小学生の頃、当時よく遊びに行った友人宅の隣に、大阪市環境事業局の事業所があった。壁に囲まれていて、どんな仕事をやっているのか判らなかったが、今から考えると粗大ゴミの一時保管所とか、清掃車の待機所とか、作業員の休憩所とかの補助的役割を担っていたのだと思う。その事業所の入口に、「狭山事件の受刑者の冤罪を晴らそう」という趣旨を訴える看板が掲げられていた。「狭山事件」についての、私の最も古い記憶である。
大阪育ちな小学生の私には、狭山というと狭山町(現在の大阪狭山市)しか思い当たらなかった。子供の癖に社会問題に興味を持つ性格と、大阪の道徳教育に感化されて、それが埼玉県狭山市の出来事で、部落差別が絡んでおり、冤罪が疑われる事件でもあることを知る。しかし子供ゆえ、上記の看板は冤罪への義憤から掲げられたのだろう、と片付けて特に気にすることもなかった。今となっては看板が掲げられた理由も推察できるけど。
ともかく、私の認識では「狭山事件」は「部落差別に基づく冤罪事件」と捉えるに留まっていた。しかし Web で有象無象の情報が手に入るようになり、認識が改まることになる。「狭山事件」は野次馬的興味を誘う、実にミステリアスな事件だったのだ。
狭山事件とは
そもそも「狭山事件」とは何なのか。もっとも狭く説明すると、「1963年(昭和38年)5月に埼玉県狭山市で女子高生が誘拐され、他殺体となり発見された事件」である。警察の捜査対象が遺体発見現場近くの被差別部落関係者となり、事件発生の22日後、被差別部落出身の青年、石川一雄さんが別件逮捕される。彼は当初こそ犯行を否認していたが、単独犯行を自白する。しかし共産党系団体や部落開放同盟等の支援活動によって警察の杜撰かつ強引な捜査が明らかとなり「部落差別反対運動」「冤罪事件」としての意味も帯びるようになる。現在は石川さんを支援する法廷活動でしかニュースのネタにならないので、マスコミでは「冤罪」の文脈で紹介されることが多いように思う。
事件関係者の死
だがその一方で、事件関係者が次々と怪死していたのである。
- 事件発生の5日後:被害者宅にかつて住み込みで働いていた男性が、自分の結婚式前日に農薬を飲んで井戸に飛び込み自殺。
- 事件発生の11日後:事件当日の情報を警察に届け出ていた男性が、自宅でナイフを心臓に突き刺し自殺。
- 事件発生の10ヶ月後:事件発生当時は身代金受け渡し現場に警察と随行した PTA 会長が脳出血で死亡。
- 事件発生の1年後:事件発生当時は身代金の持参役だった被害者の姉(次姉)が服毒自殺。
- 事件発生の3年後:被害者の自転車と脅迫状の領置調書(証拠品として押収したことを示す公文書)を書いた狭山署の警察官が腸捻転で死亡。
- 事件発生の3年後:石川さんがかつて勤めていた地元の養豚場の経営者の兄(被差別部落出身者)が、電車に轢かれて死亡。
- 事件発生の14年後:被害者の兄(次兄)が首吊り自殺。
- 事件発生の14年後:「狭山事件」を調査していたフリージャーナリストが襲撃され死亡。
亡くなった方々には失礼だが、まるで推理小説での出来事のようだ。事件発生当時、マスコミによって連日大々的に報じられた事件だったし、部落差別に関係した組織闘争に発展したから、被害者家族や他の地元住民への心理的負担も大きかっただろう。事件そのものとは関係ない偶然かもしれない。それでも、一番最初の自殺者は見るからに不審だ(にも関わらず警察は自殺翌日に彼を容疑者から外している)。
事件発覚の経緯
不審と言えば、事件発覚の経緯も不審だ。
- 事件当日、被害者の長兄は被害者が学校から帰宅しないのを心配して18時50分頃に車に乗って学校まで行き、駅にも立ち寄るが発見できず19時30分頃帰宅。夕食を摂る。帰宅して10分経った19時40分頃、玄関のガラス戸に封筒が挟まれているのを長兄が見つけ、次兄に取らせる。封筒は封が切られていた。中身は脅迫状と被害者の学生証で、脅迫状は被害者の誘拐を知らせ身代金を要求するものだった。
- 長兄は隣の親戚宅に向かい事件発生を知らせる。一方、被害者の父が納屋に行くと車の隣に被害者の自転車が置かれていた(被害者は自転車通学)。
- 長兄は父を車に乗せて2km先の駐在所に向かい、19時55分頃届け出る。
- 事件当時の所沢署長が後年になって非公式に語ったところによると、事件当日の18時30分頃、県警本部長がわざわざ所沢署を訪れ、西武園(犯人が脅迫状で言及している)を捜索するよう指示したという。当日はメーデー警備があったため記憶は確からしい。
犯人が封筒を仕掛けるのにわずか10分の早業。封が切られていたのは、犯人が予め用意していた脅迫状の宛名・日時等を書き直したためとされている。長兄が自分で封筒を取らなかったのは末弟の悪戯だと思ったからだそうだが、要領を得ない。
犯人が自転車を置くのも同様にわずかな時間での早業。当時は雨が降っていて、サドルだけ濡れていなかったと長兄が証言したことから、犯人は自転車に乗って納屋まで自転車を返しに来たことになっている。しかし犯人はなぜわざわざ律儀に「いつもの駐輪場所」に自転車を戻したのだろうか。
被害者一家は田舎の農家だから、当主である父親(地元地区の区長も勤める有力者)が家族内の権力者と考えるのが自然だ。しかし父親を差し置いて、未婚の長男が率先して素早い決断と行動を行っているのは怪しい。近所の人に話したり警察に届けたりしたら西武園で被害者を殺すと脅迫状に書いてあるのに、脅迫状発見から近所と警察への通報までわずか15分でやり遂げている。マスコミに手記を発表しているのも父親ではなく長男である。当時の父親の健康状態があまりよくなかったのか、父親は事件によほどショックを受けたのかとも考えられるが、少なくとも警察に出向いて供述調書を取られるだけの元気はあった。
所沢署長の証言に従えば、被害者一家が事件を警察に届け出るよりも前に警察が動いている。末端の警察官から浦和の県警本部長まで情報が到達し、本部長が所沢署までやってくるには少なくとも三十分はかかるはずだから、18時頃までには警察が事件を知ったことになる。とはいえ、被害者一家が警察と結託して偽証するというのも妙な話だ。そこは警察内部に地元農民たちと深い利害関係を持つ人物がいると仮定すれば、筋道は通らなくもない。
冤罪の疑い
事件によって家族を失った上に、警察の取調べやマスコミ記者・被告支援者たちの取材攻勢を受け続け、直接的にも間接的にも苦痛を被っている被害者一家を疑うのも失礼である。
犯人とされている石川さんの自白どおりに被害者の遺留品が見つかっている以上は、石川さんが犯人のように思える。しかし以下の点で辻褄が合わない。
- 脅迫状の筆跡と、取調べ中や自白後に石川さんが書いた筆跡が違う。しかも前者は当て字があるものの字の間違いはないし、平仮名で書けばいいところをわざわざ漢字で当て字をしているが、後者は当て字は使っていないし字そのものの間違いがある。
- 脅迫状から石川さんの指紋が見つかっていない。ちなみに、届けられた封筒を最初に手に取った被害者の次兄の指紋もない。見つかった指紋は被害者の長兄と駐在所の警察官のものだけ。
- 二回も家宅捜索して見つからなかった被害者の万年筆が、自白後の家宅捜索で鴨居の上から見つかった。しかもその万年筆を石川さんの兄に素手で取らせたため指紋が取れない。
- 事件当日に被害者が学校で万年筆を使って書いた文章のインクの色と、証拠品の万年筆に入っていたインクの色が違う。
- 被害者は自転車に乗って帰宅中、親しくもない人間に走行中の自転車を掴まれて止められたのに、騒ぎもせず大人しく犯人に付き従った。
- 被害者と石川さんが歩いているところを誰も目撃していない。被害者を強姦した際に被害者が悲鳴をあげたというが、隣の桑畑で農作業をしていた人は悲鳴を聞いていない。
- 被害者を手で絞め殺したというが、遺体に指や爪の痕がない。
- 遺体を埋める穴を掘る準備を進めている間、芋穴(農家が収穫した芋を一時的に貯めておくための穴)に遺体を逆さ吊りにして隠していたというが、遺体にはそのとき体重が体にかかったような痕跡がない。
- 雑木林で被害者を殺害後、わざわざ200m遺体を抱えて運搬して芋穴に遺体を隠したのち、近くの農道に埋めている。雑木林に遺体を置いておきその場で埋めた方が楽だし、作業中の姿を誰かに見られる恐れもないはずだが……。
- 石川さんの逮捕前に犯人のものと思われる地下足袋の足跡として発表されたサイズと、石川さん宅で押収された地下足袋(とび職をしている石川さんの兄のもの)のサイズが合わない。地下足袋が押収されてから、サイズが一致したことに鑑定結果が変更された。しかし足跡と地下足袋のサイズが一致したとしても、石川さんと石川さんの兄とは足のサイズが違う。無理に地下足袋を履かなくても、履きなれた靴で犯行に及ぶ方が行動しやすいはず。
- 上記足跡は身代金受け渡し現場近くの畑が踏み荒らされていることから、犯人の逃走により出来た足跡であるとされたのだが、自白の逃走経路から外れた場所から発見されている。
その他、弁護側からは無実の証拠が次々と提起されている。裁判所はそれらを逐一切って捨てているが。
よしんば石川さんが犯人だとしても、この事件では上記の点以外になお謎が残る。
- 被害者の遺体の胃に残された残留物から、死亡の前2時間以内に馬鈴薯、茄子、玉ねぎ、人参、トマト、小豆、菜、ご飯粒を含む食事を被害者は取っていることがわかっている。だが自白内容にこの食事に関する事柄が含まれていないし、制服姿の被害者が弁当屋や料理店に立ち寄れば目撃者がいるはずだが知られていない。ちなみに被害者の昼食は調理実習のカレーライスで、その材料に茄子、トマト、小豆、菜は含まれていない。被害者はどこで食事を摂ったのか?
- 事件当日は被害者の誕生日だった。誕生日だから早く帰ると級友に告げ、学校を去っている。しかし被害者の一家では、この日に特別な祝い事をする予定は無かったという。被害者家族の証言では、この日の夕食はうどん。
- 脅迫状を届けに来たとき、被害者の自転車の普段の駐輪場所を知っていた理由とわざわざそこへ駐輪した理由が不明。
- 遺体の頭の上に6.6kgの玉石があったが、何のためにそんなものを置いたのか自白にない。
- 遺体の顔に下にビニール布があったが、何のためにそんなものを置いたのか自白にない。
- 遺体発見当時、別々の人物がそれぞれ発見者として談話を含めて報道されている。だが片方は裁判に呼ばれていない。
- 被害者のカバンと教科書は遺体発見現場から雑木林を挟んで反対側、200m離れた場所で見つかった。自白では遺体隠匿現場から逃走中に捨てたというが、どうせ捨てるなら遺体と一緒に被害者の所持品を埋めるか、雑木林に隠した方が早くて楽なはず。カバンだけ自転車の前籠に入れっぱなしで雑木林に入ったのだろうか。
- 被害者のカバンの下からは中身の入った牛乳瓶が見つかっており、自白では駅前で瓶入りの牛乳を買ったというが、牛乳を捨てたことは言及していない。牛乳瓶片手に誘拐やら強姦やら殺人やら逃走を行ったというのも器用というか間抜けというか……。
- 被害者の腕時計は被害者宅の方向とも石川さん宅の方向とも違う、殺害現場から2km程度?離れた場所で発見されている。自白によれば事件から9日後の5月10日に捨てたらしいが、わざわざ家に持って帰って、警察が動き回ってる最中にわざわざ遠くに捨てにいくのはリスキー。
- 被害者の腕時計がまだ発見されていないとき、公開捜査にかけたときの腕時計の機種と発見された腕時計の機種が異なる。
- 被害者の他の所持品は捨てたり燃やしたりしているのに、万年筆だけわざわざ家に隠すのは不可解。
事件を探求する
事件の概略を知るには、まず『無限回廊』の「狭山事件」のページが有用。中立的な立場で事件が紹介されている。
次に、『鮎喰・人権サイト』の「狭山事件の真実」のページを参照するとよい。石川さんを無実と主張する立場から、事件が紹介されている。写真が豊富で事件当時の現場状況をイメージしやすい。法廷闘争で提出されてきた「新証拠」の数々も判る。
冤罪の主張については、テレビ朝日の『ザ・スクープ』の動画配信記事も面白い。自白に至った理由を石川さん本人が証言している。
では、真犯人は誰なのか。『狭山事件を推理する』で諸説が検討されていて非常に興味深い。また、このサイトの「事件概要」のページでは事件関係者が実名でリストアップされている。web 上での「狭山事件」関連の資料ではイニシャル表記が多く、誰が誰なのか混乱したりイメージしずらかったりするので助けられた。被害者宅の見取り図や、身代金受け渡し現場付近の見取り図も参考になる。
事件に関する新聞記事や雑誌記事等の一次資料については、『狭山事件関連資料』に写真が豊富である。また同サイト作者によるblog 「事件関係ブログ ≫ 狭山事件」が現在連載中。
『朝日ニュース昭和映像ブログ 』では、当時のニュース映像が公開されている。「またも捜査に手ぬかり」「長引く犯人の割出し」。
Google マップのストリートビューでは、身代金受け渡し現場や被害者宅が映っている。狭山市駅の西側近隣は住宅が密集して事件当時の面影は全くないが、被害者宅近辺は道路や家屋こそ現代的になっているものの広々とした農地が守られており、往時を偲ばせる。
>大阪育ちな小学生の私には、狭山というと狭山町(現在の大阪狭山市)しか思い当たらなかった。
私も同様、私は高校生であるにもかかわらず、最初は大阪の狭山町での事件と誤解していた。
>私の認識では「狭山事件」は「部落差別に基づく冤罪事件」と捉えるに留まっていた。
これも同様ですね、たぶん高校時代に「石川青年を救おう」と書かれた垂れ幕だか、ポスターだかを校内を見たのが「狭山事件」を認識した最初だと思う。
私が高校に入った頃は、学生運動の残り火が高校にもわずかに残っていた時代であった。私が通っていた高校には、いわゆる「社研」(社会科学研究会)と呼ばれるクラブが公然と存在し、部室内には角材やヘルメットが雑然と転がっているのが、室外からでも伺われた。
さて、狭山事件のその後については特に関心を払っていなかったが、まさかこんなにミステリアスな事件であったとは!・・・
不謹慎な表現で申し訳ないが、へたな2時間サスペンスなど問題にならないほどミステリアスである。
もちろん事件からかなりの時を経ているのであるから、関係者が順に亡くなっていくこと自体は不思議ではないが、死亡時期や、死に様に不審な点が多すぎるように思える。
これはもう、金田一耕助か明智小五郎か、はたまた鞍馬六郎、いや山田奈緒子と上田次郎のコンビか、いや、事件全体の雰囲気からすればやはり金田一耕助にでもご登場願うのがぴったりであろう。
ひょっとすると、最上の大島紬を着て、猫(やはりロシアンブルーが一番ぴったりくるか)を膝に乗せ、ハバナ産最高級葉巻を燻らし、ルイ13世のアニバーサリーボトルとブランデーグラスを前にしたおっさんが、書生の差し出すPC画面を見ながら「ほとぼりも冷めたと思っていたのに、今頃になってほじくり返すヤツがいるとは・・・、好奇心が身を滅ぼすと言うことに気付かないヤツはいつの世にもいるものよ。まぁもう少し様子を見て、あまりしつこいようなら・・・わかっているな?」などと言っているかも知れない。
PCの画面にはこのブログが表示されていたりして・・・。
ご用心のほどを・・・。
ミステリー&サスペンスなのですが、犯人が崖に追い詰められて船越英一郎や片平なぎさに犯行を告白してくれるわけでもなく、手がかりが全て読者に明かされているわけでもなく、仮定に仮定を重ねることしかできない難事件ですね。司法権力と政治権力が絡んだ犯罪だったら、真相が暴かれることはないでしょう。
金田一耕助は人物が次々と死んでから「しまったー」などと言い出すのでイマイチ信用が置けません。
そういえば「葉巻+ブランデーグラス+猫(主にペルシャ)」という絵に描いたような黒幕のイメージってどうやって生まれたんでしょうね。映画かなあ。これも追究すれば狭山事件についていろいろ推理本が出ているように本一冊になるかも。