『ただ、君を愛してる』は市川拓司が執筆した小説『恋愛寫眞 もうひとつの物語』を映画化したものらしい。
そしてその小説は数年前に公開された映画『恋愛寫眞』のコラボレーション企画として書かれたものなのだそうだ。
『恋愛寫眞』も『恋愛寫眞 もうひとつの物語』も知らないが、市川拓司といえば映画『いま、会いに行きます』の原作者ってことで知っている。
ということで『いま、会いに行きます』、それから恋愛映画ということで『虹の女神』と対比しつつ観ることになったのでありました。
以下ネタばれあり。
主人公の青年、マコトは腹部にかゆみを生じる病気持ちで、かゆみ止めの膏薬の匂いで他人に臭いと思われているのではないか、と強迫的な思い込みがある。
そのせいで大学入学式の日も式には出席せず、一人で大学前の道を歩いていたが、そこで同じく入学式に出席しなかった少女、シズルと出会う。
シズルは大学生の割に子供っぽい容姿で、良く言えば奔放、悪く言えば痛い少女だったが、人付き合いを避けているマコトでも何故か無理なく接することができた。
マコトの趣味は写真撮影で、大学近くの立ち入り禁止の森に忍び込んでは撮影していた。
シズルも写真撮影に興味を持ち、マコトに教わりながら森で写真を撮るようになる。
シズルがマコトに対し恋心を抱いているのは明白だが、マコトは同級生のミユキのことが好きで、シズルのことは女性として意識していない。
同級生たちからの誘いで友達づきあいを始めたマコトは次第にシズルと疎遠になる。
だがある日、家出をして大学で寝泊りしようとするシズルに偶然出くわす。
相変わらずシズルを女性として意識していないマコトは、一人暮らしをしている自分の家に住まわせることにする。
久しぶりに訪れた森で、シズルは自分とキスをしているところの写真を撮って欲しい、とマコトに頼む。
そして撮影を終えた次の日、シズルは書置きを残して姿を消す。
数年後、マコトのもとにニューヨークから手紙が届く。
差出人はシズルだった。
シズルに会いにマコトはニューヨークに向かうが、そこで思わぬ真相を知ることになる。
というのが本編のあらすじ。
「ヒロインが姿を消す」→「頼りない主人公が残される」→「ヒロインが隠していた秘密を主人公が知る」という展開は『いま、会いにいきます』と同じパターンだ。
『虹の女神』とも展開が類似している。
導入部はニューヨークに着いたマコト、つまり現在時間を描き、続いてマコトとシズルの出会いに遡って彼らの学生生活を描き、再び現在時間に戻る。
そして愚かな主人公は、自分に向けられた恋心を思い知らされるが、それに応えるには全てが遅すぎてただ涙
を流すことしかできないのだ。
しかし『虹の女神』と『ただ、君を愛してる』の大きな違いは、現実感だ。
『虹の女神』の主人公は大学卒業後すぐに就職できず、やっと就職したらしたで現場スタッフに怒られてばかり。
『ただ、君を愛してる』の主人公は大学卒業後数年にしてカメラマンとして独り立ちしているし、学生時代の友人たちも何の伏線もなく政府機関や国際機関に就職が決まっている。
一体お前ら何者なんだとツッコミを入れてしまう。
そもそも「悪役」や「悪意」自体が存在せず、砂糖菓子のように大甘な世界なのだ。
シズルが失踪した理由もご都合主義の感が否めない。
ラストシーンも洒落っ気はあるが呑気すぎる。
そんな世界に辛うじてついていけるのは、シズルを演じる宮崎あおいの演技力に尽きる。
メガネ姿の宮崎あおいも可愛いが、キスシーンでメガネを外した宮崎あおいも不本意ながら可愛い。
メガネという小道具はあるが、子供っぽさが残った少女から大人の女性への変化を如実に感じさせる。
宮崎あおいがヒロインでなかったら、駄作と言われても仕方ない。
コンタクトレンズの「アイシティ」の宣伝ポスターで初めて見たときは素人さんか売れないモデルかと思ったくらい微妙な線だったけど、この人は静止した写真よりも動いている映像の方が可愛さがよく出るんだろう。
(2年ほど経った今でも「アイシティ」のポスターに起用されているが、相変わらずイマイチだと思う。)
一方、マコト役の玉木宏はというと、悪くはないのだけど19歳の大学生を演じるにはちょっと年取り過ぎだし、「コンプレックス持ちの頼りない青年」を演じるにはちょっとイケメン俳優のイメージが強い気がする。
やはり市原隼人くらいの感じがちょうどいい。
映画館では、映画がクライマックスに差し掛かったあたりで周囲からすすり泣きの音が聞こえた。
私にはそこまで感情移入できなかったし、心に迫ってくるものを感じなかった。
この映画は感動作というよりも、宮崎あおいの可愛さを堪能するための映画といった方が適切だと思う。

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