ISBN:4062129663
2004年、一人の高校教師が60歳で亡くなった。
彼は並外れた長打力を誇る即戦力のプロ野球選手と期待されて南海ホークスに入団したが、プロ1年目に怪我をしてしまい、大した成績を残せず、わずか5年でプロ野球選手を引退することになった。
しかし当時の野村克也・選手兼任監督により、28歳で打撃コーチに抜擢される。
以後30年に渡り、打撃コーチとして7球団を渡り歩いて何人もの名プレイヤーを育て上げた。
50代に入ってからはコーチを務める傍ら、大学の通信課程で学び、5年かかって58歳で教員免許を取得。
千葉ロッテマリーンズの打撃コーチを最後にプロ野球の世界を離れ、59歳にして高校教師に転身する。
彼の夢は、高校生に野球を指導して全国高等学校野球選手権大会――「甲子園」で優勝すること。
だが、プロ野球出身者は、退団後2年間は高校生に野球を指導することを禁止されている。
禁止期間が明けるまで、一高校教師として生徒の指導にあたった彼は、生徒たちの心を掴んでいった。
しかし禁止期間が明けないまま、彼は膵臓癌に倒れ死去。
夢は果たされぬままに終わったのである。
彼の名は、高畠導宏。
球界随一のアイデアマンとして、ユニークなトレーニング法を数多く考案したが、私が彼の名を覚えたのも、新聞で彼のユニークなトレーニング法が取り上げられているのを読んだからだ。
そのトレーニング法というのは、バットを振るときの腰の回転を正しく身につけるために、自分の一物をブラブラさせて腿に当てるイメージを抱いてバットを振るというものであった。
残念ながら女性には使えないトレーニング法である。
その後高校教師に転身するも夢半ばで亡くなったことも、新聞で読んだ。
そして彼の晩年がドラマ化されることも、新聞で読んだ。
NHK の土曜ドラマ『フルスイング』。
その原案となった本ということで読んだのが、門田隆将著の『甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯』である。
本書では、高畠導宏の少年時代から死去するまでの生涯を軸にしつつ、往年のプロ野球の裏側も語られる。
サイン盗みの横行。
野村克也解任騒動。
ただの守備要因だった水上善雄の打撃を向上させ、レギュラーに育てたこと。
新人時代の西村徳文を付きっ切りの猛練習でスイッチヒッターに転向させたこと。
自分が成功した方法を押し付けるコーチが多い中、高畠は独自の野球理論を持ちながらもそれを押し付けることをせず、選手一人一人に応じた指導法を実践したという。
若き日の落合博満についても、その性格を汲んで口出しをすることを殆どせずに彼の流儀を尊重し、大打者への道を開いた。
また、親身かつ情熱的にプレイヤーたちと付き合い、能力を発揮できるように様々な気配りを行ったエピソードが本書では紹介されている。
さながら、コーチングのお手本集のようである。
現役プレイヤーでも、コーチ生活の晩年に指導を受けた田口壮、小久保裕紀、サブロー、福浦和也など、彼を慕う主力級のプレイヤーの証言が記され、彼の優れた人柄が伺える。
読み進めているうちに、大久保博元を打撃コーチに据えた埼玉西武ライオンズの来シーズンが絶望的に思えてきてしまった。
いや、 TV での顔しか知らないから、コーチとしては優れた能力を持っている可能性がないとは言えないが……少なくとも高畠ほど野球に対する眼力と人徳があるようには見えない。
教育実習期間を含めてわずか1年少々の教員生活だったが、同僚の教員にも、生徒たちにも高畠は一目置かれていたらしい。
大学を出て学校という狭い世界で時間を重ねてきた教員には持っていないものを持つ者として、高畠の存在感は大きかった。
30年間、いつクビになるとも知れないプロ野球の世界で生き残ってきた高畠が心に抱き続け、病に冒されてもなお教壇に立ち、生徒たちに伝えようとしたのは「氣力」の二文字だった。
気軽に使われがちで、時に人を誤った方向へ導く言葉だから私は好きではない。
気力を持てるかどうかというのも人の資質によるものだ。
しかし持てるタイプの人間についてならば、その人間を最終的に左右するのは気力に違いないだろう。
高畠導宏という人の生き様は、それを体現したものだった。
本書はプロ野球ファンが読むと特に楽しめると思うが、人に何かを教える立場にある人や挫折を経験して落ち込んでいる人にも何かしらヒントを与えてくれることだろう。
「偉人伝」という呼び名がふさわしい一冊である。

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