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décembre 24, 2006
『虹の女神 Rainbow Song』を観た
『虹の女神 Rainbow Song』は岩井俊二主宰のプロジェクト「 playworks 」の第一弾映画。
青春恋愛ものです。
小さな映像製作会社の下っ端社員として働く青年、智也が主人公。
要領が悪く上司に怒られてばかりの彼はある日、会社を辞めてアメリカに飛び立った同僚の女性、あおいがアメリカ行きの飛行機の事故に遭い死んだことを知る。
上司とともにあおいの実家に弔問に訪れた智也は、一家を空港まで送り届ける。
映画は二人の出会いまで時間を遡り、彼らの過ごした日々を描いていく。
出会いのきっかけは大学時代、智也があおいのバイト先の同僚の女性にストーキングを働いていたことだった。
大学の映画サークルで自主制作映画を作っているあおいは、フィルム代欲しさに智也から1万円を受け取り、同僚との食事の場をセッティングすることを約束してしまう。
結局これは失敗に終わるが、このことをきっかけに智也は映画サークルに引き入れられ、あおいが監督する映画『 THE END OF WORLD 』の主演男優として出演することになる。
今度は主演女優に対し色気を出す智也だったが、主演女優が智也とのキスシーンを嫌がりまたも失恋に終わる。
結局あおいが主演を兼任して撮影をやり直し、映画は無事クランクアップした。
大学卒業後、あおいは映像製作会社に就職する。
上司が酒の席で発した激励を真に受けた彼女は、映像製作をより学ぶためアメリカ行きを決意。
欠員の穴埋めのため、卒業後定職に就いていなかった智也を会社に引き入れた。
智也は撮影の一環で参加した見合いパーティーで知り合った女性と同棲生活を始めるが、彼女が智也を騙していたことが判り破局を迎える。
その後智也はあおいが会社を辞めるつもりであることを知る。
智也はあおいを引き止めなかった。
そしてあおいは事故で死んだ。
弔問のためにかつての映画サークルの仲間たちがあおいの実家に集う。
彼らの前で『 THE END OF WORLD 』が上映される。
そしてあおいの部屋に足を踏み入れた智也は、彼女が自分に恋心を抱き続けていたことに初めて気づくのである。
智也の何と愚かなこと。
そのどうしようもないダメ男っぷりを市原隼人が好演している。
一方、あおいを演じるのは上野樹里。
今が旬とばかりにあちこち出演しまくりではあるけど、本作の「表向きは恋愛感情を出さずに映画制作に打ち込むクールなお姉ちゃん」という役柄にはちょっと違和感がある。
『スウィングガールズ』や『のだめカンタービレ』みたいにコミカルなヒロインの方が生きるような気がする。
白眉はあおいの妹で盲目の少女を演じる蒼井優。
一種の神々しさすら感じます。
この人は妹キャラ、ロリキャラがハマリ過ぎ。
「萩原聖人=頼りない兄ちゃんキャラ」みたいに固定化してしまうかもしれない。
映画の進行テンポはゆったりしていて、間延び感のある一方で大学生活の幸福なモラトリアム感がよく出ていた。
大学時代に自主制作映画を作っていた人には共感できる部分が大きいのではないかと思う。
ただ、クライマックスで『 THE END OF WORLD 』を全編上映するのは長すぎる。
いかにも学生制作のしょぼいシナリオと映像を再現しているのでちょっと苦痛を覚えた。
智也とあおいの二人が映画の中でしか恋人同士になれなかったこと。
『 THE END OF WORLD 』の結末があおいの運命と奇妙に一致していたこと。
その切なさを訴える意図は判るだけに惜しい。
全編通じて一番の問題は、智也のダメっぷりを間近で知っているのにそれでもあおいが智也に魅かれたというその理由を私が理解できないことだ。
女心は不思議、ということで済ましておけばいいのかなあ。
投稿者 Dormeur : 02:03 AM | コメント (0) | トラックバック
décembre 22, 2006
『サンキュー・スモーキング』を観た
blogや掲示板でとかく燃え上がりやすい話題がある。
タバコだ。
そこではルサンチマンと憎しみが何の屈託もなく、惜しみなく晒けだされる。
タバコは絶対的悪であり、タバコを攻撃することは絶対的正義の顕現である。
タバコを擁護することは許されない。
あたかもファシズム体制や社会主義一党独裁体制の政党集会のような奇妙な空間が現れるのである。
とかく複雑な利害がぶつかり合い様々な価値観が乱立する現代社会にあって、安全に自分の感情を露出できる数少ない機会だからだろうか。
タバコは喫煙者のみならず周囲の人間の健康も害する、医療費の無駄遣いを招く、依存性がある、臭い、匂いが染み付く、ヤニで物が汚れる、火が危ない、吸殻が汚い……なるほど。
しかし、そんなに害のある代物をなぜ堂々と流通させているのだろう。
食品に有害物質が含まれていたら即座に流通を止められるし、煤煙や排水中は浄化した上で排出するよう規制がかけられるのに。
なぜタバコの非合法化を訴えないのだろう。
大麻や覚醒剤のように製造・販売・所持を禁止すればいいじゃないか。
密輸が横行しようが、密売でヤクザが太ろうが、税収が減ろうが、タバコ農家やタバコ販売店が生活に困ろうが、国民が健康になればいいじゃないか。
なんとも不思議なことだ。
そんな議論はさておいて。
『サンキュー・スモーキング』はタバコをテーマにしたコメディ映画である。
当然最近の潮流に逆らわず、タバコを擁護することはない。
オープニングは「タバコを吸う奴は死んでしまえ」という歌詞をバックに、主要スタッフの名前がタバコのパッケージをあしらってクレジットされる。
なかなかお洒落。
物語の主人公はタバコ会社の肝いりで「タバコに害はない」ということを研究するタバコ研究アカデミーの広報部長、ネイラー。
巧みな弁舌でタバコ業界へのバッシングを反らせるのが彼の仕事である。
TV番組に出演してタバコ業界の努力をアピールしたり、反タバコ法成立を目指す上院議員をTV討論でやり込めたり、タバコ会社への訴訟を考えている原告のもとへ訴訟取り下げの工作活動をしたりする。
一方で、ハリウッド映画に喫煙シーンを登場させてタバコの売り上げを伸ばそうともする。
世間の風当たりの強さや上司からの圧力にも負けず仕事に励むネイラー。
ただ住宅ローン返済のためと割り切って彼は働く。
彼を憎む敵は多いが、別れた妻との一人息子だけはネイラーの仕事振りを見て彼に尊敬の念を抱くようになる。
しかし、ネイラーを取材に来た女性新聞記者と私的な関係を結んだことをきっかけに、彼の運命が狂って行く……というお話。
タバコ業界やタバコ会社への皮肉に満ちているが、反タバコ側に対する皮肉も見え隠れする。
ネイラーの辿る運命もまた皮肉で、苦笑を禁じえない。
女性新聞記者の罠にはまり「何でこんなことをしたんだ?」と問い詰めるネイラーに、彼女が「あなたと同じ。ローンのためよ」とサラリと言ってのけるシーンは屈指の名場面だろう。
単なる反タバコに留まらないバランス感覚、ユーモア、批判的精神を備えた秀作だ。
父と息子の心の交流を絡めた展開も絶妙。
ちなみにタバコをテーマにしながら、喫煙シーンは一切登場しないというおまけもついている。
ところで、タバコ政策の現実的な落としどころとしては、喫煙免許制の導入、紙巻タバコの製造・輸入・販売・紙巻作業代行の禁止を行うのがよいと思う。
免許制により喫煙者の行動をコントロールしやすくなるうえ、官僚の天下り先も確保できる。
紙巻でない喫煙法は手間がかかるので喫煙人口は自ずと減るし歩行喫煙もしづらい。
タバコそのものの禁止ではないので税収がゼロにはならないし闇流通の旨みも少ない。
投稿者 Dormeur : 11:41 PM | コメント (0) | トラックバック
décembre 13, 2006
高野山観光
11月3日は文化の日。
というわけで世界遺産、高野山を訪ねた。
本当は避暑がてら、夏の盛りに訪ねたかったのだけど延び延びになって秋になってしまった。
3連休だったり秋の行楽シーズンだったりで、南海電鉄の高野山方面行き特急「こうや」は早くから予約で埋まっていて、行きの指定席は取れたものの帰りは結局取れず。
小さい頃はコロタン文庫の電車大百科で「こうや」の写真をよく眺めたものだ。
今では車両が代替わりしてしまったけど、20年越しの夢が叶った。
長生きはするものです。
高野山までは直線距離の割に時間がかかる。
それというのも橋本からはひたすら急勾配を登っていくからだ。
席が一両目だったので前方の景色が見える。
おかげで勾配のきつさがよく伺える。
これは電車じゃないと登れない勾配だ。
(鉄道は急勾配が苦手なので、昔から登山鉄道は機関車ではなく電車が走っていた)

極楽橋駅で「こうや」とお別れ。
ケーブルカーに乗り換える。
寒い。
下界は秋の割に気温が高めで、長袖シャツ一枚の人もいるくらいだけどここでは上着がないと凍えてしまう。
満員のケーブルカーに乗り込んで、高野山駅に到着。
寺院の立ち並ぶ区域に行くには、ここからさらにバスに乗り換える。

とりあえず時間のかかりそうな奥のほうから行こうと、奥の院への参道の入口である一の橋前で降りる。

高い杉の木立で薄暗い参道の両側には墓所がひしめいて、これぞ高野山という厳かな空間。
墓所は有名な戦国武将や大企業の創業者一族のものがそこかしこに見られるので退屈しない。

薩摩の島津家。

石田三成の墓所。

明智光秀の墓所。
あと、やたら目に付くのが太平洋戦争で南方戦線に向かった部隊の戦没者の合同墓だ。
少し離れたところには戦犯として処刑された人々の慰霊碑もある。
もう靖国神社とか国立戦没者慰霊施設とかややこしいことはやめてここに集めとけばいいんじゃないのという気がする。
奥の院に到着すると、暖房の入った休憩所があって、無料で温かいお茶を飲める。
冷えた体にはありがたいサービスだ。
ただし、お茶を掬うのも飲み終わった後茶碗を洗うのも自分でしなくてはいけない。
このお茶は年季の入った茶釜で沸かされている。
福助の意匠があしらわれた可愛い茶釜だった。

ここには仏像が立ち並んでいて、来訪者は熱心に水をかけている。
なぜ水をかけるのかはよく判らない。
こう寒いと、冷たい水をかけるのはかえって仏罰が下りそうな気がする。
この左手は灯篭堂という大きいお堂に続き、さらにその奥に空海の墓があるのだがその方面は撮影禁止だ。
奥の院を出て、中の橋からバスに乗り苅萱堂へ。
苅萱堂を見物してから昼食とする。
今回は「高野山1dayチケット」を利用したので、割引特典のある懐石料理の店に行ってみた。
ランチで2000円以上するようなところなのだが大混雑。
30分待たされる。
懐石料理だから量も少なく食べ応えがない。
出家したらすぐ痩せそうだ。
食い足りないので、道端で焼き栗を作って売っている店を発見するや買って貪り食う。
天津甘栗はあまり好きではないけれど、ここで売ってたのは和栗なので、粒が大きくちょっとほこほこ感がありうまい。


徒歩で金剛峰寺に到着。
改修中なので見苦しい。
中に入り、買ったばかりの朱印帳に朱印をいただく。
ちなみにここでは寺側から拝観料とは別に料金を請求される。
中は昔の偉い人が滞在したという部屋があって、襖絵や欄間などがお見事。
台所も一般公開されている。

かなり広い石庭もある。
続きの離れには空海の一生を描いた襖絵の部屋が連続している。
この建物は新しそうだし最近描かれたものっぽい。
ありがたみには欠ける。
さらに奥は拝観者と信者のための休憩所・集会所になっていて、無料でお茶菓子が提供される。
出された菓子というのは、ちょっと糖蜜を挟んだウエハース風の煎餅。
なかなか旨い。
一応お土産として買って帰れるけど、買うには高いのでやめた。
ちなみに、この離れには障害者用トイレがある。
寺には不釣合いなのでちょっとびっくり。



金剛峰寺の周辺は大きいお堂が集中している。
いちいち拝観料が必要だ。

帰りの客でバス停が混雑していたので、余裕をもって早めに高野山駅に戻る。
高野山駅は霊山にふさわしい、歴史を感じさせる渋い駅舎だ。

駅の脇にシャコタンならぬシャコチョウ?なマイクロバスを発見。
写真ではちょっと判りづらいか。
冬季の降雪時のために車高を上げてあると推察。

南海の駅は主要駅を除くと概ね整備が遅れていてボロいけど、高野山駅はボロいのがよく似合う。


ケーブルカーが到着、高野山ともお別れだ。
極楽橋からは普通列車で橋本まで行き、橋本で特急「りんかん」に乗り換えて大阪に帰った。
あとは「ラピート」に乗れば南海の特急は全部制覇することになる。
果たしてその日はいつ来るのやら。
また20年後だったりして。
投稿者 Dormeur : 10:26 PM | コメント (0) | トラックバック
décembre 11, 2006
2006年に読んだマンガ 2006.12.11
岩岡ヒサエ『ゆめの底』(宙出版)
本屋で表紙を見て何かピンと来るものがあったのでジャケ買い。
結果大当たり。
眠りについた少女がふと気づくとコンビニエンスストアの前に居た。
そこは夢のできるところ。
生の世界と死の世界の狭間にあるこの場所に、いくつもの思いがやって来ては去っていく。
丸っこくてぷにぷにしててキュートでありながら、繊細で軽い独特のタッチ。
枠線以外定規を使わないことから生まれているのだろう、心地よい酩酊感がある。
まったりほっこりできるファンタジーだ。
こうの史代『さんさん録』(全2巻、アクションコミックス)
主人公は定年を過ぎて妻に先立たれた初老の男、参平。
自分の家を引き払い息子一家とともに暮らすことになった彼は、荷物の中から一冊のファイルを見つける。
それは亡き妻が参平に残した生活ノートだった。
そのノートを読んで家事を学び実践する参平と一家の日々を描いた作品。
シリアスな展開でしんみりさせておいて毎回オチをつける、こうの史代お得意の匠の技を堪能できる。
ついでに生活の知恵も学べて非常にお得。
こうの史代にハズレなし。
五十嵐大介『リトル・フォレスト』(全2巻、ワイド KC アフタヌーン)
主人公のいち子は、街の生活をやめて東北地方のとある村、小森に帰り一人暮らしをしている。
畑を耕し作物を育て、料理をして食べる。
手間はかかるし不便だけど、その生活の何と豊かに見えることか。
作中で描かれる料理の模様を読むたび口に唾が湧いてきて、自分も田舎で暮らしたくなる。
しかし農村での暮らしは甘いものではないことも教えてくれる。
五十嵐大介の他の作品世界とは少々毛色が違ってイメージや超自然の世界が展開されることはないけれど、彼の中には「人間は自然から恵みを受け取って生きている」という自然への崇敬がベースにあって、その崇敬の部分を抽出して展開したのがこの作品なんだと思う。
読んで大満足するとともに、買ったきり読まずに1年放置してたのを後悔した。
五十嵐大介のマンガはよくわからん、と言う人でもエッセイマンガの気分で読めるはず。
火事で焼けてももう一度買いなおしたいと思うお気に入りの一作。
志村貴子『どうにかなる日々』(全2巻、F COMICS)
志村貴子の作品はキャラクターの無表情の表情であったり、ぼけーっとした表情だったりが生み出す「静止」の感覚とゆるい雰囲気が特徴的。
この『どうにかなる日々』はそんな雰囲気で淡々と恋愛模様描かれる、一話完結の短編集。
面白いとかつまらないとかではなくて、志村貴子だなあとしか言えない。
投稿者 Dormeur : 11:23 PM | コメント (0) | トラックバック
décembre 10, 2006
2006年に読んだマンガ 2006.12.10
山川直人『コーヒーもう一杯』(第1巻-第2巻、ビームコミックス)
コーヒー豆を買ってきてコーヒーを淹れる習慣ができた私がタイミングよく出会った一作。
市井の人々のエピソードの中にコーヒーがある。
コーヒーのようにほろ苦く、コーヒーのように香りたち、コーヒーのように温かい連作短編集。
絵は全て手書きでかっちりと書き込まれていて、スクリーントーンは使われていない。
デフォルメされたキャラクターや記号は今時珍しく懐かしいタッチ。
木版画のようでもあり、コミカルで温かみがある。
昔読んだ永島慎二の『フーテン』を思いだした。
外薗昌也:作、別天荒人:画『ガールフレンド』(第1巻、ヤングジャンプ・コミックス)
外薗昌也が原作やってるやん、ということで買ってみた。
1エピソード完結の短編集だ。
シリアスな学園ラブストーリーを描こうとしているけど、どうにも居心地の悪さを感じる。
童貞的、オタク的妄想が拭いきれてなくて痛々しいというか気恥ずかしいというか。
あとがきを読むと外薗昌也にも自覚があるみたい。
成長して『 BOYS BE... 』に物足りなくなった人向けか。
ヤングジャンプがターゲットとしている読者層の需要にはマッチしているんじゃないかな。
別天荒人の描く女の子は爽やかさのなかにちょっと色気があってなかなか可愛い。
平野博寿『ガールガールボールシュートガール』(第1巻-第2巻、ヤンマガ KC)
珍しい女子サッカーものマンガ。
女子高校のサッカー同好会で細々と活動していた主人公、香織の前に、梅澤という寡黙なクール・ビューティーが現れる。
天才的なサッカー技術を身に着けている梅澤を部に招き入れ、ついに11人揃ったサッカー同好会。
サッカー部を設立し大会に出場することを目指して男子サッカー部に交流試合を申し込む。
梅澤を中心に実力を見せつけサッカー部設立を認められた彼女たちだったが、女子サッカーの強豪選手たちがその前に立ちはだかる……。
掲載雑誌がヤングマガジンということもあってキャラクターはみな美少女ぞろいで巨乳ぞろい。
無駄に胸や太ももや下着を見せる描写が多いのもやり過ぎの感が否めない。
だけど本筋のストーリーはなかなか熱い。
現実感はないけど、マンガと割り切れば楽しめる。
青木和雄・吉富多美:原作、オ・スギル:画『コミック ハッピーバースデー』(上下巻、金の星社)
児童書として書かれ文芸書版、アニメ版もあるベストセラー『ハッピーバースデー』のマンガ版。
原作は未読。
ストーリーは児童虐待といじめをテーマにしたもの。
11歳の誕生日に母親から「生まなきゃよかった」と言われたことをきっかけに、主人公の少女あすかは声が出なくなってしまう。
あすかと違い両親の期待を受けていた兄は当初あすかをバカにしていたが、あすかが心を閉ざして廃人同然になってもなお彼女を邪険に扱う母親の態度を見て失望。
田舎に住む祖父母のもとにあすかを預けることにする。
祖父母の愛情と自然に包まれて、あすかは心を開くようになり声と元気を取り戻す(上巻)。
学校に復帰したあすかだったが、クラスではいじめがはびこっていて、担任教諭もいじめに加担しているような有様だった。
あすかはいじめに立ち向かい、養護学校の少女との出会いと別れを通じて成長していく。
自分と正面から向き合い反抗する子供たちの姿を見て、あすかの両親も自分の非を受け入れるようになる。
12歳の誕生日、あすかは皆から祝福を受けるのだった(下巻)。
というわけでいかにも感動的なストーリーなわけだけどマンガとしての出来はよくない。
長い台詞が詰め込まれて説明的・演説的になってしまう場面が多く、読んでていちいちひっかかってしまう。
ページの制約がきつかったのかもしれない。
編集者はマンガ編集のプロではないように見受けられる。
マンガ雑誌の編集者ならネームを見てすぐ手直しさせるだろう。
長台詞の洪水の中で「みんないい人」になってしまう強引な展開には押し付けがましさと胡散臭さを感じてしまい、素直に受け入れられない。
マンガを担当しているのは韓国人だが、絵に若干の固さを感じるものの日本マンガの技術をしっかり自分のものにしている。
あすかのキャラクターデザインにもそこそこの「萌え」がある。
横書き(洋綴じ)マンガである点には違和感があるかもしれない。
ところで、上巻の帯には「100万人が泣いた」とあり下巻の帯には「120万人を泣かせ、癒した」とある。
上下巻の刊行は1ヶ月しか空いてないのに増えすぎ。
そんなに売れたんかなあ。
投稿者 Dormeur : 10:54 PM | コメント (0) | トラックバック
近つ飛鳥観光
飛鳥、というと奈良県の明日香村が有名だが、大阪の羽曳野にも飛鳥という地名がある。
近頃の私は神社がマイブーム。
その流れで読んだ「古事記」の解説本によると、由来はこうだ。
ある時、皇位を狙う弟・墨江の中王に難波宮で殺されかけた履中天皇は、羽曳野を経由して奈良の石上神宮に逃げる。
その天皇のもとに別の弟、水歯別の命がやってくるが、墨江の中王とグルなのではないかと天皇は疑い、拝謁を拒否する。
「反逆するつもりがないなら墨江の中王を殺して来い」と命じられた水歯別の命は難波宮に行き、墨江の中王の側近であるソバカリをそそのかして墨江の中王を暗殺する。
ソバカリを率いて奈良に向かった水歯別の命は、羽曳野から山を越える前に祝宴を開く。
そそのかされて簡単に主君を殺すような奴は危ないので、ソバカリが大きいお椀で酒を飲んでいる隙に水歯別の命はソバカリの首を斬る。
そして明日(あす)になってから、奈良に向かうことにした。
そういうわけで、羽曳野のその地を飛鳥と言うようになった。
それから山を越えて奈良に入った水歯別の命は、人を殺して穢れている身をそそぐために禊をする。
そして明日(あす)になってから、石上神宮に向かうことにした。
そういうわけで、奈良のその地も飛鳥と言うようになった。
難波宮に近い羽曳野の方が「近つ飛鳥」、難波宮から遠い奈良の方が「遠つ飛鳥」である。
この話でもわかるように羽曳野は大阪と奈良の交通の要所だった。
大量の古墳が見つかっており、歴史学上で河内王権と呼ばれる政治勢力があったと考えられている。
その古墳だらけの近つ飛鳥の山の中に建てられた博物館が、大阪府立近つ飛鳥博物館だ。
名前だけ見て「つ」って何だろうと長い間気になっていたこの博物館を、疑問が氷解した記念に訪ねてみた。
近鉄阿部野橋駅から近鉄南大阪線に乗り、喜志で降りる。
7年前、大阪芸術大学の学園祭を訪ねて以来の喜志。
駅前にはそれなりに商店は固まっているけど、相変わらず田舎だ。
ここから金剛バスの「阪南ネオポリス行き」に乗る。
大阪芸術大学の前を経由して終点、阪南ネオポリスで下車。
阪南ネオポリスという大袈裟な名前だが、要するに山を拓いて一戸建て住宅を造成した新興住宅地だ。
バス停から山側に向かうと、「風土記の丘」と名づけられた森林公園に入る。
石を投げれば古墳に当たる、といった感じで古墳がウジャウジャ埋まってるらしい。
ハイキングコースのように整備されていて、石室がむき出しになった古墳を見ることができる。
クネクネとしたなだらかな道を歩いていくと、山の中に不釣合いな豪奢な近代的建築物が現れる。
近つ飛鳥博物館だ。
サントリーミュージアムを設計した高名な建築家、安藤忠雄による設計で、いかにもバブル経済期に計画された無駄に金のかかったハコモノである。


近つ飛鳥博物館の展示内容は、古墳時代から飛鳥時代にかけての品々だ。
古墳やその近辺から発掘された副葬品、埴輪、刀剣、といったものが展示されている。
錆びた金属の塊とか単色の須恵器とかばかりで、非常に地味。
仁徳天皇陵の建設の模様を再現したミニチュア模型もあって、ミニチュアといっても元が巨大なだけに巨大な模型なんだけど、やはり色彩的に地味だ。
古墳造成に用いられたらしい木製の橇、修羅もここで展示されているが、無骨で腐りかけた木材なので巨大だけどやはり地味だ。
いや、私はこういうの好きだけどね。
仁徳天皇陵の模型を中心に置いてスロープで降りていく展示ホールとか、高い石塔をそのまま収納した吹き抜けの空間とか、内部も小奇麗で凝った作りではあるのだけど、背伸びしすぎた感がある。
立地の悪さも災いしてか、休日だというのにガラガラだ。
経営状態は推して知るべしだろう。
大阪府民の負の資産と言い切ってもいいと思う。
周辺の緑を含め、河内地方の小学校の生徒にとってはいい遠足コースになっているだろうと思われるのが救いだろうか。
帰りのバスの時間がうまく合わなかったので、徒歩で道を下る。
途中でわき道に入り歩く。
偶然にも大阪芸術大学で学園祭が行われていたので立ち寄ったのだ。
門から建物までの、毎日通学するとなると挫けそうな急峻な坂、立ち並ぶ建物の数々、懐かしい。
全然変わっていない。
芸大だけにコスプレが板についている学生の多さも変わりない。
今年の流行は、やはり涼宮ハルヒだ。


芸大の平和を守るゲイダイガーのショーも健在だった。
何故か無性に嬉しい。
途中雨が降り出して、足元のタイルが濡れて滑るにも関わらず激しいアクションを見せてくれた。
さすがゲイダイガーだぜ。
一方、忍術研究会のチャンバラも沢山の観客を集めていた。
途中からだったのであまり観れなかったけど、これまた懐かしくて嬉しい。
ライブに来ていたどこぞのバンドはサックスとトロンボーンを配した変り種。
なかなか悪くない。
日が暮れているにも関わらずついついアンコール演奏まで聴いてしまった。
芸大は一芸に秀でた人間の集まりなのでやはり学園祭が楽しい。
若者たちの活力ってやつを吸収させていただきました。
何だかんだで楽しんだ、秋の一日。
投稿者 Dormeur : 01:31 AM | コメント (2) | トラックバック
décembre 05, 2006
『ブラック・ダリア』を観た
『ブラック・ダリア』は1947年にアメリカで起きた未解決の殺人事件をモチーフに作られたサスペンス映画。
10月22日にアポロシネマ8で観た。
1940年代末のロサンゼルスに、元ボクサーの二人の警察官がいた。
彼らは市の慈善試合イベントで対戦しイベントを成功させる。
その功績からロサンゼルス市警の第一線に異動し、「ミスター・ファイア」と「ミスター・アイス」のあだ名で呼ばれるコンビとして犯罪捜査に当たっていた。
どっちがどっちだったか忘れたが、片方が主人公で、もう片方が恋人持ち。
恋人を間に挟んで、微妙な三角関係のなか二人は友情を深めていく。
そんなある日、彼らが容疑者を追跡中、全裸の女性死体が遺棄されている現場に居合わせることになる。
その死体は腰の位置で二つに切断され、口は耳まで切り裂かれていた。
死体の身元は女優志願の若い女性で、その異常な死体の状況とともに事件はマスコミの格好のネタとなった。
彼女は「ブラック・ダリア」とあだ名されセンセーションを巻き起こす。
刑事の片割れは今抱えている事件を放り出して「ブラック・ダリア事件」の捜査に没頭する。
もう片方は相方を強く諌めるが、やむなく捜査に協力することになる。
そして捜査中に彼は富豪の娘と出会い、相方の恋人への感情を断ち切るように彼女と情事を重ねる。
「ブラック・ダリア」事件をきっかけに狂いだす彼らの運命と事件の真相はいかに……というお話。
私の頭が悪いだけかもしれないけど、登場人物の名前が覚えられなくて結構混乱させられた。
上に挙げた人物は区別がつくにしても、彼らに関係している人物の名前を台詞に出されても誰が誰なのかよく判らない。
疑問を抱えたまま映画はクライマックスを迎え、犯人が明らかにされるのだが、特にインパクトがあるということもなく流れのままに結末にたどり着いたような気分だ。
悪い映画とは思わなかったけど少々収まりの悪い気持ちが残った。
ちなみに実際の「ブラック・ダリア事件」については「殺人博物館」の「ブラック・ダリア事件」を参照のこと(死体写真があるので注意)。
投稿者 Dormeur : 10:00 PM | コメント (0) | トラックバック
décembre 04, 2006
池田観光
ムヒが丘にかゆみを乗せるのは池田模範堂。
高校野球界を席巻したのは徳島県立池田高校。
北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線が通っていたのは北海道の池田町。
10月21日、誘われるがままに赴いたのは大阪府の池田市。
池田市はインスタントラーメン発祥の地として知られる。
日清食品創業者の安藤百福は池田市にあった自宅の作業小屋でチキンラーメンを開発した。
その縁で、日清食品は当地に「インスタントラーメン記念館」を建設し無料で開放している。
近所には度々行ってるのだけど、「インスタントラーメン記念館」には行ったことがなかったので丁度良い機会だった。
阪急の池田駅を降りてコンビニエンスストアの角を南に曲がり、住宅街をてくてくと歩いていくと「インスタントラーメン記念館」だ。
入って右手が展示室。
展示室の片側壁面には日清食品がこれまで発売してきたインスタントラーメンのパッケージの数々が年代順に飾り付けられている。
見たことのない年代物の商品たち。
こんな商品が発売されていたのかと非常に興味深い。
幼い頃、インスタントラーメンのパッケージを模したコマで行う神経衰弱ゲーム「ぴったしめんめん」でよく遊んだものだけど、そのコマでしか見たことがない図柄のパッケージも郷愁を誘われる。
また、近年の商品の入れ替わりの激しさも実感できる。
展示室の真ん中には、安藤百福がチキンラーメンを開発した当時の模様を実際の道具を交えて再現した小屋がある。
展示室のもう片側壁面は、カップヌードルにまつわる展示だ。
カップヌードルの構造、カップヌードル開発中のエピソード、カップヌードル発売時のイベント映像、コマーシャル映像などが展示されている。
展示室の奥に進むと、オリジナルのカップヌードルを作ることができるという体験コーナーがある。
まず自動販売機に300円を投入して、発泡スチロールのカップを購入する。
すると係員が机と椅子の並ぶ方へと客を案内する。
机には油性ペンが備えられている。
カップに何か描け、というのだ。
突然描けと言われてもなあ。
ペン先の太い油性ペンに苦労させられながらも下手糞な絵を描いてみる。
絵を描き終わると、係員が流れ作業でカップヌードルを作っているカウンターまでカップを持っていく。
カップを係員に預け、カウンター沿いに進んでいく。
客に向けられたハンドルをぐるっと回すと、カップに麺が収まる。
いくつかある具の中から4つ選び、係員に告げてカップに具を入れてもらう。
どこかのタイミングでスープの粉末が入ったはずだけど忘れた。
カップに蓋が接着され、フィルムの袋に入れられる。
ぶかぶかのフィルムが機械をくぐると、熱で袋が縮みカップにぴったりと密着する。
これで出来上がり。
係員に持ち帰り用の袋を渡されるので、機械を使い自分で袋に空気を吹き込むと割れずに持ち帰ることができる。
「インスタントラーメン記念館」の2階ではチキンラーメンの手作り体験ができるコーナーもあるが予約制で、予約は2ヶ月先までほぼ満杯という状況。
休日の前日に予約が取れるはずもなく、チキンラーメンは作れずに記念館を辞した。
昼食は折角なので、駅前にあって日清と関係があるらしいラーメン店「麺翁百福亭」でラーメンを食す。
食欲が満たされた後は駅の北側へ抜け、市役所の脇を通り坂を上っていく。
目的地は回生病院のとなり、逸翁美術館。
逸翁美術館は阪急電鉄の創業者であり、宝塚歌劇や阪急ブレーブスの生みの親、小林一三の自宅を改装して美術館にしたもの。
美術収集家でもあった彼のコレクションが展示されている。
さすがお金持ち。
敷地は広いし、洋風に建てられた邸宅も広くて高級感がある。
私も死後には自宅をコレクションの展示場にしたいもんだ。
それだけの金を稼ぐ根性も才覚も全然ないけど。
ちなみに展示されている美術品は日本画や陶器が中心。
たまたまかもしれないが、外国人のツアー客が多数来訪していた。
住宅街の中にある、穴場のような美術館だ。
ちなみに元が日本の住宅なので、建物に入るときはスリッパに履き替えることになる。
美術館を出たあとは、駅に帰りがてら池田城址に立ち寄る。
ここは公園として整備されていて、ちょっとした天守閣まで建てられている。
史実では天守閣は存在しない城だったらしいのだが、「雰囲気作り」だそうだ。
あまり趣味がよいとはいえない。
展望台を作るなら折角だから天守閣にしてしまえ、という発想だろうか。
山手の城だけに小高いところにあるので、眺めは可も不可もないといったところ。
子供をつれてご近所さんが散歩に来るには悪くはないか。
遠方からはるばるやってくるには、よほどの旧跡マニアでもないとがっかりしそうな気がする。
ところで、「インスタントラーメン記念館」で作った私のオリジナルカップラーメンはといいますと。

名づけて「グ○コ森○ラーメン」。
1食で300メートル走れます。
胡椒の風味が強く、とても市販はできそうにない。
名物に旨いものなし……違うか。
投稿者 Dormeur : 12:02 AM | コメント (0) | トラックバック
décembre 03, 2006
KID 倒産
嘘だと言ってよ、ジョー。
『 infinity 』シリーズ第4作『 12RIVEN -the Ψcliminal of integral- 』はお蔵入りですか。
関係各位は速やかに権利・スタッフを保全して発売を目指して欲しいものです。
実相寺昭雄監督逝去とともに悲しいニュースだわ。
ついでに豆知識メモ。
『 Ever17 ~the out of infinity~ 』のディスクの中の「 ever17.e17 」というファイルを『 ever17.mpg 』にリネームするとオープニングムービーを PC で再生できるらしい。
あと関係ないけど『いただきじゃんがりあん R 』のオープニングムービーが COOL。