大抵のノベル型アドベンチャーゲームでは、プレイヤーがテキストを読み進めていくと途中で選択肢が現れ、物語の主人公の行動や台詞を選択することになる。
例えば「追いかける/追いかけない」「『俺のせいじゃない』/『ごめん……』/何も言わない」といった具合だ。
そして選ばれた選択肢によってシナリオが分岐する。
『 Prismaticallization 』(プリズマティカリゼーション)は、そんなシステムを廃したノベル型アドベンチャーゲームだ。
発売は1999年。
プレイステーション版とドリームキャスト版がある。
2002年には「 SuperLite1500 」シリーズに収められ、1,500円という廉価で発売された。
現在は生産されていないので、入手するためには中古ゲーム販売店を巡るか、ネットオークションを利用するしかないだろう。
ちなみに私はプレイステーション版を購入したが、ネット通販の中古ゲーム店を利用して送料込で3,600円を費やした。
『 Prismaticallization 』の製品パッケージには、「 L'acte est vierge, même répété 」と書かれている。
「行為は処女である、たとえ繰り返されても」――ルネ・シャールの詩の一節だ。
このことは『 Prismaticallization 』の物語がいわゆる「ループもの」であり、衒学趣味の強いことを暗示している。
物語
主人公は高校三年生の少年。
ある夏休みの日、午前9時。
幼馴染の少女、柊明美に一緒に受験勉強をしようと誘われて、彼は彼女の親の友人が所有する避暑地の山荘にやってくる。
といっても、明美はいわゆるギャルゲーにありがちな「幼馴染」ではない。
小学生の頃に付き合いはあったが、以降はまともに話をしたことはないという関係だ。
そして主人公はその山荘で、4人の女性に出会う。
「ははあ、そこで主人公は彼女らと恋に落ちるんだな……」と思うと大間違い。
山荘に到着して翌朝の午前9時を迎えるかというところで、突然物語は終わる。
そしてゲームを続行しようとすると、始まるのは再び前日の午前9時からの同じ1日だ。
主人公たちとプレイヤーは、ひたすら同じ1日を循環する。
「ループもの」の物語では大抵、主人公はループから脱しようと足掻くけれども、本作の主人公は自分が同じ1日を循環していることを知覚していない。
知覚しているのはプレイヤーと、作中のある人物だけである。
シナリオ分岐システム
冒頭で触れたように、プレイヤーは主人公の行動や台詞を選択できない。
しかし、この作品には登場する5人の女性それぞれを巡るエンディングが存在する。
一体どうやってシナリオが分岐するのか?
実は作品内の最初の「1日」が終わる直前、主人公は水晶の柱のような謎のオブジェを拾う。
それ以降、作中でプレイヤーはそのオブジェに「状態」を記録するかどうか求められる場面に遭遇することになる。
そしてその記録は次回以降の「1日」で特定のシーンに差し掛かると自動的に消費され(ゲーム内では「解放」と呼ばれる)、物語の展開が変化するのだ。
例えば午後から雨が降ることになるシーンでは「午後から雨天」という「状態」を記録すると、次回の「1日」ではその記録が「解放」されて、必ず雨が降る。
ある展開では、山荘のメンバーがバトミントンをプレイすることになるが、バトミントンの勝負に主人公が負けたときに「バトミントンの技術」という「状態」を記録できるようになる。
「バトミントンの技術」を記録すると、次にバトミントンをプレイする展開になったときにその記録が「解放」され、主人公は勝負に勝利する。
バトミントンをプレイする展開にならなければ、その記録は次回に持ち越しである。
「状態」の中にはプレイヤーが過去に「解放」したことがあるかどうかで、「解放」されても異なる展開になるものがある。
エンディングに到達する(=ループから脱する)ためにはその「状態」を手に入れて何度も「解放」してやらなければならない。
ありがたいことにネットには解法を記した web ページがいくつかあるので、面倒臭がりの私はその解法に沿ってゲームを進めた。
それでも1つのエンディングに到達するためには10回以上のループが必要だ。
5つのエンディングを全て見るためには合計80回ほどループしなければならない。
解法を見ずにゲームを進めるなら、200回、300回とループしなければならないだろう。
文章を早送りする機能があるのと、「1日」が短いため1回あたり数分で済むのがせめてもの救いだ。
キャラクター
本作のシステム上、主人公は明示された選択肢の中から(プレイヤーに指示されて)選択を行うことがない。
それに呼応するかのように、本作の主人公には主体性がない。
ただ成り行き任せに生きている。
しかし彼はそのことを十分自覚している。
主人公は「普通の高校生」を自称しているが、雑学的知識を豊富に持ち合わせていて、その知識をフィルターにして常に分析的に物事を見ている。
彼自身もその分析の対象であり、始終自己分析を行っている。
その理屈っぽさや衒学趣味は大いに好みが分かれるところだと思う。
「永劫回帰」「超人」「ノエマ」「ノエシス」「ハイデガー」なんて単語を見せられて、ニヤリと出来る人でないと楽しめなさそうだ。
圧巻はヒロインの一人、琴原みゆ。
小学6年生なのに感情を表に出さず、知性は非常に早熟で、「エポケー」「コギト」「デペルソナリザシオン」なんて単語を繰り出してくるミステリアスな少女である。
主人公が小学生と哲学問答を行う様は異様だが、私には面白可笑しく思えた。
ヒロインはそれぞれ悩みを抱えていて、主人公の言動によってその悩みが解決する方向に向かうとエンディングとなる。
ネタバレになるのでその悩みの内容は詳述しないが、全て人間関係についてのものだ。
彼女たちはみんな愛情を求めている。
ただ一人、主人公を除いて。
グラフィック
衒学的な文章に似合わず、可愛い女の子の絵が始終登場する。
キャンバス地風の処理がなされた背景に、紙にコピックで彩色したかのような独特の絵が重ねられていて味がある。
オープニング動画は線画のアニメーションで、私の趣味に合致して好ましく思う。
描いているのはイラストレーターの森藤卓弥(射尾卓弥)。
彼は「プリズマ大先生」という愛称(もしくは蔑称)で知られている。
私も本作のことを知ったのは「プリズマ大先生」というあだ名から。
本作が発売されてから Web 上で繰り広げられた本作への批判に対して、彼が Web 上に公開した文章がギャルゲー愛好家の反感を買い、揶揄としてそう呼ばれるようになったらしい。その発言については、作り手の心情としてはもっともだが、客が見ているところで吐くのは商売上よろしくないと思った。
まとめ
革新的なゲームシステムと癖の強い文章はプレイヤーを激しく選ぶ。
のめり込む人と非難する人の両極端に分かれるだろう。
解法を見ずにプレイするのは辛い。
しかしそれだけに、作品の構造面で作り手が緻密に設計を行っていることを実感させられる。
娯楽性よりも芸術性や完成度の高さを追求した作品だ。
インテリ趣味でオタクな人にはオススメだが、入手しづらいのが残念。
追記:2008年より、PlaystationStoreでダウンロード販売開始。PS3 用と PSP 用。
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