janvier 19, 2008

2007年山陽の旅 尾道編(3)

2007年9月22日。
旅の最終日。


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尾道駅前あたりから千光寺山の方を見ると、天守閣風の建物が嫌でも目に付く。
「ビュウホテルセイザン」の玄関を出てすぐ左手で、それを間近で見ることができた。

建物の入口に掲げられた看板には「全国城の博物館 尾道城」と書かれている。
観光開発に地元の業者が建てたものの、経営不振により閉鎖され、潰す金もなく放置された結果廃墟化しているということらしい。
髷を結った衛兵の蝋人形もそのままで不気味。
夜中に気づかなくてよかった。

宿と尾道城の間の石段を下りていけば土堂小学校の西側を通って駅前商店街まで出られるのだけど、あいにく荷物がいっぱい入ったスーツケースを持つ身なので、再び稜線伝いに歩いてロープウェイの山頂駅を目指す。

千光寺山の頂上付近は「千光寺公園」として整備されていて市立美術館がある。
「千光寺山グリーンランド」という遊園地もあったのだけど2007年7月に閉鎖されてしまった。
公園の休憩所からその中を覗いてみると、遊具などはまだ撤去されておらず電源を入れればすぐに動き出しそうな感じだ。
それにしてもこの遊園地が閉鎖ってことになると、近辺の住民はどこに遊びに行くのだろう。
鷲羽山ハイランドは中途半端に遠い。
バスや新幹線に乗って一気に USJ や TDL まで行ってしまうのかな。
そういや呉ポートピアランドも潰れてたし、大阪でも宝塚ファミリーランドやフェスティバルゲートは潰れるしエキスポランドもみさき公園も半分潰れてるし、遊園地業界は寒いなあ。
訂正:みさき公園は大阪民鉄の遊園地として今なお健在です。謹んで訂正いたします。

千光寺山ロープウェイに乗り千光寺を望む。
真ん中に何か由緒のある巨石があるけど何だったか忘れた。
艮神社の社殿と巨石と山頂が一直線上(ロープウェイが補助線になってくれてる)にあるのは偶然じゃないと思う。

ちょっと下ると、『転校生』の冒頭っぽいような……。

ロープウェイを下りてからは尾道駅まで向かい、再び駅のコインロッカーに荷物を預ける。
前日に十分歩いたし、この日は前日に訪問し損ねたスポットを拾っていくように行動する予定だったので、自転車を借りることにした。

フェリーターミナルの建物の西側にある立体駐車場の一角が、レンタサイクルの営業所になっている。
しまなみ海道経由で瀬戸内海を渡って四国まで自転車で行くというのを観光促進の一環にしているせいか、自転車の台数がとても多いので品切れの心配はない。
1台につき、保証金1000円(自転車の返却と引き換えに返してもらえる)、貸し賃500円。
さすがに文明の利器は便利なもので、前日訪れた「ガウディハウス」のたもとまでスイスイと到着。
「ガウディハウス」のところからさらに石段を上がる。

まだまだ上がる。

尾道駅から西側は風致地区ではないようで、背の高いマンションがボコボコ建っているのが見える。

さらに道を上ると、『かみちゅ!』スポット。
作中で四葉のクローバーを探していた原っぱだ。
現地を見ると、原っぱというより荒れた空き地。

石段を下り、さくっと岸壁へ移動。

福本渡船の乗り場再び。
前に居た自転車乗りのお客さんはリュックサックに活動的な服装のアベック。
ひょっとしたら四国まで行こうなどと企んでるのかもしれない。

いざ乗船。
船のタラップがとても短いところに注目。
桟橋にあった謝罪広告の張り紙によると、自動車が降りている最中に潮流に船が流されて離岸してしまい、桟橋と船の間の海に自動車が転落する事故が2007年の初頭にあったらしい。
確かにこの短さだとちょっと流されただけで隙間が出来る。

甲板。

すぐに向島側の桟橋に到着。
桟橋を覆う屋根の板が吹き飛んでしまっているし、事務所のテントや建物もボロボロである。
『さびしんぼう』のあたり(25年くらい前)ではまだ屋根の板は全部あったはず。

桟橋に向かって右手の岸壁から尾道市街方面を撮影。
手前にあるのは、『ふたり』のロケ地であることを示す看板。

『かみちゅ!』の作中では渡船の向島側桟橋の前には商店が軒を連ねているが、実際には商店は無く、あるのは自転車置き場とホテルの建物の裏側だけ。

再び渡船に乗って尾道に引き返す。
海上から尾道らしくない近代化された駅西側を撮影。
写真左手からフェリーターミナル、しまなみ交流館、マンション、尾道駅。

ロープウェイの麓駅の南側、国道を渡ったあたりだったと思うが、有名人の足型を採ったモニュメントがあった。
さだやす圭は広島県三原市出身らしいからご近所さんのよしみでいいとして、なぜ金田正一の足型があるのだろう。

艮神社の境内に入り社殿の西側の小道から山の方へ入っていくと、瀟洒な小道に続いている。
隠れ家のような喫茶店もある。

『かみちゅ!』にも出演していた、猫の絵を描いた石。
「福石猫」と言う。

こんな感じで、道の脇の斜面に置かれてある。

神社の方に引き返したら、途中で民家の塀の上にも福石猫が置かれてあるのを発見した。

さらに民家の庭先でもっと大きいのを発見した。
可愛いねえ。

前日は気づかなかったけど、艮神社の絵馬も『かみちゅ!』に染まっていた。

艮神社の社務所で御朱印をいただくのを待っている間に、社務所の玄関先から撮影。
右がロープウェイの駅で、左が神社の門。
社務所の位置が推察いただけるかと。

街中でちょこちょこ張られていたポスター。
独立プロダクションによって制作されたために未だ DVD 化されていない、さだまさしの映画デビュー作『翔べイカロスの翼』の上映会が2日後にしまなみ交流館で行われることを告知している。
さだの代表曲の一つ「道化師のソネット」はこの映画の主題歌なのである。
髪はフサフサだし顔はシャープだし、初めてこのポスターを見たとき思わず「若っ!」と呟いてしまった。
日程が許せば映画を観たかったのだけど……。

再び御袖天満宮へ。

天満宮に上がる石段の手前の路地を右に入ると、何となく見覚えのある壁に沿って石段がある。
『時をかける少女』や『かみちゅ!』に登場した「タイル小路」はここのことだろうか。
タイルがないけど、最近になってタイルが撤去されてしまったというニュースを目にしていたのでここでも間違いないかもしれない。

御袖天満宮で御朱印を頂き、市役所方面へ移動。

市役所のそばのラーメン屋『壱番館』で昼食。
店内に芸能人のサインや写真が数多く飾られているところを見ると、結構有名店のようだ。
初めて尾道ラーメンを食べた感想は「魚介類の出汁が効いた醤油ラーメンだなあ」。
舌が肥えているわけではないので細かい味はよく判りません。
ちなみにアイスキャンデー屋の近くに「朱華園」というラーメン屋があって、ここには行列が出来ていた。
ラーメンなんか行列に並んでまで食べるものではないと思うんだけど、ラーメンマニアには並ぶだけの価値のあるものを提供してくれる店なんでしょう。


市役所の斜め向かいに、「おのみち映画資料館」はある。
小津安二郎の『東京物語』関係の資料や、名前を聞いたこともない戦後の B 級日本映画のポスターなどが展示されている。
しかし大林宣彦関係はない。
まだ現役の映画人だからだろうか。
ちなみに何回も映画のロケ地になっているにも関わらず、尾道には映画館が一軒もない。
全部潰れてしまったのであった。

海岸沿いに遺跡のように柵で囲われている場所に「住吉神社」という小さな社がある。
この石灯籠は『東京物語』にも出演したとか。
残念ながら観てないので判らないけど。
日本映画のクラシック作品も映画マニアの足元を見た値段じゃなくて、ハリウッド映画の DVD みたいに2000円とか買いやすい値段で発売してほしいな。

向島でドック入りしている船を眺める。
日立造船は撤退してしまったけど、まだ尾道は造船の町。

陽がやや傾いてきたところで、時間切れのため尾道とお別れ。
山陽本線に乗って福山まで行く。
新尾道駅から新幹線に乗るという手もあるが、尾道駅から山一つ分離れているのでバスに乗らないと行けないし、列車の発着数も少ないので福山まで行く方が便利がいい。
逆に尾道に来る場合も福山まで新幹線で、後は在来線とした方が便利だ。

福山駅前の『かみちゅ!』スポット。
みこと章吉が学校をサボってやってきたところ。
駅周辺にはあと2箇所ほど『かみちゅ!』ゆかりの場所があるのだけど、予約した列車の発車時刻が迫っていたので探索できなかった。

さすが田舎だなあ、と思わされた看板。

新大阪駅を出るときに切符を紛失したことに気づき、最後の最後で情けない思いをしたけれど充実した旅だった。
落ち込んでいた心が少し軽くなった。
結局、後でまた落ち込んでしまうのだが……もう一度行けばまた持ち直せるだろうか。
福山城とか鞆の浦とかも見てみたいし、うんざりさせられた尾道の坂道も今となっては恋しい。
暑いのには参ったので、次に行くとしたら一泊か日帰りで、暑くも寒くもない季節がいいな。

投稿者 Dormeur : 11:30 PM | コメント (2) | トラックバック

janvier 14, 2008

2007年山陽の旅 尾道編(2)

2007年9月21日の昼下がり。
尾道探検の続き。


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千光寺ロープウェイの麓駅を下りてすぐ左手にあるのが、喫茶店「こもん」。
『転校生』で屋外席が登場してた。
室内の方も『ふたり』で登場してたはず。
オーナーが尾道のフィルムコミッションで活動しているとかいう話で、店がロケ中のスタッフの溜まり場にもなり、エンディングのスタッフロールに「こもん」の名がクレジットされてた覚えがある。

千光寺ロープウェイの麓駅を下りてすぐ右手が艮神社(うしとらじんじゃ)の参道入口。
境内の上をロープウェイが通過する配置になっている。

参道を進むと、見覚えのある拝殿がお目見え。
『かみちゅ!』の来福神社の拝殿はこれがモデル。
『時をかける少女』の終盤で、両親に連れられて神社に参拝している幼い自分の姿を主人公が見るシーンが撮影されたのもここだ。
社殿の左、写真で言うと人影の背後には高さ4メートルほどの巨石が祀られている。
千光寺山の頂上付近にも巨石があるし、千光寺山の南斜面の集落が石垣・石段で固められているところからして、古く尾道の住民と石は縁が深く、石に信仰が寄せられていたことが偲ばれる。
右手の楠の巨木も由緒がありそうな佇まい。

御朱印を頂こうと辺りを見渡すが神職の姿は見えず。
それほど有名神社というわけでもないので、拝殿の傍にお守り等の販売所があるわけでもなく、社務所も見当たらず、ということでその場を辞す。
(翌日再来して判ったが、社務所は参道入口から拝殿方向に進んで境内の門の手前左手にあった。)

山陽本線のガードをくぐって国道2号線に出たところで、『かみちゅ!』オープニングで登場する尾道市営バスが信号待ちをしていたので撮影。
車両が同じかどうかは確認していないので判らないけど。

国道沿いに少し東へ進んでから北東方向へ歩き、御袖天満宮を目指す。


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御袖天満宮の参道のふもとに到着。
今更驚かないけど、これまた結構な段数の石段でございますねえ……。

石段を登っていくと、見覚えのあるショット。
『かみちゅ!』の来福神社の境内はここがモデルなのであった。

門をくぐったところで上を見上げると、『かみちゅ!』のオープニングでタイトルロゴが現れるショット。
この石段は『転校生』で和美と和夫が抱き合いながら転落して体が入れ替わった、あの石段でもある。

石段を登りきって振り返れば、ほら、あの伝説的シーンそのまんま。
しかし結構傾斜が急だし、こんなところで転落したら全身あざだらけになるか、打ち所が悪ければ死にそう。

『かみちゅ!』のオープニングで三枝みこと八島様が佇んでいる手洗い場。

手洗い場の背後の木に隠れて最初は気づかなかったが、絵馬をぶら下げる棚を発見。
隔離されたかのように『かみちゅ!』巡礼者が記した絵馬だらけ。
有志により設置された「巡礼記念ノート」まである。

絵の上手い巡礼者が多数。
シールやらフィギュアを奉納する剛の者もいるようで。

御袖天満宮の拝殿は何故か瓦屋根でしかも褐色。
寺のようでもあり、寺でないようでもあり不思議な感じ。
でも背後にちらっと見える社殿は神社建築。
神仏混交か?

『かみちゅ!』第2話だったか、ゆりえたちが石段を登って来福神社の境内に入ってくるショット。

菅原道真と言えば牛。
『かみちゅ!』の DVD の特典イラストでもこの石像が登場してたような覚えが。

こちらでも御朱印を頂こうと思うも神職の姿は見えず、社務所がどこにあるのかも判らない。
(翌日再来して、境内西側の垣根の向こう側、一見神社と関係ない民家と思われる住宅が社務所を兼ねていることが判った)

神仏混交だからか、単に場所がないからか、御袖天満宮の東側に隣接して寺がある。
住職のお住まいと思しきこの建物は『かみちゅ!』の三枝家の建物に似ている。


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再び南下して国道を渡り、海岸方向へ歩く。
市役所の西側のT字交差点のところで、「あいすキャンデー屋」を発見。
かつて向島にあった有名なアイスキャンデー店「花月」が廃業したのち、設備を譲り受けた有志が復活させた店である。
アイスキャンデーを買って持ち帰るだけでなく、店先のベンチで座りながら食べることもできる。
私はアイスキャンデーを買って店先で食べてからなおも物足りず、アイスコーヒー(アイスコーヒーをシャーベット状に凍らせたもの)を買って飲みながら移動した。
固形物を全然食べずに冷たいものばかり口にしてるので、普通なら下痢になるはずだけど、とにかく暑くて体の表面から出て行くので、全くへっちゃらなのであった。
結局この日は昼ごはんを食べることはなかった。

市役所前の通りを東へ歩き、突き当りでとても見覚えのある建物に遭遇。
『転校生』の和夫の家そのものである。
家はそのまんまだけど家の前は道路の拡幅工事が行われたようで、作中とは様変わりしていた。

和夫の家の前を左に曲がるとすぐに国道との交差点で、国道を渡り山陽本線のガードをくぐるとすぐに浄土寺である。


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故人の冥福と浄土行きを祈り、参拝記念に御朱印を頂く。

浄土寺を出て右側、つまり浄土寺の門に正対して左側の、山陽本線と寺の間の道を西に進み、Y字の交差点に出たら右に進む。

この場所は直進せずに左へ折れ、坂道を登っていく。

『かみちゅ!』の主人公、一橋ゆりえの自宅のお目見えである。
『ふたり』のオープニングクレジットでも登場する場所だ。
右の石垣の間の坂道に止まっていたトラックが突然後退して来て、家の石段の角とトラックの間に主人公の姉が挟まれて死んだ。
実際に現場を見てみると、「そりゃ死ぬわ」と納得。

ゆりえ宅からなおも坂道を登って、市街を見下ろすように撮影したところ。
中央の学校が『さびしんぼう』で登場してたような気がするけど未確認。

道を引き返して、右に折れたY字の交差点を今度は左へ。
線路沿いの石の手すりのある道は『かみちゅ!』で見覚えのあるスポットだ。
ちなみにこのまま西へ歩くと右手に図書館がある。

市役所前の通りまで戻り、西へ歩いて商工会議所の前まで来ると、『かみちゅ!』スポット。
『かみちゅ!』第2話の、失踪した八島様を探しに主人公たちが町を探索するシーンで登場していた。

岸は綺麗に整備されているけど、突堤は「尾道三部作」の頃から存在してそうな佇まい。

商店街の路地裏に入ると、またも『かみちゅ!』の八島様探索シーン。
突き当たりの社が判るかな。

商店街のアーケードが切れる東の端。
『かみちゅ!』第1話で、台風に襲われる町のシーンで使われていた様子。

右端の電気屋の陰に、尾道の裏名物、オバQ。
昔、千光寺山のてっぺんに置かれていたとかいう話があったような覚えがある。
『かみちゅ!』の八島様探索シーンでもこんなショットで登場していたはず。

再び商店街の路地裏に入って、『かみちゅ!』スポットを発見。
細い鉄塔が目印だ。
元ネタを知らない人が見たら何が面白いのか全く判らない写真だろうけど。

『かみちゅ!』で八島様を見つけられなかった主人公一行が休憩していた突堤。

商店街を歩いていて見つけた謎の店。
建物は古いノスタルジックな銭湯で、看板も暖簾も銭湯であることを示しているのに、入口の前に土産物となるような食料品が並べられている。
かと思えば窓には料理のメニューが貼り出されている。
廃業した銭湯を改装して土産物店兼食堂として営業していると考えるのが順当だけど、それにしてもカレーうどんが850円、カツカレーが1200円って高すぎやろ……。

商店街から国道側へ。
『かみちゅ!』DVD 第5巻のパッケージイラストのモデルになったと思われる踏切を撮影。

再び商店街側へ戻り、海岸沿いを歩いて「福本渡船」の乗り場に到着。
『かみちゅ!』でゆりえが通学に利用している「日の出渡船」のモデルで、オープニングに登場するのは尾道側のこの埠頭。
『さびしんぼう』で主人公がさびしんぼうと名づけた少女を待ち伏せしていたのもここだし、『ふたり』で主人公がピアノを習いに向島に渡る際に利用したのもこの渡船である。

さらに西、商店街の出口付近にある林芙美子のモニュメント。
背後の山の城郭風の建物の右隣が、今夜の宿である「ビュウホテルセイザン」。

尾道駅のコインロッカーから預けた荷物を取り出し、さすがに歩き疲れたのでバスに乗ってロープウェイ乗り場前で下りる。
ロープウェイに乗って頂上まで行き、尾根伝いに西へ西へと歩いていくと「ビュウホテルセイザン」に着く。
ちなみに荷物が少ないとかスーツケースを持っていないとか体力には自信があるとかいう人なら、尾道駅東側の歩道橋を渡り、土堂小学校の西沿いの、レンガ色の大きい街灯が続いていく石段道に沿って登っていくと近道になる。

「ビュウホテルセイザン」は尾道駅から山を見上げると真っ先に目に入ることから判るとおり、眺望が素晴らしい。
ただし建物も設備も古いし、アメニティが充実しているとは言いがたい。
最低限清潔に保っているというビジネスホテルである。
その代わり宿泊代は安めなので、若い人がロケ地巡りの宿にするなら「グリーンヒルホテル尾道」よりもオススメだと思う。
ホテルのレストランはタイ料理の店。
なんで尾道でタイ料理かというと、オーナーの奥さんがタイ人だかららしい。
オーナーはゆくゆくはホテルではなくてタイなんかでバックパッカーが集うゲストハウスのようにしたいらしく、設備を充実させる方向へ経営方針を転換させるつもりはないみたい。
受付のお姉さんも地元の学生風で、「手弁当でやってます」という雰囲気のホテルだった。

客室から土堂小学校を見下ろす。
『かみちゅ!』ではプールが描かれていたが、実際にあるのは墓地。

日が暮れてからの尾道水道。
向島で赤・青・緑にライトアップされた造船所のクレーンが浮かび上がっている。

投稿者 Dormeur : 12:00 AM | コメント (2) | トラックバック

janvier 13, 2008

2007年山陽の旅 尾道編(1)

2007年9月21日、尾道の町を探検する。

まず宿である「グリーンヒルホテル尾道」を出て、朝食を食べに駅方面へと歩道橋を歩く。

昨夜の写真にもちらっと映っているのだけど、フェリーターミナルの北側に「しまなみ海道館」という建物がある。
今治から尾道まで、瀬戸内海を自動車で渡れるようになったのを記念して建てられた施設らしい。
観光案内・休憩所・イベントホールを兼ねているものの閑散としていて、地方にありがちな、無駄金を使った施設の香りがプンプンする。
その北側に線路に隣接してこの付近では一番高さがあり新しいのではないかと思われる建物がある。
2階までが広島の百貨店「福屋」の支店や飲食店などの店舗が入居し、3階以上は住居。
2階の喫茶店は実は有名な尾道の喫茶店の支店らしいのだが、知らずにスルーしてしまい、1階に入っているミスタードーナツでの朝食にしてしまった。

胃袋が満たされたところで、駅のコインロッカーに荷物を預け尾道探検を開始する。
目的は大方お察しのことでしょうが、『かみちゅ!』と大林宣彦の映画のロケ地めぐりでございます。

その前に、尾道の町の地形を大まかに説明しよう。


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これから探検するのは、大林宣彦の映画でおなじみの、尾道でも古くからある市街地だ。
瀬戸内海を地図で見ると、四国と中国地方の間を塞ぐように島々が並んでいるところがある。
その北の端の中国地方の海岸にあるのが尾道の町。
古くは海上交通の中継地点として栄えたものと思われる。
対岸にある島が向島(むかいしま)、向島と尾道の間、瀬戸内海が非常に狭くなっている部分が尾道水道。
陸地は東西方向に狭い平地があってそこには主に商店が立ち並んでいる。
その北側に国道2号線があり、さらに北側は国道2号線に平行して JR 山陽本線が走っている。
そこから突然急斜面になり小高い山が東西方向に数個並ぶ。
それらの山の中で一番尾道駅に近い千光寺山の斜面が「坂の町」として有名な地域で、戦前から建っていると思われる民家が数多く並び、古寺がいくつも集中している。

といったところで、Web で入手したロケ地マップを手に、探検に出発する。
(このロケ地マップは本当に重宝しましたので、この場を借りて御礼申し上げます)

まずは駅の北側から。
尾道駅北出口の前の道を西に歩いていくと道がY字に分かれている。
その分岐を右側に曲がり肉屋の前を通過して左手に時計店が見えたら、右手に石段がある。

尾道と言えば石段、石段といえば尾道。
気分を高めつつその急な石段を登ると、通称「ガウディハウス」と呼ばれる古い民家がある。

斜面の狭い土地にアクロバティックな建て方をしているということで有名なこの家。
『かみちゅ!』だけでなく、どの作品だったか忘れたけど大林映画でもこのアングルで登場してた(確か左手の道から登場人物が歩いてきてた)。
人が住まなくなって久しかったのを、最近地元の有志の人が買い取って修復しており、その模様は「尾道の空き家、再生します。」という blog で公開されている。

石段を降りて駅へと戻り、国道2号線沿いに東へと歩く。

『転校生』で、和美と体が入れ替わった直後の和夫が家へと歩いていくシーン(画面がモノクロからカラーへと変わるところ)の踏切がこれじゃないかと思って撮影。
あのシーンでは遮断機がなくて木の看板だけの古い踏切だったけど……。

駅方面に少し戻り、ちょっと新しい感じのする歩道橋に登って駅方面を撮影。
『かみちゅ!』ではこのアングルで線路が単線に書き換えられていた。

線路を越えて坂を上ると、土堂小学校がある。
『かみちゅ!』で主人公たちが通う「日の出中学校」のモデルだ。
大林宣彦の出身校でもあり、『ふたり』で主人公が通う高校として登場してたような覚えがある。

『かみちゅ!』で、風邪をひいたゆりえがタクシーで母親に迎えに来てもらうシーンのアングル。
ここから山側は狭い石段なので、自動車はこのあたりまでしか入って来れない。
不便だし高齢者には体力的に辛いしで、斜面の民家に住む人がどんどん減っていくのも合点する。

息を切らして石段を登り、ようやく小学校を見渡せるところまでやってきた。
地元の人に挨拶をしながら、北側へ回り込む。

なおも石段を登っていると、家の前を掃除していたおばちゃんに話しかけられた。
「どこに行くの?」
「この上です」
「この上、何にもないよ?」
「いや、写真を撮りにきたんで……」
同じような人間が多数居るのだろう、それ以上は追及されなかった。

民家の屋根が邪魔だけど、『かみちゅ!』で頻繁に登場する屋上。
二宮健児が書道部を設けてた場所だ。
出入り口、時計、ハシゴ、配管すべて作中そのまんま。

屋上を撮影できたので、一旦歩道橋まで戻る。
まだ探検は始まったばかりなのに、暑さで汗だくだわ、脚は疲れるわで、早くも挫けそうだ。
土堂小学校の正門前まで来たところで、花を持った初老の男性に「ロケ地めぐりかい?」と話しかけられた。
話によるとこの人は国道沿いの提灯屋のご主人で、大林宣彦がロケを行ったときは手伝ったらしい。
少し前に奥さんに先立たれ、これからお墓参りに行くところとのことだった。
「坂がすごくてもう挫けそうですわ」と言ったら、「それが尾道だからね」とあっさり言われてしまった。

歩道橋から斜面の方を見上げると、『転校生』の和美の家と思しき洋風の民家を発見した。
窓が板で塞がれているので今は誰も住んでない様子だ。
道が入り組んでいて行き方が判らない上に、坂道を登り下りして探し回る気力がなかったので接近するのは断念した。

国道沿いに東方向に歩くと、長いスロープのある歩道橋がある。
『転校生』で和美と体が入れ替わったことに気づいた和夫が、自転車に乗って和美の家に行く途中に上っていった歩道橋。
結構勾配がきついのに、自転車に乗ったまま上るのは小林聡美も大変だったろう。
作中とは違って、歩道橋の上は自転車や原付がいっぱい止められている。
駅前に駐輪場がないから、通勤・通学客がここに止めていってるのかと推測。

歩道橋を渡って、光明寺へ。
江戸時代か明治時代の横綱が髭を埋葬したという古寺。
折角なので、故人の冥福を祈る。
冥福なんてものが有るとは信じていないけど、有るとすれば故人がそうあって欲しい。
そんな気持ち。

『かみちゅ!』でゆりえの下校シーンで登場してたと思われる場所。
土堂小学校からゆりえの家がある(という設定の)向島まで行くのに遠回りになるので、実際にはわざわざここを通ることはないはず。

少し下ってからくねくねした路地を東方向に進むと、石垣が現れ、タイル張りをした瀟洒な道が現れた。
石段には海方向に座りスケッチに勤しむ人が多数いた。

「志賀直哉旧居」という案内板に誘われて再び路地に入ると、文学公園があった。

懲りもせず石段を登っていくと、古い長屋が1軒。
この長屋の写真で言うと右端が、若き日の志賀直哉が住んだ部屋。
現在では長屋丸ごとが資料館化されていて、写真左手の引き戸がその入口である。

内部は壁がぶちぬかれ改装されているが、志賀直哉が住んだ部屋はそのまま保存されている。

部屋の入口からいきなり竈のある土間になっている。
ステンレスの流し台もガスコンロもない時代のものなので台所はこんな感じ。
風呂も洗面台もない。
便所は多分、外だろう。
家出したボンボン息子がよくこんなところに住もうと思ったもんだ。

旧居を出て石段を下り、少し離れた場所にある「おのみち文学の館」を訪ねる。
ここは古民家を改造せずにショーケースを並べ、尾道ゆかりの作家たちの品々を展示している。
メインは女学生時代を当地で過ごした林芙美子。

文学資料館なのに『宇宙戦艦ヤマト』の絵が展示されていて吹いた。
しかもデスラーがスターシャに電話で求婚してる。
『怪傑黒頭巾』といった少年向け娯楽小説で有名な尾道出身の小説家、高垣眸(つボイノリオではありません)が著した小説版『宇宙戦艦ヤマト』なのであった。
タイトルに「熱血小説」と添えられてあるけど、この年になるまでそんなジャンルがあるなんて知らなかった……。

これはどこのロケシーンという訳でもないけど、海の見える坂道。
救急車も来れないから、急病になったら大変だ。

石段に腰掛けて、風景をスケッチする人々。
どれだけ急な坂に家が建ってるかお分かりいただけるかと存じます。

『かみちゅ!』スポット?
見覚えがあるような、ないような……。

時間はお昼を過ぎているのだけど、全然腹が減らない。
相変わらず真夏並みに気温が高い上に坂道を上り下りしているものだからとにかく暑くて、飲み物を飲んだらそのまま汗腺を通じて玉の汗となって出てくる。
曇り空なのがまだ救いではあった。
だけど手持ちのペットボトルの飲料は早々に尽きる。
途中の文学公園の水飲み場で水分補給してもすぐ汗になってしまい、喉が渇く。
ここに至って飲み物の自動販売機に初めて出会い、ペットボトル入りのスポーツドリンクを購入して水分と糖分を補給する。
そして石段上りを再開。

地図を見誤っていたようで、いつの間にか千光寺の境内に入っていた。

尾道大橋まで見渡せる。
上から下に張られたロープは、千光寺山ロープウェイのもの。

この巨石のある高台は多分、『転校生』で和美と和夫が変な男に絡まれた場所だと思われる。

結局ロープウェイで来るような頂上に徒歩で到着してしまった。
土産物店でビン入りのコカ・コーラが売られていたので、記念に飲み干す。

ロープウェイにて下山。
ちなみにこのロープウェイは『転校生』の冒頭の、8mmフィルムの映像に登場している。

投稿者 Dormeur : 04:48 AM | コメント (0) | トラックバック

janvier 08, 2008

2007年山陽の旅 呉編

2007年9月20日、JR 広島駅から呉線に乗って呉へ。

呉線は広島(正確には海田市)から瀬戸内海沿いに呉、竹原を経由して三原に至る路線。
全線単線だが電化されている。
車両はありふれた103系、105系、115系くらいしか走っておらず、あまり面白みがない。
臨時列車として運行されているキハ47の改造車「瀬戸内マリンビュー」が唯一目を引くが、時間が合わず乗車できなかった。


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ぼんやり海を眺めつついるうちに、呉駅に到着。

前を見ても右を見ても左を見ても後ろを見ても「くれ」「くれ」「くれ」「くれ」……貴様にくれてやるものなどないわ!などと考えてしまう自分はそろそろ人として終わってきていると思う。

地方都市に行くと大抵は駅から離れた国道沿いに大規模店舗があって、駅前が寂れているというパターンが多いのだが、呉の場合は珍しく駅前が開発されていて驚いた。
呉の駅自体、プラットフォームこそしょぼいものの、駅は駅ビルになっていて、スーパーマーケットや雑貨店や洋服店などのテナントが入っている。
で、線路を挟んで海側に行くと(建物は歩道橋で繋がっている)ここにも最近建てられたような綺麗な商業施設があって、ユニクロが店舗を構えている。
さらに歩道橋を海側に行くと、イオンとかサティとかダイヤモンドシティのような巨大なショッピングセンター「ゆめタウン呉」があり、この建物も最近建てられたように見える。
「プッ、これが夢ですか、ダサッ……」なんて言っちゃダメ。
言っちゃダメだから。
中国から九州北部にかけてイオンとかサティとかと互角に戦っている地元の雄らしい。
この「ゆめタウン」の店内を突き抜けると、呉市海事歴史科学館、通称「大和ミュージアム」がある。

この施設は数年前に開設されたばかりで人気を博していると聞く。
おそらくこの付近一帯で大規模な再開発事業が展開されたのだと思われる。
位置から考えて、貨物ヤードの跡地利用のような気がするけど、実際のところは判らない。

歩道橋から西側を見ると、巨大な潜水艦が地上に現れた。
これは海上自衛隊呉史料館の展示物。
ちなみに写真右手が「ゆめタウン呉」である。

地上に降りて博物館方向に行くことなく、歩道橋をそのまま進んで左手、フェリーターミナルに入る。
待合ロビーで弁当を食べようと思ったのだが、休憩スペースと称してテーブルの並んだ区画があったので、そこで昼食とした。

弁当は広島駅で買った「黒田の男気弁当」。
広島カープの黒田投手が2006年のシーズンオフに球団残留を決めたことを称えて商品化したものらしい。
いかにカープファンに感銘を与えたか察して余りあるが、その黒田も来シーズンからはアメリカに移籍してしまう。
賞味期限は短い男気だった。
ちなみに弁当の中身は彼の好物を集めたというのだが、ご飯のほかは肉・卵・たこ焼などで、野菜はほんのわずかしか入っておらず栄養的にとても偏っている。
もうちょっと野菜を食わないと、選手生命が短くなるのではないでしょうか。

胃袋が満たされたところで、大和ミュージアムの方へ向かう。

建物の前に設置されているこれは、戦艦「陸奥」の主砲の砲身。
中学生くらいの時にタミヤのウォーターラインシリーズの模型を組み立てたことがあるだけに感慨深い。
爪楊枝より細い模型の砲身も、実物となるとこの迫力。

呉は海軍の町として栄えた場所なので、ここから先はほとんどが軍関係の展示である。
戦前の呉の様子を偲ばせる様々な写真や道具、呉で建造された軍用艦船の写真や模型、戦艦に搭載されていたボイラーなんてものまで展示されている。
軍事マニアが喜びそうなものばかりが並び壮観だ。
花形の展示物は、「大和ミュージアム」という愛称からも判るように、戦艦「大和」についてのもの。
「大和」はここで作られ、ここから出発し沈没したということもあって、「大和」の建造時から沈没に至るまでの写真・文書といった資料や、沈没時の乗組員の紹介と遺品が展示されている。
彼らの死の延長線上に我々は生きているので、彼らに対し敬意を表することはやぶさかではないのだけど、特攻という作戦の愚かな面を直視せずにヒロイズムに酔っているような気がして、さすがに胸焼けしそうだ。
口直しに、戦後の呉で展開された造船・鉄鋼等の工業の展示がある。

この博物館の名物、「大和」の模型。
甲板の板材の傾斜まで再現したと言う凝り様。
写真に写っている人影と比べると、その大きさが掴めると思う。

大型資料展示室では、兵器の実物が展示されている。

これは多分、九三式魚雷の尾部。

出たっ、悪名高い人間魚雷「回天」!
こんなもんで戦争に勝てるわけあるかボケ、と毒づきたくなる。

これは手前が各種の砲弾、奥が一等巡洋艦「青葉」の主砲の砲身。

特殊潜航艇「海龍」。
2人乗りの「回天」みたいなもん。
水中を飛行機のように航行できるよう設計されているのと、両脇に魚雷を備えているの
が「回天」と違うところ。
単に突撃するだけではなくて、事前に魚雷を2発発射できるというわけ。
無駄な労力であることには変わりないけど。

「ジャパニーズ・ゼロ」ことゼロ戦ですな。
日の丸が毒々しく見える。

高性能なズームレンズがあればコックピット内も観察できそう。

建物の外に出て、戦艦「陸奥」の砲身の向こう側には、同じく「陸奥」のスクリューと主舵がある。
実物を見るとそのでかさに圧倒される。
確かに船がでかけりゃ、その分スクリューも舵もでかくしないと船は進みも曲がりもしませんわ。

車道を渡って、海上自衛隊呉史料館に到着。
ここは入場料不要。
まあ、何て太っ腹なんでしょう……って、要するに税金で全部運営されているだけやがな。

ここの室内展示物は、掃海作業に関するもの。
掃海作業の手法の解説や、掃海に用いる掃海船の装備が展示されている
戦争が終わってみれば日本の海岸いたるところ機雷だらけで、漁船が航行するのも商船が航行するのも大変な状態だった。
掃海作業が戦後日本が直面した課題の一つだったのだ。
また、現代では国際協力の一環として掃海作業は自衛隊の任務の一つである。
というわけでこのような場を設けて国民に自らの仕事を宣伝しているわけです。

屋外に展示されている潜水艦「あきしお」は、中を見学することができる。
軍事関係者でもない限り普通は潜水艦に乗る機会なんてないので、これはちょっと興奮してしまう。
ネモ船長やエレクトラさんが居たらもっといいのだがそれは無理です。

艦内に入ったところ。
さすがに無骨。

ハッチ。
重厚なハシゴ、ハンドルが萌えるなあ。

乗組員の寝床。
刑務所より酷い。
天井を見ると蛍光灯は赤いのと白いのがある。
潜水艦の中にいると昼夜の区別が判らなくなり体内時計が狂ってしまうので、昼は白い普通の蛍光灯を、夜は赤い蛍光灯を点灯させて昼夜を区別させるという仕組み。

乗組員の談話スペース。
これでもアメニティ上、艦内で一番マシな部分。

これは確か、階級の高い乗組員用の寝床。

艦長室。
一番偉い人の部屋がこの有様では、アメニティなんてものは望むべくもない。
時代が変わっても、人員の扱いは第二次世界大戦の頃から進歩してない日本の姿が伺える。

なお、ここから先の管制室は撮影禁止。
軍事機密の保持という奴ですな。
所持品検査をされるわけではないので、隠し撮りをしようと思えばできるだろうけど。

傾いた陽光に照らされて、黒く輝く艦体。
これぞ兵器の迫力。

潜水艦の錨はこんな形をしている。
初めて知った。
なるほど、普通の錨の形だったら水流が乱れて音が出るので、隠密活動をするのに都合がよくないもんな。

呉駅に戻る途中、山側を眺めていたら呉医療センターを発見。
こんなところにあったのか……。

呉駅から再び呉線に乗り、尾道を目指す。

三原までの直通列車はなく、全ての列車は広(ひろ)どまり。
列車の本数の上でも、広島と広の区間が広島のベッドタウンという感じだ。

列車はひたすら夕暮れの瀬戸内海岸沿いを走る。
脳内 BGM は「瀬戸の花嫁」。
思っていたより民家が多い。
造船業と漁業と周辺商業だけでこんなに食っていけるのだろうかと疑問が湧く。

部活帰りだろうか、遅めの帰宅途中の高校生が乗車する時間帯。
私の前に座っていた女子高生二人組。
片方が、もう片方に「やわらか戦車」の歌を教えている。
この Internet 時代にあっても田舎は情報の伝播が遅れるというのだろうか。
しかも旋律が微妙に間違っている。
ああ、間違いを指摘したい!
むずがゆさにうずうずするのを堪えて無関心を装う。


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列車は竹原に到着する。
脳内 BGM に竹原直隆の応援歌が流れる。
ららららーらーらーたーけーはらー……らーらーらーらーたーけーはーらー……
ここで2つの発見が得られた。
ふと駅の広告を見ると、「竹鶴」とある。
ピンと来た。
あの日本のウイスキーの父、竹鶴政孝の出身地だ!
さらに走る列車の窓から、アヲハタのマークが入った建物がちらりと見えた。
何でこんな辺鄙なところにアヲハタが?
調べてみてびっくり、アヲハタの本社は竹原にあるのだ。
竹原市が一気に身近な存在に格上げされた瞬間である。

三原だったか糸崎だったかで列車を降り、山陽本線の列車に乗り換えると、程なく尾道に到着。


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尾道に降り立って見ると、駅前の南西側が思いっきり再開発がかかっていて、酷く近代化されている。
国土交通省のサーバーにある1981年の尾道の航空写真と比べると変化がよく判る。

今夜の宿は尾道のフェリーターミナルの上層階にある「グリーンヒルホテル尾道」。
シングルで予約したのにサービスしてくれたのか、ツインの部屋だった。
15畳くらいはありそうな広い部屋なのはいいけど、寂しさが際立ちます。

もちろん窓からは海がすぐ見渡せる。
夜なので、ぼんやり対岸や渡船の明かりが浮かぶだけだけど。

夕飯を食べに外出がてら撮影。
駅前ロータリーの南側の海辺は、大林宣彦の映画『転校生』では桟橋みたいなのが映っていたような記憶があるのだが、今や洒落た遊歩道になっている。
アベックで夜の散歩をするのにいい感じだ。

尾道名物の渡船の一つ、フェリーターミナル脇から出ている渡船。

「折角港町に来たのだから、海の幸を食べる!」と心に決めて海岸沿いの通りを歩き、「絲魚」(いとい)という和食料理店に入る。
オコゼというものを食べたことがなかったので注文するが在庫切れ。
無念。
しかし、初体験となる蛸の生造りに対面して不満は解消した。
断片になっているのに皿の上に盛られた蛸がウネウネと動いている。
箸で取ろうとしたら吸盤が皿にひっついて離れない。
引き剥がして口の中に入れたら口の中にひっつくので、よく噛んでいると歯応えが心地よくほのかに甘い。
そして美味い酒。
生きてたら、こういう喜びもあることはあるんだよな、と慰められる。
この店名物の「つぼ焼き寿司」も上々だった。
板前の兄ちゃんには「どこからお越しになったんですか?」と話かけられ、兄ちゃんが福岡出身で、大阪、尾道と流れてきた人だと知る。
板前の世界の転職は脈絡が掴めない。

心地よく酩酊しつつ海岸沿いの通りをホテルまで戻り、就寝。

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janvier 07, 2008

2007年山陽の旅 広島編

2007年9月20日は、広島から呉を経由して尾道まで辿る。

宿を出て、訪ねることが長らく念願だった場所――広島平和記念公園に向かう。


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まずは広島平和記念資料館から。
建物は東館と本館に分かれている。
上記の写真右手が東館で、こちらが入口である。
入場料はなんとたったの50円。

東館は原子爆弾による爆撃前の広島と爆撃後の広島について、歴史的事実を踏まえた写真やパネルの展示。
本館は爆撃による被害を伝える遺品類が展示されている。

広島平和記念資料館の展示内容は、Web サイトで実際の展示と同じ文章と写真を見ることができるので、広島まで行けないって人はせめて Web サイトだけでも観て欲しい。
もちろん、自分の目で直接展示物を見る方がやはり感情移入の度合いが違うけど。

爆撃後の広島の様子を撮影したパノラマ写真を大きく引き伸ばしたもの。

現在平和記念公園がある場所の爆撃前の様子を模したジオラマ。
これが爆撃によって……。

こうなりました。
一部の石造りやコンクリート造りの建物が残っただけ。

原爆ドームのてっぺん部分のレプリカ。

東館を出て、ミュージアムショップで書籍を買い本館へ移動。

爆撃による広島市域の被害の模様を現したジオラマ。
赤いボールは、原爆の起動位置と、起動により生じた火の玉の大きさを示している。
突然に街の上空に高温の火の玉が出現したことで空気が膨張し大爆発が生じるとともに、火の玉による熱線が大火事を引き起こした結果がこれ。
右手が北、左手が南。
写真下端で線路が集まっているのは広島駅。

本館の展示物は、ジオラマや写真のほかに「これでもか」とばかりに本物の遺品が大量に展示されている。
ボロボロになった中学生や女学生の衣服等の展示品の脇に、身につけていた人物の悲惨な死に方が記されているのを見ると涙ぐんでしまう。
いくらなんでもこんな残虐非道な殺し方をしなくてもいいだろうに。
非常に感情を揺さぶられる展示である。

そのほか、被爆してから数時間後の市内の写真があるのには驚いた。
生き残って道路に立ち尽くす人々は、全身灰だらけで、不謹慎な喩えだけど爆発コントさながらの状態だった。
きっとこの後「黒い雨」を浴びて放射線障害に苦しんだに違いない。

本館から原爆死没者慰霊碑を望む。
本館、慰霊碑、原爆ドームが一直線上に並ぶよう設計されているんですな。
ちなみにこの公園と本館、慰霊碑の設計者は名高い建築家の丹下健三。

慰霊碑にて祈りを捧げたのち、撮影。

「原爆供養塔」。
これは原爆による死者のうち、身元の判らない遺体の遺骨が収められたもの。

「原爆の子の像」。
被爆による後遺症によって白血病を発症し、1955年に12歳で亡くなった少女の死をきっかけにして、同級生たちが募金活動を展開し作られたもの。

現在レストハウスとして使用されている建物。
被爆当時は「燃料会館」という名前だった。
爆心地の至近距離にも関わらず、倒壊を免れて今なお現役。
原爆が爆発した瞬間、運良く地下室にいた1人は奇跡的に軽症で済んだという逸話がある。

かつて瓦礫と死体だらけの光景だったろう川辺も、今や長閑。
平和って素晴らしい。
正面の橋は、原爆投下目標となった相生橋。
投下された爆弾は東の方にそれて、写真右手の写真の外側あたりの上空で炸裂した。

橋を渡り、原爆ドームにご対面。

近くで見ると、崩壊を防ぐために壁の内側に補強の支柱が立てられていることが判る。

石碑がある大通り側から。

原爆ドームから大通りを挟んで反対側に広島市民球場がある。
右手は紙屋町なので、都心の一等地にあると言っていいと思う。
駐車場が充実していれば集客には抜群なんだけど……。
この日はプロ野球の開催の予定がなく入れなかった。
2009年3月に新球場が完成し移転するので、今年中にはもう一度ここを訪ねなくてはならない。

爆心地上空。
当時「島病院」という病院があり、その直上約600mで原子爆弾が爆発した。
63年前の、この空で。

「島病院」のあった同じ場所に現在は「島外科」があり、爆心地であることを示すモニュメントが設置されている。

おそらく紙屋町西の停留所にて、広島駅行きの電車待ちの間に撮影。

広電で広島駅に着いてから、昼食用の弁当とお土産の「カープ最中」を購入。
「カープ最中」は野球のボールを模した最中の中に小豆と餅を入れたもの。
広島土産にもみじ饅頭はマンネリで……という人にオススメのお土産だ。
広島駅の駅ビルの中にある和菓子店「旭堂」で購入可能。
「名物に美味いものなし」と言うけれどこれは美味い。

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janvier 06, 2008

2007年山陽の旅 宮島編

2007年の9月に広島県を旅してきたときの記録。

旅立ちの前に訃報があった。
順番を考えれば私の方がよっぽど生きてる価値も無く先に死ぬべきだろうにと落ち込んだのだけど、既に宿の予約はあるし、やりたいことやってから死ねばいいやと結論づけ、予定通り出発する。

9月19日、新大阪から山陽新幹線の「のぞみ」でおよそ1時間半、広島に到着。
正午より少し前くらい。


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過去、広島は自動車や電車で通過するだけで、降り立つのは初めて。
つまりここから行く先、全て私にとっては未踏の地なのである。
全てが新しい。

さて、1日目の目的地は宮島である。
JR の広島駅を出ずに在来線に乗り換えて山陽本線の宮島口駅で降りるのが常道なのだが、鉄道好きとしては広島電鉄に乗らずにおれない。
何せ原爆を食らっても3日後には一部区間で運転を再開したという広電。
輸送量、路線長が日本一という広電なのだから。

そんな広電だけあって、ターミナルである広島駅は多系統の列車が発着する。
路面電車の停留所であるにもかかわらず、何編成も進入できるよう長く作られている。
阪堺電車の天王寺駅前停留所みたいな貧相なものを想像してはいけない。

上記の電車は、最新鋭の5100系。
超低床車両だ。
一応説明しておくと、路面電車もバスも通常は床下に機械が設置されているので、乗客は乗り降りの際に段を上り下りしなければならない。
だが、超低床車両は機械を座席の下や天井に設置しているので、お年寄りや身体に障害のある人でも乗り降りが楽、という素敵な車両なのだ。
さらに5100系は連接車で、短い5つの車体が3つの台車で繋がっている。
お客さんがたくさん乗るからそれだけ車体もでかいということで、広電の繁栄ぶりが伺えるというものだ。

この時この5100系車両に乗ったかどうかはもう記憶にないが、とりあえずここから宮島口行きに乗った。

宮島口行きの路線は、広島市の中心部を横断していく。
広島駅から10分か15分くらい先、紙屋町のあたりが商業の中心地だ。
大阪とは違って、広島駅のあたりは商業の中心地ではない。
名古屋の商業の中心地である栄が名古屋駅から離れているのと似たような感じだ。
もちろん名古屋同様、広島駅そのものや周囲に商業ビルはあるのだけど。
通りに沿ってデパートやオフィスビルが立ち並ぶ光景に、焼け野原がよくぞここまで復興したものだと、感慨を隠せない。
いや、大阪だって空襲で焼け野原になったんだけど、広島が食らったのは核兵器ですよ。
人間って逞しいもんだ。

Wikipedia にある広島電鉄の路線図を見れば判るが、広電で広島駅から宮島口に向かうまでに停留所が沢山ある。
それだけではなく、広電西広島までは道路上を走るので、交差点で信号が赤になればその都度止まる。
というわけで、とても時間がかかるのであった。

広電西広島からは鉄道線……要するに路面電車ではなくて、普通の電車の路線。
車に混じって走るということはなく、砂利の上に枕木を置いて線路が敷いてある。
昔はこの区間だけ専用の高床の車両(普通の電車と同じ車両)が走っていたらしい。
今は路面電車仕様の車両がそのまま入線する。
プラットフォームだけは当時の名残で、1つのプラットフォームで高床車用の高い部分と、路面電車用の低い部分の2つに分かれている。

JA広島病院前という駅(本当に駅に隣接して病院がある。うるさそう)のあたりで山陽本線と並走し始め、地御前という駅を過ぎると、線路は海岸沿いを走る。
広島湾の眺めを十分堪能して、ようやく広電宮島口駅に到着である。


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駅から出て左に行けば宮島行きの連絡船が出る桟橋がある。
が、私は右に行った。
まず、駅前のコンビニエンス・ストアで日焼け止めを購入。
9月も下旬になるというのに暑くてカンカン照りだから。
そして JR 宮島口駅方面にあるという店で、今日の昼ごはん――ご当地名物駅弁、あなごめしを買うのだ。

ついでに JR 宮島口駅にまで足を伸ばして駅舎を撮影。
田舎の駅とはいえ、著名観光地の玄関口だけあって、結構立派な作りをしている。
コンビニエンスストアもある。

ここにも有害図書追放という名のアホなポストがある。
こんなもので効果があるのか、そしてこんなものを置いていたら田舎丸出しじゃないかと現地の人々は疑問に思わないのだろうか。

JR 宮島口駅から真正面(奥)が桟橋だ。
ただし最初の交差点は歩行者の横断が禁止されているので、地下道を通らなければならない。
地下道への上り下りは階段かエレベーターで行う。

右手の道で桟橋方面の出入り口のそばにあるのが、お目当ての「あなごめし」を作っている「うえの」の店である。

折角店まで来たんだから店の中で出来たてを食べたらよかったと後から気づいたが、弁当の状態でも食べたことがないので悔いはない。
ちなみにこの日は平日なので店の前には私以外誰もいなかったが、土日祝日ともなれば入店を待つ人が出るそうだ。
あなごめし1つ1500円。

左は松大汽船、右は JR 宮島航路の桟橋。
今回は JR を利用した。
ちなみにJR の方は青春18きっぷでも乗船可能。
普通に運賃を払っても、片道170円だけど。

桟橋に着いた途端、目の前で連絡船が出航してしまった。
次の船は15分後。
腹も減っているので、待合室で弁当を頂くことにする。
「あなごめし」は、タレの染みたごはんの上に焼いたあなごを乗せ漬物を添えただけ。
シンプルだが、シンプルな分、調理の良し悪しが味に直結する……はずだ。
口に入れてみると……当たり前だがアナゴの味がする。
だがこんなに柔らかいアナゴを食べるのは初めてだ。
安いパック寿司にあるアナゴ寿司のアナゴのような舌触りとタレの存在感がない。
スーパーマーケットで売られている鰻の蒲焼と、鰻料理店で食べる鰻の蒲焼の違いに似ている。
腹が減っていて大抵のものを美味しく感じる状態だったので、美味しいと思ったのが正しい評価か不明だが、いつだったか、全国の駅弁を食べるのが趣味という人が TV 番組に出演して、「美味しい駅弁ベスト3」の中にこの「あなごめし」を入れていたのを考えると、美味しい駅弁の部類に入るのだろう。
1つ1000円ならなお良いのだけど……。

私も一人、連絡船に乗り――

凍えそうな鳥居見つめ泣いていました――

とか考える余裕もなく、あまりにも有名な厳島神社の大鳥居と社殿を船上から撮影してしまう。
航路が大鳥居の前を通るというのが、JR側の売り文句らしい。

宮島口側は、こんな景色。

宮島に上陸すると、鹿だらけ。
「安芸の宮島 白砂に 腰を下ろせば 鹿のフン フンフンフン 黒豆や……」
と口ずさみたくなるが心のうちに仕舞う。

桟橋を出て海岸沿いに歩くと、厳島神社への参道である。

参道の途中には、団体観光客が大鳥居をバックに集合写真を撮ることができる地点が存在する。

拝観料300円を払い、厳島神社に参拝。
典雅というか、貴族趣味な造りをしている。

本当に水面の上に建てられている。
海水に曝されてよく腐り落ちないものだ。

ここでの祈願は結局通じなかったが、神様なんて所詮そんなもんである。

御朱印の受付は拝殿の中の、お守りや札売り場の端に窓口がある。
巫女さんが言うには「代金はお気持ちで」ということなので相場通り300円を渡した。
しかし商売とはいえ、お金を渡した途端、目の前で露骨に金額を確認するのは神職としてお行儀がよくないような気がする。
口ぶりと顔つきは儀式でのように神妙なだけに余計違和感を覚えた。

これは江戸時代に建てられた能舞台。
なぜかここだけ朱に塗られていない。

出口から割とすぐのところに神社の宝物館がある。
中にあるのは刀剣とか絵画とか地味な代物ばかり。
一番派手なのは平氏が神社に納めた平家納経のレプリカで、キンキラキンの黄金色の紙の上に文字と絵が書かれている。
書き損じたら一体どうするんだろうと考えてしまうところが我ながら即物的だが、ともあれ平氏の栄華を偲ばせる一品である。
宝物館の前には大きな木の輪切りが置かれているが、これは先代の大鳥居の一部らしい。「写真撮影の方 後方注意」という張り紙があるのは、後方は土台が途切れているのに柵がないため。
カメラを構えて被写体を見つめたまま後ずさりすると後頭部から地面に叩きつけられる羽目になる。

宝物館を出た後は、折角なので「宮島ロープウエー」に乗り山を上ることにする。


神社裏手の小川べりで、小鹿を発見。

宝物館から宮島ロープウエーの駅までは、山側に向かって15分ほど上り坂を歩く必要がある。
しかも途中から森林公園みたいな場所に入るので、「本当にこの道で正しいのか?」という気分になってくる。
9月だというのに真夏並みの暑さの中、坂道を歩いてきたもので、ロープウェイの駅に着いたときには汗だくだった。
(ちなみに汗だくになりたくない人は土産物街と駅との無料シャトルバスを利用すればいいが、確か30分間隔の運行だったはず)
駅前の休憩場所にある自動販売機で飲み物を買い、扇風機の前に立って飲む。
汗が引いてきたところで、ロープウェイに乗り込む。

ゴンドラにエアコンなどあろうはずもなく、自然風だけが涼を感じる唯一の手段だ。
ちなみに乗ってから初めて知ったが、宮島ロープウエーは途中に駅があり、2種類のロープウェイを乗り継ぐ形になっている。
麓側はスキーのリフトのように多数の小型のゴンドラが循環する方式(循環式)で、山側は井戸の釣瓶のように大型のゴンドラ2台が同時に往復する方式(交走式)のロープウェイである。
途中駅の連絡通路は急な階段なので、年配の方や身体の不自由な人には辛いと思う。

頂上側の終着駅である獅子岩駅を出ると、サルの群れが出迎えてくれた。
サルが人間を襲わないよう、監視員も居る。
もともと島に居た野生のサルではなく、数十年前、観光開発のために業者が持ち込んで野生化したのだという。
よくある話だ。

ここからさらに歩くと古刹とか山の頂上とかに行けるのだが、暑いし歩き疲れたしでやる気がないので、駅の傍の展望台から海を眺めるだけで満足した。

広島方面。

江田島方面。

四国方面。

展望台はこんな感じになっている。
ゴロゴロしている巨石群は花崗岩だ。
山頂付近はあちこち花崗岩が露出している。

サルの世界では日陰で昼寝と毛づくろいの時間だった。
これがまた、なんとも気持ち良さそうなツラをしている。
眺めていると所作が人間そっくりに思えてくるのが不思議だ。
人間の群れもこう平和だとよいのだが。
しかしこんな中でもどういう理由なのかよく判らないが殺気立った個体が居て、威嚇をしては追いかけられて逃げ、戻って威嚇をしては追いかけられて逃げている。
そいつのせいで、ずっと静かというわけにはいかなかった。

帰り道、交走式のゴンドラ。

麓側の終着駅に到着。
ベンチの間にあるのが涼むのに使った扇風機だ。

駅から歩いて土産物街に向かいぶらついてみたが、もみじ饅頭の店ばかり。
石を投げればもみじ饅頭屋に当たる。
多分道の敷石に出来るくらいもみじ饅頭があると思う。
残る土産物は牡蠣と杓子くらいだ。
牡蠣の塩辛というのに興味をそそられたが、塩辛だけに生牡蠣がベースだから食中毒が怖いので断念。

厳島神社の方に戻ると、日が傾き、潮は退いて社殿の土台がむき出しになっている。
砂浜が広がり、右手の浜辺で水遊びに興じる人々の姿も見えた。

文部省がよって昭和6年に建てられた石碑。

こちらは世界遺産に指定されたことを示す石碑。

フェリー乗り場の建物の入口まで鹿が来ていた。
人を恐れるということを知らない。
後に聞くところによると、観光客の持つ食べ物をひったくってしまうということで問題になっているらしい。
島に鹿を食う天敵がいないから増えすぎてしまったのだという。

帰りの船にて。
インド人の団体客と乗り合わせた。
ここまで来れるってことは富裕層なんでしょうな。

帰り道は広電ではなく、JR の宮島口駅から山陽本線の電車に乗って広島駅まで移動。
広島駅から広電に乗り、今夜の宿のある中国電力前まで乗る。
そうそう、広電はワンマン運転の車両もあるけど、連接車の場合は車掌が乗務して、両替をしたり集金をしたり車内放送をしたりするのだ。
大阪、鹿児島、札幌で路面電車に乗ったことがあるが、人員削減のために車掌はとっくに姿を消している。
利用客が多い広島ならではの、新鮮な光景だった。

この日の晩御飯は、広島と言えばこれ、広島風お好み焼き。
一つの建物にお好み焼き屋が20店舗以上ひしめきあう観光名所「お好み村」を訪ねた。


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店の TV でカープのゲームの生中継を観つつ、広島風お好み焼きにビール。
これが広島でなくて何であろうか。
地元民にとってはオヤツだから夜には食べない?
まあ気にしない。
そもそもお好み焼きとは違う作り方をしてるのにお好み焼きを名乗ってること自体が間違っているのだから、そんなことは瑣末なことだ。

宿は「ドーミーイン広島」。
普通のビジネスホテル。
比較的新しいのか、清潔感がある。
ユニットバス嫌いの私にとって、サウナつきの共同浴場があるのは良い。
たまたま私の泊まった客室は、PC が備え付けられていた。
OS は Windows Vista。
慣れてないからかもしれないけど、使いにくい OS に思えて仕方なかった。

投稿者 Dormeur : 08:00 AM | コメント (0) | トラックバック

mai 24, 2007

5回目のUSJ

2006年12月、5回目の USJ 訪問。
べっ、別に USJ が好きなんじゃないのよ、勘違いしないで!
職場の福利厚生で券を貰うから仕方なく、そう、仕方なくなんだからねっ!
……いや本当にツンデレではなく本心は「太秦映画村行きたい……」なのですよ。

5回目ということでさすがにもう行っとくべきかと、今まで待ち時間が長くて行ってなかった「ジュラシック・パーク」のアトラクションに行く。
待ち時間は90分くらいだったか。
今回は1人ではなかったので、連れと適当に喋りつつ待ち時間をやり過ごす。
それでも行列待ちが苦痛な私には長い長い時間に感じられました。
このアトラクションは映画『ジュラシック・パーク』の世界を再現したもの。
水中のレールに沿って動く船に乗り込み、見学者がジュラシック・パークを進んでいく。
しかし途中で異常事態が発生し、管理されているはずの恐竜たちが暴れだす。
そこを命からがら脱出する、という設定。
コースの締めくくりはジュラシック・パークの管理ビルの中を上っていき、レールを外れて船ごと一気に地上の池まで滑り降りるという、遊園地でお馴染みのいわゆる「急流すべり」になっております。
USJ のアトラクションの常で、1時間や2時間待つだけの価値があるかと言われると肯定しづらいけど、「急流すべり」による緊張と解放のプロセスはそれなりに爽快感を得られる。

USJ はリピーター客を得るために積極的にアトラクションの増設を行っているが、現在稼動しているジェットコースターはこの時は建設中で、コースだけ出来てきているといった感じ。
既に運用されているのは、「オズの魔法使い」の世界を再現した区域だった。
そこにはショーを行うアトラクションがある。
確か2つショースペースがあったのだが、待ち時間の関係で「 WICKED 」だけ観ることになった。
このアトラクションはブロードウェイミュージカルの『 WICKED 』のダイジェスト版。
ギリシア・ローマ時代の劇場を髣髴とさせる半開放型の劇場で行われる。
演者は悪い魔女役だけ外国人で、あとは日本人のようだ。
外国人は当然のように英語で歌を歌う。
ただし人形浄瑠璃のように舞台袖の表示装置(一行だけ表示できる横長タイプ)に歌詞の日本語訳が表示されるし、たどたどしいながらも台詞は日本語を話してくれるので親切。
ダイジェスト版とはいえ生でミュージカルを観るのは初めてだったけど、リズミカルな踊りや大掛かりな舞台装置を用いた演出を眺めて豊かな音響に包まれるってのはよいものですな。
小さい子供には言葉や物語展開が判らなくて辛いかなと思う反面、視覚・聴覚に刺激がたっぷりとあるし時間も30分か40分くらいだったと思うので、退屈な思いはさせないのではないかと。
ともあれ大人同士で行くなら押さえておいて損はしないアトラクションだ。

さて、USJ では一日の締めくくりに中央の池でショーが行われるが今回は「ピーター・パン」であった。
しかしよい見物場所を確保できなかったので、池の上に作られた舞台で何をやっているのかよく見えません。
とりあえず、ピーターが飛んだのが見えた。
飛ばないピーターはただのピーターだ。
ということでよしとしておく。

帰り道、駅近くの商業ビル内にたこ焼の屋台村みたいなのが出来ていたので、そこでたこ焼をつつきつつビールを飲む。
軽く酩酊して上機嫌に帰宅、めでたしめでたし。

投稿者 Dormeur : 11:37 PM | コメント (2) | トラックバック

janvier 13, 2007

大阪市立大学第56回銀杏祭

大阪市の最南端、杉本町の秋を彩るイベントが銀杏祭である。
スペインのバレンシア地方にあるブニョールで行われるトマト祭と同様に、大阪市立大学の構内で学生たちが銀杏をぶつけ合う。
一帯は潰れた銀杏の匂いがたちこめ地獄絵図の様相を呈する。
用意された銀杏が尽きた頃、銀杏まみれになった参加者たちは大学の南側を流れる大和川へ向かい、川の水で体を洗い流して祭りを締めくくるのである。

そんなことを想像したくなるが、実際は普通の学園祭だ。
大学を出て8年ぶりくらいに銀杏祭を見物に出かけた。
もう年が変わってしまってるけど備忘録代わりに書いておきます。

銀杏祭は全学共通の教養科目の講義が行われる区域で行われる。
パンフレットを受け取るとカラー刷りになっていて、すっかり垢抜けた印象だ。
50年以上の歴史を誇った3号館も建て替えられて、そこだけ別の大学のようで落ち着かない。

中庭に建てられた舞台では、応援団が野球部のゲームを模して応援の演舞を行っている。
応援団のアジテーションに合わせて、「そーだー!」と叫んで右手を突き上げる。
大阪市立大学名物の応援、懐かしい限り。

さて、わざわざ足を運んだお目当ては、元近鉄バファローズの佐野重樹の講演だ。
プロ野球ファンにはお馴染みだが、ハゲ頭をトレード・マークにリード時の中継ぎ投手として活躍した人物である。
講演のテーマは彼の失敗談だ。

佐野を有名にした「ピッカリ投法」誕生のエピソードを話の枕に講演は始まった。
当時の近鉄バファローズは低迷していて、マウンドに上った佐野の目にだらしなく守備位置につく野手の様子が映った。
そこで、気合を入れるために「締まって行こう!」とマウンドから背後の野手たちに向かって叫んだが、「高校生かよ」と失笑されてしまう。
気分を変えるために、普段はセット・ポジションから投げているところをワインド・アップで投げることにする。
ところがワインド・アップ・モーションに慣れていないために、振り上げた手が帽子のつばに引っかかり帽子が取れてしまった。
現れたハゲ頭を見た打者は笑い出してしまう。
これはチャンスだ、と思ったのもつかの間、審判がタイムを宣告した。
キャッチャーが笑い崩れてしまっていたのだった。

この事件をきっかけに、佐野はよくスポーツ新聞に取り上げられるようになる。
成績も良好で、中継ぎ投手としては初の1億円プレーヤーにもなった。
しかし同時に増長して、チームへの不満を隠さなくなる。
彼の周りにチームに不満を抱くプレーヤーが集まりだし、チームの雰囲気が一層悪くなっていく。
次第に佐野自身の成績が低迷してくる。
しかし、佐野は起用法などを原因に不振を正当化し不貞腐れるばかりだった。
佐野を見限った球団は彼をトレードでドラゴンズへ放出する。
ドラゴンズでも活躍できなかった佐野は、アメリカに渡り独立リーグでプレイすることになった。

独立リーグでも、かつて1億円プレイヤーだったという自尊心が消えない。
しかしチームメイトはその栄光を聞いても、全く意に介さないのだった。
話し相手もいない。
給料は若いサラリーマン並の薄給だ。
このまま野球を続けられるのか。
しかし、ゲームで活躍し出すと、チームメイトが話しかけてくるようになる。
尊敬を受けるようになる。
オフの日に一緒に出かけるようになる。
そこで佐野は悪いことの原因を他人のせいにしていた自分に気づき大いに反省したのだという。
そんなお話だった。

講演が済み、質問コーナーでは聴衆から2007年シーズンの展望を尋ねられた佐野。
答えて曰く、「ドラゴンズはチーム内部の人間関係がかなり悪いので、2006年どおりの成績には行かないのではないか」だそうだ。

ところで、学生時代に何故か誘われて銀杏祭に一緒に出かけそれっきり、な人と再会してまた銀杏祭に一緒に出かけることになろうとは、世の中不思議な縁もあるものです。

投稿者 Dormeur : 11:55 PM | コメント (0) | トラックバック

décembre 13, 2006

高野山観光

11月3日は文化の日。
というわけで世界遺産、高野山を訪ねた。
本当は避暑がてら、夏の盛りに訪ねたかったのだけど延び延びになって秋になってしまった。
3連休だったり秋の行楽シーズンだったりで、南海電鉄の高野山方面行き特急「こうや」は早くから予約で埋まっていて、行きの指定席は取れたものの帰りは結局取れず。

小さい頃はコロタン文庫の電車大百科で「こうや」の写真をよく眺めたものだ。
今では車両が代替わりしてしまったけど、20年越しの夢が叶った。
長生きはするものです。

高野山までは直線距離の割に時間がかかる。
それというのも橋本からはひたすら急勾配を登っていくからだ。
席が一両目だったので前方の景色が見える。
おかげで勾配のきつさがよく伺える。
これは電車じゃないと登れない勾配だ。
(鉄道は急勾配が苦手なので、昔から登山鉄道は機関車ではなく電車が走っていた)


極楽橋駅で「こうや」とお別れ。
ケーブルカーに乗り換える。
寒い。
下界は秋の割に気温が高めで、長袖シャツ一枚の人もいるくらいだけどここでは上着がないと凍えてしまう。
満員のケーブルカーに乗り込んで、高野山駅に到着。
寺院の立ち並ぶ区域に行くには、ここからさらにバスに乗り換える。

とりあえず時間のかかりそうな奥のほうから行こうと、奥の院への参道の入口である一の橋前で降りる。

高い杉の木立で薄暗い参道の両側には墓所がひしめいて、これぞ高野山という厳かな空間。
墓所は有名な戦国武将や大企業の創業者一族のものがそこかしこに見られるので退屈しない。

薩摩の島津家。

石田三成の墓所。

明智光秀の墓所。

あと、やたら目に付くのが太平洋戦争で南方戦線に向かった部隊の戦没者の合同墓だ。
少し離れたところには戦犯として処刑された人々の慰霊碑もある。
もう靖国神社とか国立戦没者慰霊施設とかややこしいことはやめてここに集めとけばいいんじゃないのという気がする。

奥の院に到着すると、暖房の入った休憩所があって、無料で温かいお茶を飲める。
冷えた体にはありがたいサービスだ。
ただし、お茶を掬うのも飲み終わった後茶碗を洗うのも自分でしなくてはいけない。
このお茶は年季の入った茶釜で沸かされている。
福助の意匠があしらわれた可愛い茶釜だった。

ここには仏像が立ち並んでいて、来訪者は熱心に水をかけている。
なぜ水をかけるのかはよく判らない。
こう寒いと、冷たい水をかけるのはかえって仏罰が下りそうな気がする。
この左手は灯篭堂という大きいお堂に続き、さらにその奥に空海の墓があるのだがその方面は撮影禁止だ。

奥の院を出て、中の橋からバスに乗り苅萱堂へ。
苅萱堂を見物してから昼食とする。
今回は「高野山1dayチケット」を利用したので、割引特典のある懐石料理の店に行ってみた。
ランチで2000円以上するようなところなのだが大混雑。
30分待たされる。
懐石料理だから量も少なく食べ応えがない。
出家したらすぐ痩せそうだ。

食い足りないので、道端で焼き栗を作って売っている店を発見するや買って貪り食う。
天津甘栗はあまり好きではないけれど、ここで売ってたのは和栗なので、粒が大きくちょっとほこほこ感がありうまい。

徒歩で金剛峰寺に到着。
改修中なので見苦しい。
中に入り、買ったばかりの朱印帳に朱印をいただく。
ちなみにここでは寺側から拝観料とは別に料金を請求される。
中は昔の偉い人が滞在したという部屋があって、襖絵や欄間などがお見事。
台所も一般公開されている。

かなり広い石庭もある。
続きの離れには空海の一生を描いた襖絵の部屋が連続している。
この建物は新しそうだし最近描かれたものっぽい。
ありがたみには欠ける。
さらに奥は拝観者と信者のための休憩所・集会所になっていて、無料でお茶菓子が提供される。
出された菓子というのは、ちょっと糖蜜を挟んだウエハース風の煎餅。
なかなか旨い。
一応お土産として買って帰れるけど、買うには高いのでやめた。
ちなみに、この離れには障害者用トイレがある。
寺には不釣合いなのでちょっとびっくり。

金剛峰寺の周辺は大きいお堂が集中している。
いちいち拝観料が必要だ。

帰りの客でバス停が混雑していたので、余裕をもって早めに高野山駅に戻る。
高野山駅は霊山にふさわしい、歴史を感じさせる渋い駅舎だ。

駅の脇にシャコタンならぬシャコチョウ?なマイクロバスを発見。
写真ではちょっと判りづらいか。
冬季の降雪時のために車高を上げてあると推察。

南海の駅は主要駅を除くと概ね整備が遅れていてボロいけど、高野山駅はボロいのがよく似合う。

ケーブルカーが到着、高野山ともお別れだ。
極楽橋からは普通列車で橋本まで行き、橋本で特急「りんかん」に乗り換えて大阪に帰った。
あとは「ラピート」に乗れば南海の特急は全部制覇することになる。
果たしてその日はいつ来るのやら。
また20年後だったりして。

投稿者 Dormeur : 10:26 PM | コメント (0) | トラックバック

décembre 10, 2006

近つ飛鳥観光

飛鳥、というと奈良県の明日香村が有名だが、大阪の羽曳野にも飛鳥という地名がある。
近頃の私は神社がマイブーム。
その流れで読んだ「古事記」の解説本によると、由来はこうだ。

ある時、皇位を狙う弟・墨江の中王に難波宮で殺されかけた履中天皇は、羽曳野を経由して奈良の石上神宮に逃げる。
その天皇のもとに別の弟、水歯別の命がやってくるが、墨江の中王とグルなのではないかと天皇は疑い、拝謁を拒否する。
「反逆するつもりがないなら墨江の中王を殺して来い」と命じられた水歯別の命は難波宮に行き、墨江の中王の側近であるソバカリをそそのかして墨江の中王を暗殺する。
ソバカリを率いて奈良に向かった水歯別の命は、羽曳野から山を越える前に祝宴を開く。
そそのかされて簡単に主君を殺すような奴は危ないので、ソバカリが大きいお椀で酒を飲んでいる隙に水歯別の命はソバカリの首を斬る。
そして明日(あす)になってから、奈良に向かうことにした。
そういうわけで、羽