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2008年12月 6日
『トラスティベル ~ショパンの夢~』考察
以下は『トラスティベル ~ショパンの夢~』のストーリー解釈。
やたらと抽象的なストーリーなので整理してみた。
結末のネタバレなので注意。
検証したり台詞を引用するために再プレイするのは面倒なので、記憶と Wikipedia に載っていた粗筋を基に、無責任に書いています。
誤解、曲解が含まれていたら皆々様の夢の中で修正を。
ショパンの妹エミリアは不治の病(結核)により14歳で死亡した。
ポルカも人々に感染を恐れられている不治の病にかかった14歳の少女ということから、エミリアの象徴として作り出された人物であることが判る。
夢の世界でショパンとポルカが最初から和やかなのは二人が兄妹だから。
(双方に自覚はないが。)
ショパンとエミリアは2歳違い。
16歳のアレグレットはエミリアの兄としてのショパンの象徴。
ワルツ伯爵が少年の姿をしているのは、アレグレットと対になっている存在だから。
アレグレットがポルカに惹かれるように、ワルツも(恋愛感情ではないものの)ポルカを求める。
ショパンがエミリアの死に際してどうすることもできなかったように、アレグレットはポルカの飛び降りに際してどうすることもできない。
ポルカが飛び降りる崖は、テヌート村の崖。
荒涼としているのは、夢の終点=現実世界に近い場所だからで、ショパンが現実世界での生活の中で心に抱いていた悲哀の感情を象徴している。
(崖に通じている部屋の名前に「胸」なんとかとあったことからも暗示されている。)
テヌート村の崖だからポルカは母親の記憶と対峙するのだし、ポルカ帰還時の光景がテヌート村の花畑になる。
ショパンがエミリアの死を受け入れることができないため、夢の世界は永遠にエミリア=ポルカを生かすべく存在する。
ショパンの認識では15歳以降のエミリアが存在しないため、無限ループという歪んだ形になっている。
ポルカの飛び降りは、エミリアの死を認めるのではなく意識の奥へ抑え込むことで解決しようとするショパンの心の象徴でもある。
赤く染まった景色は夕刻=滅亡の接近を表し、ポルカの飛び降りを「海に入る」と表現しているのは、世界を輝きで照らすべき太陽が沈むことを象徴している。
飛び降りるポルカが語る「私の一番大切な人」とはアレグレットを介してショパンを指す。
エミリアの妹が14歳で死んだように、ポルカは14歳より先の命がない。
ポルカは崖から飛び降り、彼女の持つ魔法の力で夢の世界を戻す。
ポルカの記憶は封印され、幼児となって空から降りてきて母親の元にやってくる。
赤子でなく幼児なのは、ショパン自身幼くてエミリアの赤子時代を覚えていないから(推定)。
母親は自分がポルカを養育する役割であり、ポルカが崖から飛び降りて夢の世界をループさせる役割であることを知っていた。
しかし母親はポルカを育てているうちに情が移り、ポルカの役割を積極的に思い出させようとはしなくなった。
結局ポルカは旅に出て、御神籤婆さんのところにたどり着く。
御神籤婆さんは、ポルカによって夢の世界の時間が周期的に巻き戻ること、ポルカが自分のところにたどり着くこと、自分がポルカに御神籤を引かせる役割であることを知っている。
木に大凶の御神籤ばかりあるのは、そこだけ時間が逆行していないからで、木に結び付けられた大量の御神籤は過去のポルカが結びつけた御神籤。
現実世界のショパンが睡眠を取るごとにポルカはショパン抜きでアレグレットたちと出会い、崖にたどり着いて飛び降りている。
しかし病のために死に瀕したことで、ショパンは自分の内面=夢の世界と対峙せざるを得なくなった。
死の際に見ると言われる走馬灯現象の代わりとして、夢の世界にショパンが現れる。
このショパンは夢を見ている本人ではなく、夢を見ている本人が夢の世界を旅するための代理人のようなもの。
ポルカがショパンを家に連れてきたとき母親が驚いているのは、ショパンは夢の世界にとって異分子だから。
現実世界のショパンが死んでも彼が生み出した曲によってショパンは生き続ける。
その生き続けるショパンの中でエミリアもまた生き続ける。
(いのちにはいろんな形がある、という芋虫の寓話はここに繋がっている。)
夢の世界の旅の過程で、夢を見ているショパン本人はそのことに気がついた。
一方、夢の中のショパンには現実世界が夢なのか、夢の世界が現実なのかという迷いが生まれていたが、夢を見ているショパン本人は上記の気づきから、答えが一つなのではなく二つの世界が両立する可能性に思い至る。
夢の中のショパンは夢と現実を区別するためにアレグレットたちに戦いを挑む。
自分がアレグレットたちを倒せば、自分の作り出した世界を自分の手で消滅させたことになり、ショパンは現実世界に戻る。
自分がアレグレットたちに敗れれば、夢の世界は自分の手でも消滅させることができない確実なものとなり、夢の世界が現実となる。
夢の中のショパンはそう考えた。
夢の中のショパンがアレグレットたちに敗れたことで、夢を見ているショパンは現実世界で死ぬ準備が出来た。
午前二時、現実世界のショパンが臨終を迎える。
ショパンの霊が肉体を離れてピアノを演奏するが、これは音楽として生き続けるショパンを現している。
夢の世界はショパンの肉体内の存在から、音楽の中で息づく存在へと変わった。
ショパンとエミリアが形を変えて生き続けることで、夢の世界は時間の逆行を行う必要がなくなった。
あるいは、ショパンが死=永眠を迎えたことで、夢の終わりがなくなり夢の世界が存続するようになった。
アレグレットに敗れて倒れていたショパンが目を覚ますが、これは現実世界で夢を見ていたショパン本人が合一したもの。
ショパンの死生観が変化したため、死の象徴だった花は生の象徴として確定する。
同時にポルカも死すべき存在から生きるべき存在へ変わる。
ショパンがポルカを無限ループに閉じ込めていた以上、ポルカを無限ループから解放するのもショパン自身でなくてはならない。
だからショパンは自らポルカに14歳で死ぬなと呼びかける。
ポルカは闇を照らす花として復活。
荒涼とした夢の世界=ショパンの心の闇は、ポルカのトラスティによって照らし出されて花畑に変化を遂げる。
トラスティとはマクガフィンのようなものなので特に考える必要はない。
強いて考えるなら人間の善性、徳性。
『トラスティベル』のベルとは、午前二時を告げる時計の鐘を指す。
おまけ
パロディ動画「ショパンは大変なキノコを採っていきましたFull.ver」
投稿者 Dormeur : 2008年12月 6日 16:06
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