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| Le temps des cerises Les paroles de Jean-Baptiste Clément (et la musique de A.Renard ?) | |
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1er couplet
Quand nous chanterons le temps des cerises 2
Mais il est bien court le temps des cerises 3
Quand vous en serez au temps des cerises 4
J'aimerai toujours le temps des cerises |
第1節
私たちがさくらんぼの実る頃を歌う時 2
でもさくらんぼの実る頃は短いのです 3
あなたがさくらんぼの実る頃にある時 4
私はずっとさくらんぼの実る頃を愛するでしょう |
『さくらんぼの実る頃』は日本でもよく知られたシャンソンの一つです。加藤登紀子が宮崎駿の映画『紅の豚』の主題歌として歌っていたので、ご存知の方も多いことでしょう。
この歌はジャン=バティスト・クレマンが1866年に作り、1868年に出版されたものです。(曲は後からA.Renardが付けたのか?その辺は調査不足。)歌詞を読めば分かるように、これは恋の歌です。しかし、10年後、人々が政治的な意味をこの歌に与えて歌うようになっているとはクレマンは知るよしもありませんでした。
クレマンがこの歌を作った当時、フランスはナポレオン3世による第二帝政の時代でした。1870年、フランスは隣国のプロイセンと戦争を始め、その途中ナポレオン3世はセダンで捕虜となり失脚します。第二帝政は崩壊し、ティエールとガンベッタらが国防政府を作って抗戦しますが、1871年1月、ドイツ帝国軍に首都パリを包囲されるに至って、戦争に敗北。ティエールらは臨時政府を作ってドイツと講和条約を結び、パリ国民軍には武装解除を命令します。しかし、国民軍・労働者・市民たちは3月、自治政府パリ=コミューンを作り、臨時政府からの自立を宣言、社会主義政策を行い始めます。これは史上初の労働者による政権でした。ドイツと結びついた臨時政府は13万の軍隊でパリを包囲し、パリ=コミューンと激しい市街戦を繰り広げます。クレマンもバリケードを作るのに参加したといいます。そして5月、パリ=コミューンは臨時政府軍によってわずか2ヶ月で鎮圧され崩壊しました。
5月といえば、さくらんぼの実る頃です。そして、パリ=コミューンの崩壊した頃でもあります。人々は、『さくらんぼの実る頃』に歌われた「恋の痛み」を「パリ=コミューンを鎮圧された痛み」に読み替え、短い恋の季節ならぬ「短いパリ=コミューンの季節」を偲び、現政府を批判するためにこの歌を歌うようになりました。第三共和政政府に不満を持つ市民たちが集って『さくらんぼの実る頃』−彼らの心の内では、それは『パリ=コミューンの頃』なのですが−を歌います。そして警察が「貴様ら、何をやっておるか!」とやって来れば、「いや、私たちは恋の歌を歌って騒いでいただけですよ」と逃げたのです。
1875年ごろ、この歌はさかんに歌われたといいます。パリ=コミューン崩壊後、ロンドンで亡命生活を送っていたクレマンは、10年経ってパリに戻って来るまで、自分の作った歌が「パリ=コミューンの歌」になっていることを知りませんでした。