事典」Encyclopedie,ou Dictionnaire raisonne des sciences,des arts et des metiers(1751-1772)の刊行は批判的・体系的な思想運動であり、時代の要請に応え科学技術を重視したという点で画期的なものであった。百科全書執筆にはモンテスキュー・ヴォルテール・ルソーなど当代の有力な知識人が結集したが数々の弾圧を受け、ダランベールが編集から手を引きルソーが絶縁するなどの危機を経て辛くも完成した。彼には「ラモーの甥」Le Neveu de Rameau(1662)という対話体思想小説があり、その他の小説作品についても近年再評価されている。
18世紀後半から末期の作家たちを見てみよう。レチフ=ド=ラ=ブルトンヌRETIF DE LA BRETONNE(1734−1806)は、書簡体小説「堕落百姓」Le Paysan perverti(1775)でノスタルジーとしての田園と都会の習俗の鋭い対比を背景に、一青年の栄達と挫折を描いた。
サドDonatien-Alphonse-Francois,Marquis de SADE(1740−1814)は入獄脱獄釈放を繰り返し結局30年を獄中で過ごした結果、獄中で培った想像力を作品に結実させた。「悪徳の栄え」Histoire de Juliette ou les Prosperites du Vice(1797)などの作品において、百科全書派の無神論・唯物論を徹底させ、神の存在と「自然=善」の考え方を攻撃し破壊した。
ラクロPierre-Ambroise-Francois Choderlos de LACLOS(1741−1803)はクレビヨン=フィスClaude-Prosper Jolyot de CREBILLION(1707−1777)の心理小説を受け継ぎ後のスタンダールに繋がる小説「危険な関係」Les Liaison dangereuses(1782)を発表し、センセーションを巻き起こした。
喜劇作家はそれぞれ独自の方法で前世紀を乗り越えようとした。マリヴォーPierre Carles de Chamblain de MARIVAUX(1688−1763)は「愛と偶然の戯れ」Le Jeu de l'Amour et du Hasard(1730)などの恋愛喜劇で有名である。ボーマルシェPierre-Augustin Caron de BEAUMARCHAIS(1732−1799)は喜劇「フィガロの結婚」la Folle Journee ou le Mariage de Figaro(1780)で、日常生活を演劇の主題にした「ドラマ」drameを結実させた。
詩ではシュニエAndre CHENIER(1762−1794)らにより新たな言語表現を試みられ、19世紀ロマン派の道が切り開かれた。
18世紀のフランス語はヨーロッパの普遍言語の地位を得た。リヴァロルAntoine de RIVAROL(1753−1801)が「フランス語の普遍性について」Discours sur l'universalite de la langue francaise(1784)で述べた「明晰ならざるものはフランス語にあらず」Ce qui n'est pas clair n'est pas francaisの文句は有名である。
1789年7月14日に始まった大革命は旧制度を破壊し、新しい時間と空間を生み出した。民衆の台頭は不特定の大衆をも文学の対象にし始め、文学はその観念を拡大した。18世紀末には既に多くの定期刊行物があったが、革命期の議会の議事を伝え批評する新聞は、フランスの近代ジャーナリズムを生成した。