お出かけの最近のブログ記事

一夜明けて。
夜の間に雨が降ったらしく、地面が濡れている。
空はどんよりと曇っている。
残念。


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海ノ口駅から木崎湖温泉街へ移動。
木崎湖トンネル北側から湖岸の旧国道を通る。


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仁科神明宮から国道に戻って北上、木崎湖を目指す。

「おねがいシリーズ」について知らない人はとりあえず関連動画を観ておいた方が今後の記述が判りやすいはず。

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『おねがい☆ティーチャー』『おねがい☆ツインズ』の舞台として知られる木崎湖を2009年8月にようやく訪問したので、その記録。

木崎湖って何処?という人のために説明しておくと、木崎湖は長野県大町市にある。
大町市はスキーで有名な白馬村の南側にあって、立山黒部アルペンルートの東側の玄関口になっている。
大まかに言えば長野県と富山県が接しているあたりにあるということだ。

大阪、名古屋、東京といった都市から中央道を経由して向かう場合松本市を通るが、松本市には作中で主人公たちが通う高校がある。
松本駅から伸びる大通りをひたすら真っ直ぐ進むと、突き当たりにあるのが「松本市あがたの森公園」。
旧制松本高等学校跡地を中心とした公園だ。


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22 septembre 2009

聖地巡礼 大和国編

8月にふらっと旧大塔村、十津川村、御杖村を訪ねてみた。
国道168号線の「道の駅大塔」の駐車場で一夜を過ごし、夜明け後南下する。
「道の駅大塔」のあたりまでは道路の改良が進んで片側1車線が設けられているが、勾配を下ってダム湖が現れるあたりから、離合に注意が必要な狭隘路になる。
いわゆる酷道という奴だ。
観光名所の「谷瀬の吊橋」は、広い十津川村の北の方に位置している。
観光客用の駐車場は有料。
辺りには自動車の交通整理用の警備員が何人も居たが、その人件費を駐車料金から捻出しているのだろうか。


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16 septembre 2009

ニッポン買出し紀行

旅で仕入れてきた品々。
実用品か、邪魔にならないコレクション品が基準。
すぐに帰るなら函館とか厚岸とかの海産物で安くて旨そうなの買えたけど、今時ネット通販で買えるので無理に買う必要はないと判断。


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新日本海フェリーのあかしあ号は自動車の積み込みの遅れにより、定刻より20分遅れの23時50分に小樽港を出航。

今回、雑魚寝部屋の2等室は嫌なので、S寝台というグレードを選びました。
一人用の個室というものはもともと存在せず、一人用の個室に近いのがS寝台です。

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小樽市から積丹町に移動して、再び小樽市に戻ってきました。
大阪からの走行距離4392km。

今朝、宿から車を出そうとしたらセルモーターがわずかしか動かずエンジンがかからない。
旅行中、給油のついでにテスターでバッテリーの電圧を測ってもらったら12Vを切っていたので、大阪まで持つか不安だったのですが、ダメでした。
まあ、誰もいない原野とかフェリーの出庫待ちの船上とかでエンジンがかからないよりはマシです。
宿主のご好意で自転車を借りて、2.5km離れたオートバックス小樽店までバッテリーを買いに走りました。
港町につき物ですが、小樽も背面が山で、港湾地区から離れると坂が多いのが自転車で走ってよく判りました。
貸してもらった自転車がマウンテンバイクだったので、荷台や籠が付いていないため、帰り道が大変。
傾けたり倒したりするとバッテリーの電解液がこぼれるから丁寧に運ばないといけない。最初ビニール袋をハンドルにひっかけて運転していたら、袋が二重にもかかわらずバッテリーの重みで取っ手部分が千切れてしまいました。
で、脇に抱えてみましたが重くて安定せず、最終的にハンドルバーに箱を乗せて上からバランスを取りつつ押さえつける形で運搬しました。
厳密に言うと道交法違反ですな。


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歌志内市から小樽市に移動しました。
大阪からの走行距離4230km。


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北竜町から歌志内市に移動しました。
大阪からの走行距離4058km。

朝目覚めてみると、「道の駅サンフラワー北竜」の駐車場は、雨で落ちた蛾の群れが自動車に踏み潰されて羽だけになり、そこらじゅうで濡れ落ち葉がへばりついたような状態になっておりました。
それを職員の人かボランティアの人だかが、鉄バサミで回収しておりました。

今日は旭川に出て、それから富良野方面へ走っていきます。
さすがに旭川市内は道内第二の都市だけあって信号待ちが頻繁にあり、市街地を抜けるには結構時間がかかりました。

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猿払村から北竜町に移動しました。
大阪からの走行距離3830km。

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斜里郡清里町から猿払村に移動しました。
大阪からの走行距離3507km。

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厚岸町から斜里郡清里町に移動しました。
大阪からの走行距離3186km。

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津別町から厚岸町に移動しました。
大阪からの走行距離2766km。

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中札内村から津別町に移動しました。
大阪からの走行距離2516km。


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新冠町から中札内村まで移動しました。
大阪からの走行距離2313km。


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伊達市大滝区(旧大滝村)から新冠町まで移動しました。
大阪からの走行距離2057km。

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茅部郡森町から伊達市大滝区(旧大滝村)まで移動しました。
大阪からの走行距離1763km。

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函館市から茅部郡森町まで移動しました。
大阪からの走行距離1509km。

昨日とは一変して快晴。
直射日光に当たると暑いけど、日陰に入ると爽やかで涼しい、北海道らしい天気です。

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岩手県一関市から北海道函館市まで移動しました。
眠い……。
本日は函館市内のホテルに投宿です。

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長野県大町市から、岩手県一関市へ移動。
写真のチェックとかサーバーへのアップロードとかしてたら眠くなってきたので、起きてから加筆・掲載することにしましょう。
ワンセグ放送の電波は受信できないのにイーモバイルが通じるとは……一関でも国道4号沿い方面に行けば多分ワンセグ放送の電波は受信できるとは思いますけど。
平泉では受信できたので。
衆院選の開票速報を見たら自民党がフルボッコ過ぎて何か哀れに思えてきました。
当方の選挙区でも、宗教団体が母体の党の党員の連続当選記録がついに途絶えそうです。

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大阪から宗谷岬まで自動車で行く旅、第1日目は長野県大町市の木崎湖湖畔にて投宿。
今回の旅行は経費節減のため、車中泊が中心ですが、木崎湖には宿泊すべき宿があるので車中泊ではありません。

木崎湖といえば、知る人ぞ知るアニメーション作品『おねがい☆ティーチャー』『おねがい☆ツインズ』の舞台。
そして本日宿泊しているアルペンハイム山正旅館さんは、いわゆる聖地巡礼に訪れるファンを積極的に受け入れ、監督も宿泊したという名物旅館なのです。
合宿でやってきた某大学の学生さんたちは、旅館の廊下に観光ポスターに混じってアニメのポスターが何枚も額に入って飾られているのを見て面食らったでしょう。
引率の職員さんが別の聖地巡礼者に語っているのが聞こえてきたのですが、何も知らずに仕事で木崎湖にやって来たら、前に人に勧められて見たことのあるアニメで見覚えのある風景があるわ、宿に着いたら着いたでそのアニメのポスターやらフィギュアやらアニメ製作者の大量のサイン色紙が飾ってあるわで驚いた……とのこと。
こんな偶然ってあるんですね。(ちなみにその方はアニオタではなく鉄だそうな。)
一般客向け食堂の一角がファン交流用サロンに仕立てられており、フィギュアとサイン色紙はそこに飾られています。
サロンには大型 TV と アニメ DVD-BOX も完備。

撮影したたくさんの写真やビデオを掲載したりコメントしたりするのは後日にして、今日はとりあえず『おねがい☆ティーチャー』の後半の重要なシーンの舞台となった JR 大糸線の海ノ口駅の動画だけ掲載します。

さすが標高が高くて人口が少ない谷間、夜は冷えます。

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「岬めぐり」をカーステレオで鳴らしつつ、潮岬東側をぐるりと周って国道42号線へ再合流。
しばらく走っていると、「橋杭岩」という看板が現れ、右手の岸辺に岩の柱が立ち並ぶ光景が広がる。
少し通り過ぎてから、写真を撮っていこうと引き返して、駐車場に入れた。
駐車料金は無料。

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マンガやアニメが制作される上でモデルになった場所を訪問することを「聖地巡礼」と俗に称するのだが、今回は本来の意味での聖地巡礼である。
不意に休暇が取れたので、平安時代に聖地として貴族の信仰を集めた熊野へ参詣に出た。
大阪からだと田辺市までは高速道路が整備されているが、紀南の方はまだ道路整備が行き届いていないため、かなり時間がかかる。
泊りがけだと楽なのだが、いわゆるゴールデンウィークにかぶるためレンタカーの手配が1日分しか出来ず、やむなく日帰りとなった。
20年ぶりに特急くろしおに乗るプランも考えたが、始発は遅くて終発が早く行動時間が短くなるし、新宮からのバス代なんかも入れると費用的にレンタカーの場合と大して変わらないので、お蔵入りとした。
本当のところ、オーシャンアローに乗りたかったんだけどなあ。

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30 avril 2009

飛田新地訪問

飛田新地は、大正時代に作られた遊郭、赤線である。
売春防止法施行後、店は表向き料亭という名目で営業してはいるが、実際の営業内容は従来と変わっていない。
……と辞書的な知識はあったものの、一回も行ったことがなかった。
まあ私、清廉な人間なもので、お金を払って女性と交わるなんてとてもとても。
大体、15分で11,000円も取られるんだったらエロゲー2本買って20時間から40時間くらい遊んだ方がええやんと思います。
それはそれでダメ人間ですか。

で、先日入った仕事の現場がなんとまさに飛田新地のど真ん中の「料亭」だった。
本当に仕事ですよ。
でないと誰が朝から飛田新地に行きますか。

朝の飛田は性の町とは思えない、平和的な雰囲気。
同行者は風俗街での仕事ということに興奮していたが、私が一番興味があったのは建築物の方。
仕事現場のお店は空襲も逃れたと思われる古い2階建ての木造建築。
外見はもともと1つの建物として作られたようなのだが、後から玄関なんかをいくつも増設して複数店舗が入居するような形になったと思われる。
玄関がいくつもあることを除けば、なるほど伝統ある料亭や旅館といった雰囲気だ。
道路から見ると内部で行き来できるように見えるのだが、実際は廊下を塞いでしまっているようだった。
隣接している建物も、大正モダン趣味を漂わせたコンクリート壁に丸窓の意匠が施されていて、懐古的な気分にさせてくれる。

店の中に入ると、なんだか古い民宿か安旅館みたいだな、というのが最初の印象。
仕事ということで、お店の関係者しか入れない部屋にもずかずか入っていく。
おばちゃんや姫の控え室も普通の民家といった感じ。
生々しかったのは、一番奥の衣裳部屋にぎっしり詰まってた姫用の安っぽくてケバケバしい衣装の山。
ここだけ化粧っぽい香りが詰まっていた。
衣裳部屋の中は無理矢理パーティションで区切られていて、少し綺麗目のウォシュレット式のお手洗いが設置されていた。
いくら飛田でよく遊ぶ男性といえども、このお手洗いを利用した者はそうそう居るまい、フフフ。
各部屋に置いてある布団が目に入ると、ここでいろいろやるんだなーと想像してしまい気分が悪くなってくるので極力見ないようにした。

仕事が終わったのが、午後3時前。
界隈では、ぼちぼち営業が始まっていた。
店の前の道路から見える上がり框の奥に、ライトアップされた女性が鎮座している。
人権的に問題のある表現ではあるが、実態に即して有体に言ってしまえば商品サンプルというわけだ。
横には呼び込みのおばちゃんがいる。
噂は本当だった。
しかし「商品」の女性はあまり私の好みのタイプではなかった。
中にはどっちが呼び込みのおばちゃんやねん、というようなお方も座られておりましたが……まあ、世の中いろんな趣味の方がいらっしゃいますし、若い女性よりも年月を重ねられた女性がお好みという男性もいらっしゃるでしょうから、幅広い需要に対応するという目的には合致しているのでしょう。
私は勘弁してもらいたいけど。

営業内容はともあれ、戦災を免れた建物が今なお息づく町として今後ともあってほしいものだ。

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和田家住宅を出て、わき道を歩く。
民家の壁にムシロのようなものが立てかけられてあるのは、積雪によって窓が壊されたり、縁側に雪が積もったりするのを防ぐため。

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国道156号線を走って突き当たりの T 字路、白川郷の中心街・荻町の交差点に着いたら、目の前が入江診療所(実際は白川診療所)だったので吹いた。
右折して、観光客がぞろぞろ歩いているメイン・ストリートに進入。
11時50分頃、白川郷到着と相成った。

メイン・ストリートの外れあたりに古手神社のモデル、白川八幡神社がある。


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8年ほど自動車を運転していないので練習、という名目で白川郷まで行ってきた。
朝5時に起きて大阪から日帰りという強行日程。
世界遺産である白川郷の観光はもちろん、同人ゲーム『ひぐらしのなく頃に』の背景画像の元ネタ探しも目的。

私は自動車を持っていないので、レンタカーを借りていざ出陣。
車種は日産のノート。
白川郷の方面は3月とはいえ道路が凍っている可能性があるので、オプション料金を払ってスタッドレスタイヤを装着した。

8年のブランクもしばらく運転していたらすぐ埋まった。
適宜休憩を挟みつつ、近畿道、名神高速、東海北陸自動車道と走って11時過ぎに荘川に到着。
渋滞も無くスムーズに走れた。
ノートは加速がよくキビキビと走ってくれる。
高速走行でも車体が安定していてとても運転しやすい。
上り坂でも非力な感じはなかった。

東海北陸自動車道は2008年に愛知県の一宮から白川郷まで開通しているので、普通に白川郷まで観光に行くなら荘川 IC で降りる必要は無い。
しかし荘川から白川郷までの国道156号線沿いにひぐらしスポットがあるので、山道の運転の練習も兼ねてあえて荘川 IC で降りてみた。

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2007年9月22日。
旅の最終日。


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尾道駅前あたりから千光寺山の方を見ると、天守閣風の建物が嫌でも目に付く。
「ビュウホテルセイザン」の玄関を出てすぐ左手で、それを間近で見ることができた。

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2007年9月21日の昼下がり。
尾道探検の続き。


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千光寺ロープウェイの麓駅を下りてすぐ左手にあるのが、喫茶店「こもん」。
『転校生』で屋外席が登場してた。
室内の方も『ふたり』で登場してたはず。
オーナーが尾道のフィルムコミッションで活動しているとかいう話で、店がロケ中のスタッフの溜まり場にもなり、エンディングのスタッフロールに「こもん」の名がクレジットされてた覚えがある。

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2007年9月21日、尾道の町を探検する。

まず宿である「グリーンヒルホテル尾道」を出て、朝食を食べに駅方面へと歩道橋を歩く。

昨夜の写真にもちらっと映っているのだけど、フェリーターミナルの北側に「しまなみ海道館」という建物がある。
今治から尾道まで、瀬戸内海を自動車で渡れるようになったのを記念して建てられた施設らしい。
観光案内・休憩所・イベントホールを兼ねているものの閑散としていて、地方にありがちな、無駄金を使った施設の香りがプンプンする。
その北側に線路に隣接してこの付近では一番高さがあり新しいのではないかと思われる建物がある。
2階までが広島の百貨店「福屋」の支店や飲食店などの店舗が入居し、3階以上は住居。
2階の喫茶店は実は有名な尾道の喫茶店の支店らしいのだが、知らずにスルーしてしまい、1階に入っているミスタードーナツでの朝食にしてしまった。

胃袋が満たされたところで、駅のコインロッカーに荷物を預け尾道探検を開始する。
目的は大方お察しのことでしょうが、『かみちゅ!』と大林宣彦の映画のロケ地めぐりでございます。

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2007年9月20日、JR 広島駅から呉線に乗って呉へ。

呉線は広島(正確には海田市)から瀬戸内海沿いに呉、竹原を経由して三原に至る路線。
全線単線だが電化されている。
車両はありふれた103系、105系、115系くらいしか走っておらず、あまり面白みがない。
臨時列車として運行されているキハ47の改造車「瀬戸内マリンビュー」が唯一目を引くが、時間が合わず乗車できなかった。


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ぼんやり海を眺めつついるうちに、呉駅に到着。

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2007年9月20日は、広島から呉を経由して尾道まで辿る。

宿を出て、訪ねることが長らく念願だった場所――広島平和記念公園に向かう。


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まずは広島平和記念資料館から。
建物は東館と本館に分かれている。
上記の写真右手が東館で、こちらが入口である。
入場料はなんとたったの50円。

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2007年の9月に広島県を旅してきたときの記録。

旅立ちの前に訃報があった。
順番を考えれば私の方がよっぽど生きてる価値も無く先に死ぬべきだろうにと落ち込んだのだけど、既に宿の予約はあるし、やりたいことやってから死ねばいいやと結論づけ、予定通り出発する。

9月19日、新大阪から山陽新幹線の「のぞみ」でおよそ1時間半、広島に到着。
正午より少し前くらい。


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24 mai 2007

5回目のUSJ

2006年12月、5回目の USJ 訪問。
べっ、別に USJ が好きなんじゃないのよ、勘違いしないで!
職場の福利厚生で券を貰うから仕方なく、そう、仕方なくなんだからねっ!
……いや本当にツンデレではなく本心は「太秦映画村行きたい……」なのですよ。

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大阪市の最南端、杉本町の秋を彩るイベントが銀杏祭である。
スペインのバレンシア地方にあるブニョールで行われるトマト祭と同様に、大阪市立大学の構内で学生たちが銀杏をぶつけ合う。
一帯は潰れた銀杏の匂いがたちこめ地獄絵図の様相を呈する。
用意された銀杏が尽きた頃、銀杏まみれになった参加者たちは大学の南側を流れる大和川へ向かい、川の水で体を洗い流して祭りを締めくくるのである。

そんなことを想像したくなるが、実際は普通の学園祭だ。
大学を出て8年ぶりくらいに銀杏祭を見物に出かけた。
もう年が変わってしまってるけど備忘録代わりに書いておきます。

銀杏祭は全学共通の教養科目の講義が行われる区域で行われる。
パンフレットを受け取るとカラー刷りになっていて、すっかり垢抜けた印象だ。
50年以上の歴史を誇った3号館も建て替えられて、そこだけ別の大学のようで落ち着かない。

中庭に建てられた舞台では、応援団が野球部のゲームを模して応援の演舞を行っている。
応援団のアジテーションに合わせて、「そーだー!」と叫んで右手を突き上げる。
大阪市立大学名物の応援、懐かしい限り。

さて、わざわざ足を運んだお目当ては、元近鉄バファローズの佐野重樹の講演だ。
プロ野球ファンにはお馴染みだが、ハゲ頭をトレード・マークにリード時の中継ぎ投手として活躍した人物である。
講演のテーマは彼の失敗談だ。

佐野を有名にした「ピッカリ投法」誕生のエピソードを話の枕に講演は始まった。
当時の近鉄バファローズは低迷していて、マウンドに上った佐野の目にだらしなく守備位置につく野手の様子が映った。
そこで、気合を入れるために「締まって行こう!」とマウンドから背後の野手たちに向かって叫んだが、「高校生かよ」と失笑されてしまう。
気分を変えるために、普段はセット・ポジションから投げているところをワインド・アップで投げることにする。
ところがワインド・アップ・モーションに慣れていないために、振り上げた手が帽子のつばに引っかかり帽子が取れてしまった。
現れたハゲ頭を見た打者は笑い出してしまう。
これはチャンスだ、と思ったのもつかの間、審判がタイムを宣告した。
キャッチャーが笑い崩れてしまっていたのだった。

この事件をきっかけに、佐野はよくスポーツ新聞に取り上げられるようになる。
成績も良好で、中継ぎ投手としては初の1億円プレーヤーにもなった。
しかし同時に増長して、チームへの不満を隠さなくなる。
彼の周りにチームに不満を抱くプレーヤーが集まりだし、チームの雰囲気が一層悪くなっていく。
次第に佐野自身の成績が低迷してくる。
しかし、佐野は起用法などを原因に不振を正当化し不貞腐れるばかりだった。
佐野を見限った球団は彼をトレードでドラゴンズへ放出する。
ドラゴンズでも活躍できなかった佐野は、アメリカに渡り独立リーグでプレイすることになった。

独立リーグでも、かつて1億円プレイヤーだったという自尊心が消えない。
しかしチームメイトはその栄光を聞いても、全く意に介さないのだった。
話し相手もいない。
給料は若いサラリーマン並の薄給だ。
このまま野球を続けられるのか。
しかし、ゲームで活躍し出すと、チームメイトが話しかけてくるようになる。
尊敬を受けるようになる。
オフの日に一緒に出かけるようになる。
そこで佐野は悪いことの原因を他人のせいにしていた自分に気づき大いに反省したのだという。
そんなお話だった。

講演が済み、質問コーナーでは聴衆から2007年シーズンの展望を尋ねられた佐野。
答えて曰く、「ドラゴンズはチーム内部の人間関係がかなり悪いので、2006年どおりの成績には行かないのではないか」だそうだ。

ところで、学生時代に何故か誘われて銀杏祭に一緒に出かけそれっきり、な人と再会してまた銀杏祭に一緒に出かけることになろうとは、世の中不思議な縁もあるものです。

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13 décembre 2006

高野山観光

11月3日は文化の日。
というわけで世界遺産、高野山を訪ねた。
本当は避暑がてら、夏の盛りに訪ねたかったのだけど延び延びになって秋になってしまった。
3連休だったり秋の行楽シーズンだったりで、南海電鉄の高野山方面行き特急「こうや」は早くから予約で埋まっていて、行きの指定席は取れたものの帰りは結局取れず。

小さい頃はコロタン文庫の電車大百科で「こうや」の写真をよく眺めたものだ。
今では車両が代替わりしてしまったけど、20年越しの夢が叶った。
長生きはするものです。

高野山までは直線距離の割に時間がかかる。
それというのも橋本からはひたすら急勾配を登っていくからだ。
席が一両目だったので前方の景色が見える。
おかげで勾配のきつさがよく伺える。
これは電車じゃないと登れない勾配だ。
(鉄道は急勾配が苦手なので、昔から登山鉄道は機関車ではなく電車が走っていた)


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10 décembre 2006

近つ飛鳥観光

飛鳥、というと奈良県の明日香村が有名だが、大阪の羽曳野にも飛鳥という地名がある。
近頃の私は神社がマイブーム。
その流れで読んだ「古事記」の解説本によると、由来はこうだ。

ある時、皇位を狙う弟・墨江の中王に難波宮で殺されかけた履中天皇は、羽曳野を経由して奈良の石上神宮に逃げる。
その天皇のもとに別の弟、水歯別の命がやってくるが、墨江の中王とグルなのではないかと天皇は疑い、拝謁を拒否する。
「反逆するつもりがないなら墨江の中王を殺して来い」と命じられた水歯別の命は難波宮に行き、墨江の中王の側近であるソバカリをそそのかして墨江の中王を暗殺する。
ソバカリを率いて奈良に向かった水歯別の命は、羽曳野から山を越える前に祝宴を開く。
そそのかされて簡単に主君を殺すような奴は危ないので、ソバカリが大きいお椀で酒を飲んでいる隙に水歯別の命はソバカリの首を斬る。
そして明日(あす)になってから、奈良に向かうことにした。
そういうわけで、羽曳野のその地を飛鳥と言うようになった。
それから山を越えて奈良に入った水歯別の命は、人を殺して穢れている身をそそぐために禊をする。
そして明日(あす)になってから、石上神宮に向かうことにした。
そういうわけで、奈良のその地も飛鳥と言うようになった。
難波宮に近い羽曳野の方が「近つ飛鳥」、難波宮から遠い奈良の方が「遠つ飛鳥」である。

この話でもわかるように羽曳野は大阪と奈良の交通の要所だった。
大量の古墳が見つかっており、歴史学上で河内王権と呼ばれる政治勢力があったと考えられている。
その古墳だらけの近つ飛鳥の山の中に建てられた博物館が、大阪府立近つ飛鳥博物館だ。
名前だけ見て「つ」って何だろうと長い間気になっていたこの博物館を、疑問が氷解した記念に訪ねてみた。

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4 décembre 2006

池田観光

ムヒが丘にかゆみを乗せるのは池田模範堂。
高校野球界を席巻したのは徳島県立池田高校。
北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線が通っていたのは北海道の池田町。
10月21日、誘われるがままに赴いたのは大阪府の池田市。

池田市はインスタントラーメン発祥の地として知られる。
日清食品創業者の安藤百福は池田市にあった自宅の作業小屋でチキンラーメンを開発した。
その縁で、日清食品は当地に「インスタントラーメン記念館」を建設し無料で開放している。
近所には度々行ってるのだけど、「インスタントラーメン記念館」には行ったことがなかったので丁度良い機会だった。

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26 novembre 2006

宇治観光

10月15日。
何となく宇治に行きたくなったので行ってみる。
京阪の淀屋橋駅から特急に乗り中書島駅で宇治線に乗り換え、宇治駅で降りるという道のり。
宇治線は初乗車。
盲腸線的な路線ながら複線化されていて、京都・大阪のベッド・タウン的な位置づけで整備されているような感じ。
宇治駅はここ10年くらいに改装されたのか清潔でモダンな印象。
駅舎にアンスリーとミスタードーナツが入居している。
しかしプラットフォームの柱に延々「うじ」と記されているのを見ると体がかゆくなってくる。
傷口からうじ虫が!出てくるの!掻いても掻いても!助けてオヤシロ様!


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19 novembre 2006

上野幻影譚

10月9日。
何となく上野まで遊びに行ってみました。
天王寺から JR で東へ向かう列車に乗ります。
長い道行です。
加茂から気動車に乗り換え。
関西本線の非電化区間に乗るのは10年ぶりでしょうか。
笠置駅を過ぎて数分でしょうか、例の心霊スポット「笠置ホテル」の姿を車窓から確認できました。
川沿いとはいえ駅前の温泉街から離れていて、一つ尾根を越えたあの場所では客が入らず廃ホテル化するのも納得です。
そうこうしているうちに、あっさり上野に着きました。
あれ、おかしいなあ。
名古屋や熱海は何時の間に過ぎたのでしょうか。

上野駅の周りは田んぼだらけで、高層ビルは見当たりません。
東京砂漠というくらいのもので、砂漠化のあと緑化されて今の状態になったのかもしれません。
なぜか近鉄の路線があり、これに乗ると市街地に行けるようです。
ワンマン運転の電車に乗り込みます。
路線が悪いのか、走行中に隣の車両との連結部を見ていると、隣の車両が揺れまくってジャンプしています。
程なく、上野市という駅に着きました。
どうやら荒廃した東京は上野を中心に復興して市制を敷いているようです。
上野公園はどうなっているのでしょうか。
駅から歩いてみますと、市役所の向こう側に緑の豊富なところがありました。
どうやらここが上野公園のようです。
動物園はどこにも見当たりません。
博物館は残っているようですが、職員はなぜか皆、忍者の格好をしています。
久しぶりに博物館に入ろうと思いましたが、先に腹ごしらえをすることにしました。
食事が出来る場所は、近くの蕎麦屋だけです。
味は悪くありませんが、値段が全体的に高めでした。

博物館は木造の建物とコンクリートの建物です。
木造ではありますが、回転ドアがついています。

かつて回転ドアに子供が挟まれる事故があったせいか、回転ドアを子供が利用する際は職員が付き添っていました。


安全対策は徹底しているようで、いざというときは職員が床から刀を取り出し、不審者から子供たちを守ってくれるようです。

建物の脇では、芝居が行われておりました。
前説のお兄さんはすごく声の通りがよく、気持ち悪いくらい子供に対し丁寧です。
演目は真剣で藁を一閃したり、手裏剣を畳に向かって次々と命中させたりと、熟練の技を披露するものでした。
若い女優も登場し、その端整な顔に似合わず俊敏な動きを見せておりました。

博物館からしばらく歩きますと、堀が目の前に広がりました。
かなり高い石垣です。
いつの間にか皇居のあたりまで来ていたのでしょうか。

天守閣が復元されているようです。
休日だからか、屋台がいくつか並んでいます。
天守閣の中に入ってみますと、食器や武器防具など、江戸時代の品々が展示されていました。

松尾芭蕉ゆかりの建物というのも近くにあったのですが、ギリギリ入場時刻に間に合わず、入れませんでした。
大人しく帰ることにします。

駅に戻ると、悪趣味なデザインの電車が入線してきました。
もののけの類らしく、これに乗れば1時間もかからずに神戸まで行けるようです。
これ幸いと乗り込み神戸に到着。
神戸の駅も高架であるはずが、地上駅になっています。
これは忍者のあやかしの術が見せる幻影でしょうか。
しかし、考える暇もなく、鶴橋まで乗り換えなしで行けるという黄色い塗装の電車が入線してきたので慌てて乗り込みました。

鶴橋で下りますと、見慣れた風景です。
大阪は変わらずありました。

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9月30日、プラド美術館展を観覧。
天王寺公園から天王寺動物園を巡って『ジョゼと虎と魚たち』の真似事などをしてから大阪市立美術館に至るコース。
天王寺公園に入るのって、小学生の頃にやってた「天王寺博覧会」のとき以来かもしれない。
近所に住んでるのになあ。

スペイン絵画の傾向として、「暗い色調の画面の中に明るい部分を少し置いて際立たせる」という画面作りをした作品が多い気がした。
時に背景あるいは人物の衣服が真っ黒で、その黒というのが液晶 TV の宣伝文句に出てくる「引き締まった黒」という表現を使いたくなる深みを湛えていた。
あと、誰の作か忘れてしまったけど、展示されていた静物画の質感が激ウマだったのに驚嘆したことを強く覚えている。

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9 novembre 2006

北海道旅行 4日目

わずか4日で北海道とお別れ。
その4日目。
さすがに旅の疲れか、予定時刻を寝過ごしてしまったもののしっかり朝食を摂って宿を発つ。
今日もひたすらベタに北海道観光だ。
宿から札幌駅に着くまでの間にどんどん巡っていきます。
まずは大通公園。


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24 octobre 2006

北海道旅行 3日目

特急まりもの寝台で目覚めると、既に石狩平野であった。
時刻は5時を周っている。
寒い。
急いで着込む。
5時50分、札幌着。
しかし、こんなに早く着いても何もやることがない。
何となく、プラットホームに停車している車両を撮影してみる。


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19 octobre 2006

北海道旅行 2日目

そもそもこの旅行の直前には日本列島を台風が襲った。
飛行機が欠航になると宿や交通の予約が全てパァになってしまうので、その動向を戦々恐々と注視したものであった。
日本海を走り北海道を横断した台風は、旅行出発日である9月20日の午前中にオホーツク海へと抜け、ギリギリ事なきを得たのである。
台風一過ということもあって、9月21日の道東は素晴らしい晴れの天気に恵まれた。

朝、釧路駅前。
教会の後ろにあるのが前夜宿泊した釧路ロイヤルイン。
写真の背後に当地で路線バス事業を営む阿寒バスのターミナルと営業所がある。
この日は阿寒バスが運行している定期観光バス「ニューピリカ号」に乗り、道東の名所を巡るという趣向。
レンタカーを借りるという手もあったが、さすがに自動車を8年近くも運転していないので危険だし、知らない道を通って効率よく巡れるかというと疑問だ。
バスなら座ってるだけで広大な道東を予定時間通りに巡ることができる。

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16 octobre 2006

北海道旅行 1日目

鍛え行こうランランランラン 何となく鍛え 何となく鍛え 行っちゃおうかな。

北へ。 ~ Diamond Dust ~

というわけで、9月20日、北海道へ旅立ち。
北海道観光アドベンチャーゲーム『北へ。 ~ Diamond Dust ~』で予習はバッチリである。

今まで行ったことのある北限は新潟県、東限は千葉マリンスタジアムという私。
どうせアイヌモシリを踏むならば、札幌ドームでのファイターズ対マリーンズ戦でと決めていたのだが安価なチケットが手に入らず、ついカッとなって観光旅行を決め込むことにしたのだった。

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また1ヶ月前のことで筆不精がバレバレだが、京都市美術館にて行われている「ルーヴル美術館展-古代ギリシア芸術・神々の遺産-」を観に京都を訪ねた。
京都市美術館は平安神宮の大鳥居をくぐって左側。
7月に「藤田嗣治展」を観た京都国立近代美術館の真向かいにある。

今回の展覧会は、ルーヴル美術館に収められている紀元前5世紀から紀元前4世紀頃の古代ギリシアの美術品を展示するもの。
大理石の彫刻がメインだが、陶器やテラコッタ人形なども展示している。
歴史の教科書なんかでおなじみ、ソクラテス、プラトン、アリストテレスのギリシア3大哲学者の彫像もある。
彫刻は建造物に刻まれたものを除くと、古代ローマで作られた複製品が多い。
それにしても日本で弥生時代をやってるときにここまで写実的な素晴らしい彫刻を作るとはさすが西洋文明の礎となった文明だと感嘆せざるを得ない。

展示品も素晴らしかったが、それを収める美術館も素晴らしかった。
1933年に建てられた洋風建築で、重厚で味わい深い建物。
天井や戸の高さ、柱の太さに威厳を感じる。
古代ギリシアの美術品を展示するに相応しい貫禄があった。

「ルーヴル美術館展-古代ギリシア芸術・神々の遺産-」は2006年11月5日まで開催されています。

美術品と美術館を堪能したついでに、平安神宮に足を伸ばして参拝。
平安神宮は明治時代に平安遷都1100年を記念して、桓武天皇を祀って創建された神社だ。
桓武天皇は弟に暗殺の嫌疑をかけて島流しにし憤死させたところ、皇族が次々と病気にかかったため、「弟の怨念のせいだ」とびびって長岡京から平安京に遷都したというおっさんである。
これが神と言われてもなあという気がする。
信仰する気にはならないが、平安神宮は朱塗りが鮮やかに輝いて立派な威容を誇る神社ではある。

門をくぐると野球が出来そうなほどの広場が広がる。

大極殿で形式的に柏手を打ち、一服してから早々に辞した。


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学生時代に受けた教えの一つに、「世の中の藤田は二種類に分けられる」というものがある。
つまらない藤田と、つまらなくない藤田である。
前者に該当するのは私で、後者に該当するのは藤田嗣治。
藤田嗣治はフランスでレオナール・フジタとして知られる画家だ。

しかし、モネやルノワールやピカソの名を知っている日本人は多いが、藤田嗣治の名を知っている日本人は少ない。
学校教育でもほとんど取り上げられない。
日本の洋画家では、世界的に最も成功した人物であるにも関わらず、である。
藤田嗣治は太平洋戦争中、軍部の要請に従って戦争画を描いた。
敗戦後その責任を追及された彼は、嫌気が差して日本国籍を捨てフランスに帰化する。
そしてその後日本に帰ることなく亡くなった。
その経緯から日本の美術界は藤田嗣治の業績を軽んじたし、藤田嗣治の遺族もまた日本の美術界を恨み、展覧会の開催には非協力的であったという。

私も藤田嗣治の名前は知っているし、作品を一つ二つ写真で観たことはあるのだが、その生涯でどんな絵を描いたかとなると、最近になって藤田嗣治を紹介する TV 番組を目にするまでさっぱり知らなかった。
それが今年、藤田嗣治の作品をその若き時代から晩年のものに至るまで取り揃えた展覧会が開かれるというのだ。
この機会を逃すわけには行かない。
そういうわけで、展覧会が開かれている京の町に足を運んだのであった。
あまり京都とは縁のない人生なもので、1ヶ月に2度も京都に行くのは初めてのことだ。
会場である京都国立近代美術館も初めてだ。

「京都国立近代美術館」って、「京都国」っていう国があるかのような名前だよな、と思いながら「見つめて☆新選組」「ぶるまーずへようこそ」を放吟しつつ、ナンバ走りで京阪三条駅から平安神宮方面へ向かう。
というのは当然嘘で、物静かに歩いていったのだが、三条通は高い建物が少ないうえに電柱が地面に埋められているので、景観が非常にすっきりしている。
都会っ子であり、かつ電柱・電線嫌いの私としては心地よい空間だ。
そんな京都の町も一つ角を曲がれば電柱・電線に埋もれているのだが。

つまらない前置きはこのへんにして、今回の展覧会の内容を書こう。
前にも触れたとおり、この展覧会は藤田嗣治の画業を辿るという構成になっている。
こうして観ると、彼の画風が時代によって次々と変化していくのがよくわかる。

藤田嗣治は20代でパリに渡り、貧窮のなか絵を描き続けた。
当時最先端のキュビズムを取り入れたり、人物をのっぺりと単純化したり、試行錯誤している。
第一次世界大戦中から名声が高まり、戦後のパリでは売れっ子画家となって経済的にも成功する。
「これが油絵か?」と疑うほど滑らかで白い女性の肌と、細い筆で縁取られた輪郭線が特徴的。
画面は立体感がなく、全体的に白っぽく淡い。
その分、画面の中で黒く描かれた部分が鮮烈な印象を与える。

1930年代になると嗣治は個展開催のため南北アメリカに渡ったのち、日本に帰国する。
このあたりではパリ時代の「白さ」が影を潜め鮮やかで立体的な絵になる。

嗣治は再びパリに戻るが第二次世界大戦勃発のため再び日本に帰国し、戦争画の製作を手がける。
この戦争画、特に『アッツ島玉砕』には参った。
両腕を広げたくらいの幅の作品で、暗がりのなか画面いっぱいに敵味方判らず兵士たちがひしめき合っている。
白兵戦ではあるが、戦っているというより、訳も判らず潰しあっているような肉体の塊がそこにある。
ダイナミックであり、同時に神話における戦いのような荘厳さもある。
絵の前に立つと、得体の知れない波動がムンムンと体を覆ってくる気がする。
これは TV の画面や図録では判らない。
生を見てこそ得られる体験だ。
戦中、展示されたこの作品を観た人々は、絵の前に置かれた箱に賽銭を投げていったという。
「軍神」という言葉も陳腐になる超越性を当時の人々も感じたのではないか。
これをもって単純に「戦意発揚のための絵画」と切って捨てたり、「戦争画家」のレッテルを貼り付けることはあまりにも乱暴だと思った。
共産主義国家のプロパガンダ・アートのような単純さとは全然趣が違うのだ。
むしろ戦争の凄惨さを伝え、観る者を内省的にさせるような気がする。

しかし戦後、日本画壇は戦争協力者として嗣治を非難する。
嫌気が差した彼はフランスに帰化。
日本国籍を捨ててカトリックの洗礼を受け、パリ郊外に蟄居しつつ子供の絵や宗教画を描いた。
かつてのパリ時代の「白さ」をたたえた肌を持つ子供たちではあるが、どれも同じ顔。
広い額に釣り目を持ち、澄ました表情をしている。
ミステリアスで不気味だ。
しかしこれが子供の居ない嗣治にとって、彼なりの子供の姿だったらしい。
この時代のもので目を引いたのは「 48 Richesses de la France 」という作品。
フランスにちなんだ単語をモチーフにして正方形の小さな紙に子供が描かれ、それがタイルのように敷き詰められている。
子供向けのフランス語単語帳のようであり、ユーモラスで可愛い。

とまあこんな具合で、「藤田嗣治はこういう画家」と一言には言えない人物であった。
しかしその作品をこの眼で観ると、獲得した名声も納得できる。
偉大なる藤田を前に、つまらない藤田は背中を丸めて京の町を後にしたのであった。

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京の都で納涼といえば川床。
以前から興味があったのだけど未体験。
今年初めて川床料理を味わう機会に恵まれた。

川床というと鴨川のイメージがあったので、貴船もそういうところなのだろう、と勝手に思い込んでいたのだけど、いざ調べてみると山の中。
源義経ゆかりの鞍馬寺の一駅前じゃありませんか。

京阪電車に揺られて出町柳。
出町柳から叡山電車に揺られて山の中に分け入り貴船口に到着。

貴船口に着くなり、清流の生み出す空気とせせらぎの音に涼感いっぱい。
肌寒いくらいだ。

ここからさらに料亭の送迎バスに揺られて川沿いの道を行く。
貴船神社の入口を少し越えた当たりに今回ご厄介になった「右源太・左源太」はある。


渓流の川幅いっぱいに鉄骨を組んで床を作り、その真上で料理をいただくという寸法である。

その料理のうまいこと。
そして熱燗をいただく。
至福、であります。
まったく、ニートにならずに働いた甲斐があるというもの。
1食1万2千円という贅沢だけども、来てよかったな、としみじみ思う。

帰りは四条で降りて「見つめて☆新選組」を脳内BGMに河原町まで歩く。
暑い。
街角の温度計は33度を指していた。
同じ京都なのにここまで違うのか。

和泉式部ゆかりの貴船神社に参拝できなかったので、また貴船には避暑に行きたいところであります。
今夏に再び川床料理は財布に厳しいけれど。

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毎年恒例の修学旅行。
今回は神奈川県の箱根です。

午前9時前、新大阪発の東海道新幹線「のぞみ」で小田原へ。
小田原には「のぞみ」が停車しないので、名古屋で「ひかり」に乗り換え。
午前11時9分、小田原着。


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高校生の頃だったか、学校行事で和歌山県の加太駅を訪れたときにその駅の雰囲気が印象に強く残った。
和歌山市から単線の電車に乗って山間を抜けた先、漁港の町にあるのどかな田舎の終着駅である。
緑少なく閉塞感のある都会を離れてのんびりしたいな、と思ったときに思いついたのがこの加太。
WEB で調べてみると、加太の沖合にある友ケ島が観光地として知る人ぞ知る名所であるらしい。

加太は大阪湾の入口、紀淡海峡の紀伊半島側にある。
太平洋から神戸港や大阪港に入る船は、愛媛方面から瀬戸内海を通るルートを選ばない場合、全てここを通ることになる。
神戸や大阪といった都市を狙って海から攻めてくるであろう外国の軍艦も同様だ。
そこで明治時代、国土防衛の重要な拠点として、加太から淡路島の由良に至る紀淡海峡の一帯には軍により由良要塞と呼ばれる要塞が築かれた。
紀淡海峡を通る軍艦をここから砲撃し撃退しようというわけだ。
しかし時代は軍艦の時代から航空戦力の時代となり、神戸や大阪はアメリカ軍の空襲でズタボロに焼かれてしまうことになる。
日本を占領したアメリカ軍により、由良要塞の砲台は撤去された。
軍事拠点であるため民間人の立ち入りが禁止されていた友ケ島にも民間人が出入りできるようになり、観光地として開発される。
浜遊びやキャンプのほか、島中に残る要塞の廃墟が名物となっている。

というわけで興味をそそられ、連休を利用して友ヶ島を訪ねることにした私。
大阪の難波から南海電鉄の特急サザンに乗り和歌山市へ。
和歌山市から南海加太線に乗り換え加太に到着。
大阪から1時間半、長かった。
ちなみに運賃は930円、特急サザンの指定席料金が500円。

記憶の中の加太駅よりは少々こじんまりした印象。
しかしボロさ加減とか、白地の板に手書きの駅名標なんかがノスタルジック。

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文明のあるところ酒あり。
世界中で生み出される酒の中で、今のところ私の一番のお気に入りはスコットランドにあるアイラ島のシングルモルト・ウイスキーである。
スモーキーなピート香に潮風を思わせる塩味、喉から胸に染みるボディ。
値は張るが、それに見合った心地よい酔いをもたらしてくれる。

そのモルトウイスキーの製造が遥か東の島、日本で始められたのは1923年のことであった。
場所は大阪と京都の県境にある山崎。
山崎蒸留所では今もなおウイスキーの製造が行われ、観光コースとして工場見学が一般に開放されていることで有名だ。
我が家からだと同じ大阪府内で交通の便も悪くない。
少なくともスコットランドに行くよりは気軽。
しかし見学受付は2名から、というのが障害になっていた。
ただでさえ知人友人が少ないのに、ウイスキーが好きだとか工場見学に興味があるとかで見学に誘えるような人間となると尚更居なかったからだ。
いつか行きたいと思い続けて幾星霜。
長生きはするもので、ついに山崎蒸留所に足を踏み入れる時が来た。

電話で見学の予約を入れ、蒸留所内に建てられた観光施設「山崎ウイスキー館」の2階に集合して見学はスタート。
若い女性の案内係に連れられて工場内に入り、ウイスキーの製造工程を見て回る。
ウイスキー好きなら承知のことだが、目で見て鼻で感じて確認、だ。

最初は仕込みから。
巨大なタンクに水と麦芽を投入して麦汁を作る。
タンクのある部屋に入ると、酒粕の香りを濃厚にしたような甘くて重い香りが充満していた。
ガラスで仕切られた隣の発酵桶から漂ってきた香りかもしれない。
麦汁は酵母の力で発酵し、マッシュ(もろみ)と呼ばれる低アルコールの液体となる。
これがポットスティルという装置で蒸留され、高アルコールの液体になる。
焼酎だと蒸留は1回だが、ウイスキーは蒸留を2回行う。
部屋は熱気でムンムンとしている。

写真の真ん中にあるのは、職人が蒸留された液体を掬って味見をするための窓。
蒸留されて出来た無色透明のこの液体を「ニューポット」という。

ニューポットは樽に詰められ、少なくて6年、長ければ数十年熟成され、琥珀色に色づくと共に穏やかな風味となる。
倉庫の中は薄暗く寒い。
でも埃っぽくはなくて、落ち着いた木の香りが漂い清涼。

光量が足らないので樽に押し付けて撮影してみたが、やはりブレてしまった。

これでウイスキーの原酒の出来上がり。
工場内の見学が出来るのはここまでだ。
商品化するには樽から取り出した原酒を水で割ったり、酵母や熟成法を変えて作った他の様々な原酒とブレンドしたりして瓶詰めするのだが、その過程は見ることができない。
見学客は試飲スペースへと案内され、「山崎12年」と「響17年」がセミロックで振舞われる。

量はシングル。
無料なのは嬉しいが、後のツアー客がつかえているせいか15分程度で早々と追い出されてしまった。
味はというと、「山崎」は穏やかで大人しい風味。
「響」はブレンデッド・ウイスキーだけあって尚更穏やかな風味に仕立て上げられていて、アイラモルトに慣れた舌には少々物足りない。
まずくはないんだけど。

見学・試飲を終えた後は「山崎ウイスキー館」2階にある土産店で「山崎樽出原酒15年貯蔵」と蒸溜所限定販売のシングルモルトを購入した。
昔「マッカラン」を買ったときにおまけで付いてきたショットグラスしか持っていないので、ショットグラスのセットもついでに購入。
さて、どんな味が楽しめることやら。

「山崎ウイスキー館」の1階では山崎蒸留所で作られた様々な原酒がビンに詰められディスプレイされている。

そして工場で作られたウイスキー製品のみならず、製品のもとになる原酒やサントリーが輸入している各国のウイスキー製品の試飲が有料で出来る。
しかし折角ここに来たのだからここでしか飲めないものを飲みたい。

というわけで、「ニューポットのミディアム風味」と「1970年に仕込んだ原酒」を試飲してみた。
「ニューポット」は100円、「1970年原酒」は2000円だ。

まずはニューポットから。
グラスに鼻を近づけると、仕込みの部屋で漂っていたあの香りに打ちのめされる。
舌に甘みはないがアルコール度数はウイスキーという超濃厚な甘酒と言った感じ。
あるいは出来損ないの泡盛だ。
このまま商品化は絶対無理。
罰ゲームの飲み物にしかならない。
これが樽の中で熟成されるとウイスキーになるのかと思うと感慨深い。

次に「1970年原酒」。
こりゃうまい!
お姉さん、もっとグラスになみなみと注いでくれと思う。
いやはや、熟成とは神の御業ですな。
ほのかに塩味もありアイラモルトに通じるものを感じる。
ビンに詰めて持って帰りたいほどだけど、仮に持って帰れるとしても月給が全部吹っ飛ぶ値段だろうなあ。

この日は「山崎12年」「山崎18年」に合うオードブルをウエスティンホテルの総料理長が提供するというイベントが企画されていた。
150食限定、ウイスキーとのセットで1人1,000円という。
折角なので受付の列に並ぶ。

供されたのは、食べるのが惜しくなるほど細かく作られたオードブル。
なかなかいける。
おかわりが欲しい。
家で飲むときこのオードブル食べたいわ、とはお連れ様の弁。

試飲しては休み、試飲しては休みの繰り返しでトイレが近くなるのには弱ったが、「もうちょっと飲みたいかな」という丁度いいくらいの酔い加減をキープ。
楽しい一日でした。

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15 avril 2006

島根県への旅

山陰地方といえば、2000年近く昔には大陸との交易や鉄器の生産によりそこそこの勢力を持っていた地。
日本建国の神話の里。
しかし今では交通不便で特に秀でた産業もなく、人々は細々と暮らしている。
そんなイメージが思い浮かぶ。

足を運ぶにはあまり積極的になれないところだが、島根県在住の友人に結婚披露宴へ招かれたので初めて訪れる機会を得た。
宴の開始時刻は午前12時半。
朝に大阪を発つにしてもギリギリだ。
有難いことにお宿を用意していただけるというので、前日のうちに島根県入りし観光を楽しむことにする。
あらかじめ日が決まっていることから、往路は早期予約割引により10,060円と、鉄道と遜色のない値段で利用できる飛行機を使うことにした。

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『 DMC-LX1 』を購入

Panasonic のデジタルスチルカメラ『 LUMIX DMC-LX1 』は横縦のアスペクト比16:9の CCD と28mm の広角レンズに手ぶれ補正機能を備え、シャッター速度や絞りやフォーカスのマニュアル操作も可能なコンパクトカメラ。
2005年8月発売。
デザインも機能も魅力的だけどちょっと高いなあと思っていたところ、yodobashi.com で 51,100円、ポイント23%還元という値段を見て思い切って買ってしまった。

クラシックカメラ風のデザインが素敵。
写真とは違い、実際の色は黒ではなくガンメタリックに近い。
真っ黒だったらもっとよかったんだけどなあ。
真っ黒にすると古臭さが否定的に取られるだろうというメーカーの判断だろうか。

電源を入れるとレンズが飛び出す。
ちょっと不恰好で残念。
レンズカバーも手でセットしなければならないけど、これはこれでクラシカルでいいと思う。
ちなみにレンズカバーがついたまま電源を入れると警告が出る。

詳しいレビューはスタパ齋藤の記事デジカメ Watch の記事をご覧いただきたい。

この『 DMC-LX1 』を連れてスキー旅行に行ってきた。
場所は新潟県の妙高山麓、赤倉温泉であります。

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ライブ分、という栄養素をご存知だろうか。
このライブ分はスポーツの競技場、劇場、コンサートホール、ライブハウスといった場所において摂取できる栄養素で、心身を健康に保つにあたって重要な役割を果たしている。
ライブ分が欠乏すると、倦怠感、行動意欲の低下といった症状が現れる。
amazon.co.jp のショッピングカートに次々と商品を突っ込んだり、「 ANA ユニフォームコレクション」のフィギュアを買い求めたりと奇矯な振る舞いを引き起こすこともあるという。

私もプロ野球シーズンが終了してずっとライブ分が欠乏しており、欠乏にともなう数々の症状の発現を自ら知覚するところであった。
このままでは社会生活を送るにあたって支障をきたすことになりかねないので、ライブ分の補給に向かったのである。

浪花グランドロマン『冬桜』。
お芝居である。

物語は太宰治をモデルにしたと思しき作家が主人公。
無名時代を脱し名声を得ても陰鬱に日々を暮らしている。
夢とも現ともつかず彷徨う彼の前に4人の女性が現れる。
ある者は彼の妻、ある者は彼の愛人、ある者は彼が書いた小説の人物。
画家に嫁いだ妻の物語の断片を独白しては、彼女たちは消えていく。
そして作家は空しくも、物語の外へ飛び出そうと試みる。

太宰治かー。
フジ三太郎には月見そばがよく似合うよね、うん。
中学生のとき国語の教師が「受験生の時『人間失格』を読んで死のうかと思った」って話をしたことから興味を持って『人間失格』を読んだなあ。
内容はもうすっかり記憶にないけど、ダメ男がマンガを描いて収入を得てたってのは覚えている。
あと青空文庫で幾つか拾い読みしたな。
『女生徒』も読んだっけか。
太宰治論で読んだのは坂口安吾の追悼文『不良少年とキリスト』くらい。
ウホッ、貧相な読書経験。

それはさておき、今回はほとんどが物語の朗読ってところが面白い試みだった。
画家とはそれすなわち太宰の自虐か。
4人の女性は1人の女性のアスペクトか。
一人語りは観る者にどうしても緊張と視点を強いるので、「……でこ」「……歯並び悪い」といった邪念が生まれバランスを取ろうとしていました。
すみません。

ともあれ、久々の観劇によりライブ分を摂取できた。
明日からまた元気に働きましょう。
ディスプレイの前のみんなも浪花グランドロマンでライブ分ゲットだぜ!
次回公演は多分9月だけど。
それに、ここ見てる人京阪神以外の人ばっかりだけど。

どう見ても2,000円分の宣伝にはなりません。
本当にありがとうございました。

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誰も尋ねないので隠していたわけではないのだが、私はアルフォンス・マリア・ミュシャのポスター画装飾画が大好きである。
自室には複製ポスターを額に入れて飾ってあるし、インフォレストが発売している CD-ROM 『ミュシャ作品集 アール・ヌーヴォーの華麗なる遺産』も持っている。
曲線を多用し、華麗で繊細な装飾を施された背景に、浮世絵のごとく太い線で縁取られた美しい女性の肖像、というのが彼の特徴。
演劇、タバコ、酒の広告ポスターを手がけただけあって、非常にキャッチーな絵なのだ。
アニメ絵に通じるところがあって、オタク好みの作風だと私は思っている。
オンラインゲームの『 Master of Epic 』のサイトデザインなんか、明らかにミュシャ様式を踏まえている。

そんなこんなで、ミュシャ好きの私が「大阪でミュシャの展覧会が開催されている」と知って行かないはずがない。
「ミュシャ財団秘蔵 ミュシャ展 プラハからパリへ 華麗なるアール・ヌーヴォーの誕生」と題されたその展覧会を観に、サントリーミュージアムまで出かけた。

実は前回サントリーミュージアムに出かけたときの展覧会の題材がアール・ヌーヴォーで、自室に飾っているミュシャの複製ポスターはその際に売店で買い求めたものだったりする。
サラ・ベルナールの舞台のために製作されたポスターの現物が展示されていて、その迫力と美しさに魅了されたものだった。
今回同じ作品が展示されていて、懐かしさとともにその魅力を再確認した。
さらに満足したのは、有名なポスター画以外の展示も充実していたこと。
きらびやかでカッチリ・ハッキリした絵が有名なだけに、象徴主義風の、悪夢や幻影のような抽象的イメージを描いたパステル画を描いていたというのは意外だった。
油彩画もあまり有名ではないけれど、人物の描き方にポスター画や装飾画の作風の面影が感じられる。
野原で休む少女の絵『ボヘミアの歌』(日本初公開)が気に入った。

観覧後はお約束どおりグッズを買い込むことになる。
いくら好きだと言っても、ミュシャ存命時に刷られたリトグラフなんてものは何十万円もして到底手の出る代物ではない。
そりゃまあ、アール○バンなんかが展示即売しているリトグラフを買うくらいならミュシャの方がいいのは確かだが。
哀れな勤め人にでも手の出るものということで、簡易な印刷物で満足することにした。
B1変形サイズのポスターを1枚、B3サイズのポスターを3枚、額入りの小さなリトグラフを2枚、棒状のしおりを1つ、紙状のしおりを2つ、図録を1冊、布袋を1つ。
総額15,200円のお買い物でした。

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新年会ということで、1年半ぶりに名古屋に行ってきた。
とある世界にその名を轟かす方に挟まれて恐れ多いことこの上なし。
ご列席の皆様、お世話になりました。

おやじの背中

ああ恐ろしい。

さて、名古屋といえば味噌煮込み、エビフライ、阿わ雪、外郎、マウンテンといった食文化で知られるところであるが、残念なことに今回もマウンテンに挑戦することができなかった。
そこで名古屋駅のキオスクで伊勢名物赤福を買い求めることとする。
8個入り700円のものは売り切れだったので、12個入り1000円のものを購入。
これも運命か。

21時57分、列車は名古屋駅を出発した。

早速赤福の箱を開ける。

赤福12個入り

こしあんが美しい。

そして10分後。

赤福完食

ご馳走様でした。

これでわかったことは下記の事実である。

4個:余裕
6個:普段ならこの辺でやめとく
8個:ちょっと食べ過ぎたけど満足
10個:1個口に含んではお茶を飲んで休憩
12個:おなかいっぱい、飽きた

噂に聞くマウンテンのメニューの破壊力は赤福24個くらいだろうか。
そんな想像を抱えつつ、列車は夜景を大阪へと切り開いていった。

翌日。

名古屋は栄にあるショッピングビル、丸栄の地下1階。
サンドイッチ店「鞍馬サンド」にて買い求めた一品を食す時が来た。

「醍醐」と名づけられたそのサンドイッチ、パンに納豆と生クリームとコーヒーゼリーを挟んだという代物である。
1個315円。
今回購入したのはハーフサイズが2個、315円だ。

「醍醐」ハーフ2個

包みを開けて観察する限りでは、ケーキの出来損ないのように見える。
特に不審な香りはしない。

開封

かぶりついてみたところ、生クリームの風味が一番強く、コーヒーゼリーとともに納豆の臭みを消している。
材料名のインパクトとは裏腹に、割と行ける。
生クリームが苦手な人でなければ、普通の菓子パンとして食べることができるだろう。
ただ、かじりついたところから納豆と生クリームの糸が垂れるところは見た目が不気味ではある。
腐ったサンドイッチだと勘違いされそうだ。

これだけではつまらないので、電子レンジに20秒かけ温めてみた。

電子レンジで温めた「醍醐」

大惨事発生!
生クリームとコーヒーゼリーが溶け出して洪水となっている。
パンは液体を含んだスポンジといったところだ。
一口で食べないと口の周りが大変なことになりそうなので、勢いをつけて口に突っ込む。
先ほどは感じられなかった納豆の香りが少々浮き上がってきた。
納豆の粒状感も、周りを包んでいたコーヒーゼリーと生クリームが流れ出すため明瞭となっている。
不味くはないけど癖が強い食べ物になってしまった。

宴のあと

食後の包みを見ると、まさかこの中にサンドイッチがあったなんて誰も想像できない様相を呈している。

よい子のみんな、猫と納豆コーヒーゼリーサンドイッチは電子レンジで温めちゃいけないよ。

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披露宴で私のテーブルを担当していたウェイターが、若い頃の初芝清にそっくりだった。

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クリスマスツリー

今の職場に勤め始めてからというもの、毎年 USJ に行っている私。
別に USJ が大好きだからというわけではなく、福利厚生で USJ の入場券と食事券が支給されるからだ。
その費用にしたって、毎月の給料から天引きされる積立金から出てるので、自分で金を払っているようなものである。

1回目は初めての USJ だったので、それなりにアトラクションを回ってみた。
真冬ということもあって場内はガラガラ。
待ち時間は5分なんて世界だった。
とにかく寒くて、屋外に設置されたストーブや、『バックドラフト』のアトラクション(室内で炎がガンガン上がる)で暖を取ったのが記憶に強く残っている。

2回目は2人連れ。
1回目の時に行かなかったあたりを適当に回った。

3回目は食事券を使って、場内のレストランでコース料理を食べただけ。
アトラクションを見ずに帰った。

で、今回の4回目である。
今年も食事だけして帰ろうかなと思っていたのだが、支給されたのが USJ 専用の食事券ではなくて VISA ギフトカード。
買い物にも使えるから、無理に USJ での食事に使うことはない。
面倒くさいし行くのやめとこうかという考えも頭をよぎったが、入場券分のお金を負担しているわけだし、4年連続で行ったというのもネタになるだろうと思い渋々重い腰を上げたのだった。

着いたのは19時前。
この時間からしてやる気のなさが出てますな。
それでも土曜日ということもあって、場内は人で混み合っていた。
今はハロウィンイベントが終わって、場内はクリスマス向けに装飾されている。
写真の通り、電飾で彩られた巨大なクリスマスツリーが置かれていた。

そういえば「スパイダーマン・ザ・ライド」にまだ乗ってなかったな、ということで行ってみる。
「スパイダーマン・ザ・ライド」は乗り物に乗って建物の中を進み、立体映像を楽しむという趣向のアトラクションだ。
観客確保のために総工費140億円かけたというのだから、観ておいて損はないだろう。
というか140億円もあったら大阪ドーム潰して総天然芝の野球場を作ってほしいんだが。

それはさておき、一人なので、順番待ちの列を横目に別ルートで乗り物の搭乗場所まで進む。
乗り物の座席が4人がけとなっているため、核家族なんかで3人連れの客が居るとその埋め合わせに一人客は乗ることになる。
それでも普通に並ぶよりかは早く乗れるので、一人客として入るのがオススメだろう。

で、肝心のアトラクションの内容はというと、「ニューヨークで悪者が暴れて大騒ぎな中を、観客は記者役となって特殊な乗り物に乗り観て回る。そこでスパイダーマンと悪者のバトルに巻き込まれる」という設定。
乗り物が突然方向転換したり、水平方向に回転したり、垂直方向に動いたりと忙しい。
一番前の座席だったので身を乗り出し気味に見てみたのだが、レールの上を走っているということしか判らなかった。
どうやって乗り物の動きを実現しているのか、建物の設計はどうなっているのか、そういったことの方が俄然興味をそそられる。
USJ の乗り物系アトラクション全体に言えることだけど、1時間や2時間も待つほどの価値はない。

「スパイダーマン・ザ・ライド」の後は、腹が減っていたのと冷え込んできたこともあって、ビールを飲みながら軽く食事を取った。
20時からは場内の中央にあるため池で行われるダンスと花火のショーを観覧。
今年度に入って初めて発動させたハクキンカイロのお陰で、冷え込みもやり過ごしやすかった。
この冬もハクキンカイロは重宝しそうだ。
その後、家路につく客で駅が混雑するのをやり過ごすために『バックドラフト』のアトラクションへ。
相変わらず暖かく、冷えた体に心地よかった。

そんなこんなで4回目の USJ は終了。
あと行ってないのは『 4D シアター 』と『スヌーピー・サウンド・ステージ・アドベンチャー』と『ジュラシックパーク・ザ・ライド』くらいかな。
いつも混んでるし一人では行きづらいところなのだが、まああと1回くらいは行く機会があるだろう。
その時のお楽しみ。

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ISBN:4309462219

ユイスマンス( Joris-Karl Huysmans )という作家をご存知だろうか。
19世紀末フランスの作家で、小説『さかしま』( À rebours )で名高い。
こんなことを言うとフランス文学の先生に怒られそうだが、『さかしま』は現代のオタクと引きこもりの元祖のような作品なのだ。

主人公の青年、デ・ゼッサントは俗世間に幻滅して、フォントネーの邸宅に引きこもり、昼夜さかさまの生活を始める。
金持ちな彼は邸宅の中を自分好みに改造し、自分好みの調度品、美術作品、文学作品で埋め尽くす。
自室をマンガ、フィギュア、ポスター、抱き枕なんかで埋め尽くして引きこもるオタクを芸術方面に極限化したみたいな奴だ。
デ・ゼッサントを通じてユイスマンスは延々と芸術批評を行い、薀蓄を垂れ、自らの審美眼を披露していく。
蒸気機関車に美を見出すあたり、彼は鉄道マニアの元祖ともいえるかもしれない。
格好いいよデ・ゼッサント。
憧れるよデ・ゼッサント。
最後は頭がおかしくなって終わるけど。

そんなデ・ゼッサントも絶賛と(1万回は使われたであろうギャグ)いう画家がギュスターヴ・モロー。
19世紀のフランスで活躍した、象徴主義の画家だ。
写実主義や印象派の時代と被るのであまり大きく扱われることはないが、神話や聖書を題材とした作品を沢山描き、死後自宅を国立美術館とするよう自らの作品とともに寄付した偉い人である。

先月のことだが、そんなモローの展覧会が兵庫県立博物館で開かれていたので観に行ってきた。

そもそも私がモローのことを知ったのは学生時代に読んだ『さかしま』から。
んでもって、『さかしま』で取り上げられているモローの作品といえばサロメだ。
サロメというのは、聖書に登場する女性である。
サロメの踊りに欲情したヘロデ王は褒賞として「何でも望みを言ってみろ」と衆人の前で言ってしまう。
母親の入れ知恵でサロメは洗礼者ヨハネの首を所望する。
約束した手前、ヘロデ王はヨハネを斬首することになる。
このエピソードからサロメはファム・ファタル、官能で男を誘惑し破滅に追い込む魔性の女ということで、特に19世紀末の退廃的なムードでは好んで芸術作品に取り上げられた。

国立ギュスターヴ・モロー美術館からの出展なので、そこには所蔵されていない代表作『ヘロデ王の前で踊るサロメ』( Salomé dansant devant Hérode )を観ることはできなかったが、油彩による未完作品、『出現』( L'Apparition )が展示されていた。
本物だよ本物、と有名人を街中で見かけたかのようにしばし見入る。
ヘロデ王の前で半裸になって踊るサロメの前に、まだ褒美を求めてないのに時空を越えてヨハネの首が出現。
その首には後光がさし、血が滴り、目はサロメを凝視しているというシーンだ。
ヨハネも自分を死に導いた女のエロさって奴を見たかったのよ、なんて言うと不謹慎か。

ついカッとなってお土産コーナーで『出現』『ユニコーン』のポスターと、それを納めるためのフレームを購入。
これで僕もデ・ゼッサント気分です。

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昨年に引き続き、今年もダメ人間どもによる修学旅行に行って参りました。
今年の目的地は奈良。
隣県だし私のルーツの土地でもありますんで、気楽に臨めます。

12時、JR 奈良駅にて名古屋・東京方面からの来訪組と落ち合い、近鉄奈良駅前にて今晩お世話になるお宿のご子息様と合流。
駅前商店街のイタリア料理店で昼飯をいただいたのち、東大寺方面に向かって歩き出します。

青芝には鹿、鹿、鹿。
動物を見ると心が和みます。

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季節柄、マジものの修学旅行に奈良を訪ねてきた女学生のセーラー服の白が眩しいこと眩しいこと。
お肌もツヤツヤぴちぴち。
お持ち帰りしようとは思わないけれど、若さってよろしいですね。
興福寺の五重塔よりも、女学生に目が向かってしまいます。
前にここに来たときは確か私も中学生でしたが、同級生に格別の思いを抱くことはなかったのに。
おっさんになってしまったものです。

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すっかり強くなった6月の日差しに汗かきつつ、東大寺に到着。
こちらも女学生で賑わいを見せておりました。

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東大寺からは奈良駅方面に踵を返し、国立奈良博物館に立ち寄ります。
周王朝時代の青銅器、日本の戦国時代の仏像、奈良時代の伎楽面などを堪能。

そこから近鉄線を乗り継いで榛原まで移動。
お迎えの車に乗せていただき、いよいよ今晩のお宿へ。
もうちょっとで三重県という山奥、自動車がなければ容易には辿り着けない東吉野村にある天好園であります。
川沿いの広大な敷地にあり、休憩所、食事処としても開かれています。
隣接地には最近建設されたと思われる村営の温泉施設があり、宿に到着した我々は早速入浴して汗を流しました。
備え付けの電動マッサージ椅子でふくらはぎを揉んでもらい、重かった足がすっかり軽やかに。

風呂を出て、宿と温泉施設の敷地を区切る川を横切るとそこにはちらちら舞う光が。
蛍!
生まれて初めて見ました。
蛍って実在したんだなあ。
ビッグフットやドードー鳥とは違うんだなあと感慨深し。

夕食の雉鍋、鮎の塩焼き、濁酒に舌鼓を打ち、電波ソングを唱和しつつ東吉野の夜は更けていくのでありました。
今もお土産に買い求めた濁酒を戴きながらこの文章を書いています。
ウマー。

さて、翌日。
山の朝は爽やか。

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朝食を戴いたあと、お昼前までダメ人間らしくダラダラと過ごしてから、東吉野村の名勝、投石の滝を訪ねます。
こじんまりしたお社だけの水分神社の奥に、その滝はあります。
実に清涼。
気持ちのよいひと時でした。

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そこからクネクネと山道を走り大宇陀を経由して、桜井の三輪明神、大神神社へ。
巨大な鳥居で有名な神社です。
祖父母の住んでいた土地なので、幼少の頃から鳥居の脇を何度も通っているため私にとっては見慣れた鳥居です。

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前に大神神社に参拝したときは正月で、私は小学生でした。
早く家に帰って TV の「ドラえもんスペシャル」を見たかったのに参拝に連れられて、鳥居からの参詣道が酷く長く感じられた記憶が強く残っています。
今大人になって歩いてみると 1km 程度の道で、そんなに長くは感じませんでした。
確かに地元の住吉大社でも、夏祭りで出店と参詣客がひしめいている境内を歩くと随分広大に感じるもの。
状況が変わると印象も変わります。
涼しかった東吉野村山中とは打って変わって、じっとり体にまとわりつく暑さに汗かきながら歩き、三輪山の麓にある社殿に到着。

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社殿ではいつものように、「悪質な債務者が四親等以内みんな近いうちに惨たらしい死に方をしますように」と祈願。
願っても全然叶えてもらえてないんで、今度こそお願いしますよ神様。
パブリック・エニミーに天誅を!

丁度、京ぽんのストラップがちぎれてしまっていたので、心づけにストラップ型のお守りを購入。
取り付けると無機質な電子機器が一変、典雅になりました。

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昼食には店内によしもとばなななどの著名人のサインが飾られた門前の食事処で、当地の名物、三輪素麺を堪能。
毎年親戚から送られてきて食べ慣れた品ではありますが、暑い中を歩いて店で食すそれはそれで格別です。

東京方面から来たメンバーのスケジュール上の都合もあり、桜井駅で解散。
楽しい小旅行でありました。

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7 mars 2005

試験監督

試験監督のアルバイトをやった。
勿論、職場公認である。
職場の繋がりのせいで駆り出された、と言った方が正しいのだが。
試験なんて就職試験に資格試験、それらのための模擬試験、とこれまでの人生でいろいろ受けたけれど、試験会場での監督者側に回るのは初めての経験だ。

その試験というのは、合格すれば事業主として開業することもできるが、合格しなければその職業に就けないという独占資格。
世間ではあまり評価の高い資格ではないのだが、それにしても驚いた。
トイレのために中座する受験生があまりにも多すぎるのである。
大学の大教室で200人以上の受験生が居たとはいえ、試験開始3分前ギリギリになって10人以上トイレに駆け込むし、試験中は試験中で、20人以上がトイレに行きたいと、入れ代わり立ち代わり申し出てくる始末だ。

携帯電話を密かに持ち出して外部に設問を送信、なんていう不正行為は行われてない様子だったから、単純に受験生の意識の低さとか、その職業を目指す人の社会的階層の低さによる現象なのだろう。
世の中まだまだ知らないことがいっぱいだ、と勉強になりましたわ。

もうひとつ驚いたのが、アルバイトの謝金の金額。
職場で日曜の昼間に働いたときの実に2倍以上!
役人の天下りのための外郭団体って、やっぱりボロ儲けなのだろうか。

そのお金は、帰りに立ち寄ったソフマップで、中古の癖に9,000円もするゲームソフトと、映画の DVD 2本で殆ど消えてしまった。
たまたま店頭で見かけたので、ついカッとなってやった。
今は反省している。

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横浜駅前
左下が北の地図に怒りの落書き

そこまで激昂するほど道に迷わされたのか。

江ノ島
絶壁

「山二つ」と呼ばれる谷間から太平洋を望む。

江ノ島2
稚児が淵

稚児が淵。とにかく風が強かった。

江ノ島3
岩屋の中から太平洋を望む

岩屋の中から太平洋を望む。

江ノ島4
展望台から江ノ島駅方面を望む

展望台から江ノ島駅方面を望む。ガラス越しに撮ったので写りこみがあります。高所恐怖症な私は強風の中、ガラスなしのデッキでの撮影はできませんでした。

江ノ島5
昼寝の野良猫

サミュエル・コッキング苑の前にて。この後おばちゃんグループに「人慣れし過ぎ」と、さんざんいじくり回されるも、姿勢ひとつ崩さなかった剛の者。

由比ガ浜
ホテル前由比ガ浜

波高し。

集合写真
モバイルコンピュータ

修学旅行参加者たち。

国宝1
鎌倉大仏

かの有名な美男。

国宝2
鎌倉大仏背面

男の背中。


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現在大阪への帰途、新大阪行きのひかり号の中です。

昨日は横浜で朝食を頂いた後、集合地点である鎌倉へ一足お先に向かいました。東海道本線で大船まで、大船で横須賀線に乗り換えて鎌倉まで行く道筋です。大船から鎌倉までの間は、通学途中と思われるたくさんの女子高校生と一緒になりました。 セーラー服に身を包んだ近頃の女子高校生といえば、大人同様に整えられた茶色の髪、下着が見えそうなほど短いスカート、そしてゆるゆるの靴下という趣味の悪い、過剰に性的ないでたちをよく見かけます。どうにも収まりの悪い不愉快な感情を呼び起こさせるものです。しかしここの女子高校生たちは、確かに女性性を強調する現代的な方向性を感じさせるものの、妙に爽やかさをも感じさせるのです。はじめのうちは、ひざ頭を見せる程度に短さを抑えたスカートのはきかたと、ハイソックスのせいかなとも考えました。しかし何か腑に落ちません。何であろうかと考えながらぼんやり彼女たちの様子を眺めていますと、ふと、彼女たちが一様に黒い髪をしていることに気づきました。今や高校生以上の日本女性では脱色もしくは染色により黒い髪はほとんど見られなくなっています。少なくとも大阪ではそうです。黒髪と、スカートのはき方の現代性、それから黒、白、紺という色の構成。これらによって、彼女たちは爽やかで好ましい存在へと演出されているのだと思われます。 それにしてもなぜ彼女たちは一様に黒髪なのでしょうか。学校が脱色や染色を厳しく禁じているのか、それともあまりに茶色の髪があふれてしまったために、黒髪で差別化しようという反動が来ているのか。本当の理由は分かりません。 さて鎌倉駅を降りてからは駅の周囲をぐるっと周ってみました。建物が立ち並び、ショッピングビルやスーパーマーケットがない割には全国チェーンの飲食店やコンビニエンスストア、洒落たカフェもあって、田舎の観光地とベッドタウンが合わさったような印象を受ける街です。寺社仏閣を一人で歩き回るのは面倒な気分だったので、江ノ島電鉄に乗って江ノ島観光に行くことにしました。 乗客はまばら。運転席のすぐ後ろの席から車窓を眺めていると、江ノ島電鉄の写真がよく撮られる理由が分かる気がします。線路とそれ以外が高い工作物で歴然と分けられることがなく、道路と併走することが少なくない(時には路面を走る)ので隙が多いというか、写真を撮りやすいのです。背景も山あり海あり田舎の街あり、落ち着いた美を備えたものなので好まれるのでしょう。 江ノ島駅から江ノ島に通じる海岸までは10分ほど歩きます。もうちょっと海岸よりに線路を敷いて欲しかったところです。海岸に出れば写真でおなじみの江ノ島の姿。自動車用と歩行者用の橋がかかって、島と地続きになっています。島側と海岸側でそれぞれ何か建設途中のため巨大クレーンが建っており、美観も何もありません。 江ノ島内部はコンクリートに征服され、観光地としてとにかく整備されています。山がいきなり水面から飛び出したような形の島では、島に作られた神社や展望塔へ向かうにも上り道となるわけですが、有料ながらエスカレータがあるのです。足腰貧弱な私は安心してジャパンマネーを投じ、楽々山頂へ到着しました。しかし時刻はまだ10時にもならず山頂の植物園と展望塔は開いていません。仕方なく参道を奥へと進んでいくことにします。 狭いながら石で整備された参道の脇には、民宿や食事処、土産物店が立ち並びます。建物が途切れると見えるのは木々の緑と絶壁、そして太平洋の青と空の青。台風が接近しているからか、海からの風は強く、噴出す汗も風に運ばれ非常に涼しいです。源頼朝が建てたという鳥居をくぐりなおも参道を進むと、海岸に出ました。海の向こうには湘南の海岸が広がり、霊峰富士山の姿が浮かんでいます。さすが名勝として古くから愛された土地にふさわしい眺めです。海岸づたいに道を進みますとそこは洞穴。足元はコンクリートで固められ、照明がつらなっています。地下水がしたたり落ちるところには天井にゴムの覆い、天井が低くて頭をぶつけそうなところには金網の覆いがつけられています。最深部では電気照明ではなく、観光客に手持ちロウソクのサービス。喫煙所が二箇所設けられ、洞穴同士はコンクリートの桟橋で渡るようになっています。龍神が住むと伝えられていた洞穴の奥には、チープな龍の像が置かれる演出までされる始末。こうまで観光スポット化されては、入るにあたって入場料を取られるのももっともです。 洞穴を出て参道を引き返しておりますと、普段歩きなれていない分へばってきて腹も空いてきたので、食事処に入り料理とビールをいただきました。店内は風がよく通り冷房いらずです。江ノ島丼というベタなメニューをあえて注文してみましたが、親子丼の鶏肉が何かの買いの肉に代わっているだけでした。 食事を終えると展望塔へ。湘南を一望です。眼下では潮がひいて、島と対岸が繋がりかけています。その周囲には波乗りに興じる人々。元気なものです。ここからじゃゴミ粒のようにしか見えませんが。展望塔は植物園の中に建っています。この植物園は、明治時代に難破して漂着したイギリスの貿易商が江ノ島を気に入り、私財で植物園を作ったのにちなんで整備されたようです。関東大震災の時に倒壊したレンガ作りの温室の遺跡が残っています。この貿易商は南の島の木を勝手に植えていて、今もそれが葉をたたえています。帝国主義国の連中には困ったものです。 江ノ島に飽きたところで山を降りまして(帰りのエスカレータはなく歩きのみ)、島の入り口のバッタ屋で1,050円甚平を買うなどしつつ江ノ島電鉄の江ノ島駅から鎌倉へ。行き道とはうって代わっての大混雑に閉口しました。 鶴岡八幡宮で駄目人間長屋の面々と合流、鎌倉宮にも参ったのち蕎麦屋で遅い昼食(私にとっては夕食か)。長谷の海岸のホテルで一泊しました。

帰阪

暑い!やっぱり大阪暑い!日本で一番暑い都市なだけあります。 締め切っていた部屋の中は一層暑い!CPU 使用率0%なのに CPU 温度が6〜7度高いです。 さて本日は朝10時、ホテルをチェックアウトして徒歩で成就寺、極楽寺と大したことの無い寺院に参った後、鎌倉の大仏を拝みました。無風と大量の参拝客ゆえの熱気にうんざりしましたが、大仏の元に来た頃には風が出て、木陰では大分涼しかったです。 さて大仏の門前、絶好の立地に恵まれたところには、知る人ぞ知る「武器屋」がありました。山海堂というそのお店、離れて見ると観光地の土産物屋なのですが、息子が武器マニアだったのがいけなかった。土産物に混じって刀剣や銃や防具のレプリカが所狭しと並ぶ、怪しくも日本唯一の店となったのでした(店長インタビュー記事参照)。私は武器を所有する趣味はないので、大仏のマスコットの付いた耳掻きといういかにもな土産物を買い求めましたが……。 その後付近の店で鳩サブレ、煎餅と、土産になる食べ物を買い求め、鎌倉駅前へ移動。イタリア料理店で昼食をとってから電車に乗り、帰阪の途についたのでした。
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19 juin 2004

横浜から 2004.6.19

6時48分
私は今、横浜に来ています。
6時過ぎ、横浜駅前に夜行バスにて到着しましたが駅の売店くらいしか開いていません。朝飯を食べようとひとまず飲食店を探しましたが、喫茶店の類は7時から営業開始というところばかりです。唯一開いてるのはドトールコーヒーくらいでした。今、そのドトールコーヒーにて、この文章を書いています。早朝ながら店は繁盛しています。需要を的確に掴んでいるということでしょう。
ところで、大都市のターミナルにはありがちなことではありますが、コンビニエンスストアが見当たりません。待ち合わせの時刻まで暇なので、観光地図を買いたいのですが……。適当な駅で降りて駅前を散策すればたやすく見つかるでしょうけどね。

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「駄目人間長屋」の広報誌にちょっとだけ拙文を載せてもらった縁あって、埼玉県大宮市で行われた伺か系オンリーイベント「彩伺祭」に邪魔しに行ってきました。初めて埼玉の土を踏みましたが、武蔵野は延々住宅やビルが続いていてあまり目には楽しくないところです。
「彩伺祭」終了後は大宮駅前で「駄目人間長屋」の面々と飲んで、中浦和駅に隣接したホテル「プラザホテル浦和」で一泊。駅に隣接してはいますが、各駅停車しか止まらない上に列車の本数があまり多くないので、あんまり便利な感じがしません。
浦和といえばマリーンズの二軍本拠地、ロッテ浦和球場が東北新幹線の線路脇にありますが、この日はあいにくここでのゲームの予定はなく、小雨模様の天気だったので訪問は断念。折角なので大宮駅から東北新幹線に乗って東京方面へ移動したのですが、その途中車窓から見えたロッテ浦和球場では、ジャンパーを着たプレイヤーと思しき人物が外野を黙々と走っていました。いつかフィールドで輝け!
上野からは秋葉原へ移動。初めての秋葉原です。
一通り歩いてみますと、今まで Web 上で見聞きしてきたあの店この店が目の前を過ぎて行きなかなか愉快。コスプレ姉ちゃんのキャッチセールスにも遭遇しました。当然無視ですが。
PC を組んでいる途中ということもあって、折角だから何かパーツを買っていこうといくつか店を覗きましたが、「 User's Side 」本店は洋服店のような清潔かつ洗練された商品の陳列を行っており感心しました。さすが秋葉原、かどうかは分かりませんが、もはや実用品というよりは趣味の品である組立 PC 用パーツを売る店とあっては、買い手の購入行動を含めて満足感を与えることも小売店の戦略となる段階に来ているのかもしれません。結局この店で電源ピン変換ケーブルを買って、買い物は終了、帰阪の途につきました。

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プロフィール

空疎な中身のまま、サイト運営10年経過。

文学部出身ですが文学は苦手です。

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最近のコメント

  • Dormeur: 参考にして頂いて光栄です。 小学生だったときに原爆と言えば『はだしのゲン』が定番でした。 最近になって『夕凪の街 桜の国』『この世界の片隅に』というマンガも出版されましたが、『はだしのゲン』に比べると大人向けかもしれません。 どれも優れた作品なので、興味があったら読むといいでしょう(マンガですが図書館に置いてあることがあります)。 今の広島に行っても戦争でメチャクチャになったとは思えない普通の街ですが、調べたことを元にしていろいろ想像してみてください。 博物館の白黒写真を見たら、写真を撮った人は色と音とにおいのある現場の中にいたことを想像してみてください。 続きを読む
  • M'Kさん: 参考になりました。私は、小学6年生で修学旅行で広島に行くので先生に「宿題で原爆のことについて調べてきて下さい」といわれてみんなブーイングだったけどしょうがないのであとはなにもいえませんでした。そういうことで私はインターネットで調べてみようと思って今あなたが書いたブログを見ています。ほかの人のブログに比べてあなたが書いたブログは写真が多くて文章も分かりやすくていいな~と思っていました。これで宿題が完璧にできます。ありがとうございます。もしかしたらクラスで同じのを調べてきた子おいるかもしれませんね。そうだったら笑えます。私のコメントは以上です。(コメントじゃないかもしれないけど・・・。)そうだったらごめんなさい。とにかくまとめていうと《参考になった》ということです。 続きを読む
  • Dormeur: 年を食っても男前ですね。 続きを読む
  • 黒猫亭主人: ゐきぺの populaire en France, francophone et quasiment inconnu aux Pays-Bas. 続きを読む
  • Dormeur: 諏訪の神様は勝負に負けて諏訪まで逃げ落ちた割に軍神扱いされているのが不思議ですね。 伝承の成立には諸説あるようですが。 続きを読む
  • Dormeur: 男子と対戦する女子野球もので変則投法じゃないのは、女子の体力を越える剛球を投げることができるという設定の場合ですね。 『無敵のビーナス』とか『鉄腕ガール』とか。 昔のTV番組で、女子小学生向けのドッジボール戦法としてコントロールが安定するサイドスローを勧めていたのを今でも覚えています。 続きを読む
  • pou-fou:  上諏訪神社・・・、諏訪湖の畔にある諏訪大社の末社なんでしょうなぁ。  小生が幼少期を過ごした大阪市内の生活圏内にも諏訪神社がありましたが、なんとウィキに記事があるではないか!?  祭礼の折には獅子舞が奉納されていて、その獅子頭がえらく立派だったような記憶が・・・うぁ~、あれから40年以上も経ってしまっている。  ちなみに、上諏訪神社ではウィキに登録記事は見あたりませなんだ。 続きを読む
  • Leleamaclebra: Hi People How are you doing? 続きを読む
  • rekibo: 「大正野球娘」、ピッチャーは、最初はいわゆる「女の子投げ」でしたが、最後は葛西ばりのサイドスローに。 発明品は出てこなかったけど、ID野球はやってましたね。女子投手=変則フォームの伝統?は、やっぱり水原勇気の影響でしょうか。あるいはコントロール重視の必然か。 続きを読む
  • Dormeur: 『大正野球娘』のアニメは途中で観るのをやめましたが、そんな展開だったんですね。 女子プレイヤーが現実にプロで存在できるとすればナックルボーラー、というのは同意です。 ちなみに小説『若草野球部狂想曲』でもピッチャーの女の子はシンキングファーストボールを投げてました。 彼女はアンダースローですが。 結局途中で通用しなくなったんで、渡辺俊介ばりの地面ぎりぎりからマグナスの力が最大になる回転の120km/hの速球(ホップしているように錯覚して打てない)を投げて乗り切ってます。 確か『大正野球娘』の原作では、メガネの姉ちゃんがオーバーテクノロジー気味の発明愛好家で、発明品による科学的なトレーニングでメンバーの能力を鍛え、データ野球で本番のゲームを支えていた覚えがあります。 何の本で読んだか忘れましたが、戦前の野球では守備におけるフォーメーションプレイなんてことはやってなかったらしいので、そういう現代野球の基本を大正時代に実践できれば守備力の高いチームができますね。 確かに野球アニメでフォーメーションプレイを描写しているのはあまり覚えがありませんね。 演出の人が野球経験者か好き者なのかも。 その一方で、ピッチャーの姉ちゃんのあの投球フォームじゃキャッチャーにすら球が届きそうにないのが萎えました。 続きを読む