septembre 2005アーカイブ

綾辻行人『十角館の殺人』(講談社文庫)

ISBN:4061849794

清涼院流水推薦ということで読んでみた日本版『そして誰もいなくなった』。
なるほど、『コズミック』と『ジョーカー』の元ネタがここにある。

山際淳司『バットマンに栄冠を』(角川文庫)

ISBN:4041540550

広島カープの衣笠祥雄の最後のシーズンを取材した表題作ほか3編を収めた実録物。

山際淳司『野球雲の見える日』(角川文庫)

ISBN:4041540070

一冊丸々、野球をテーマとし、エッセイ風に描いた実録物。

勝岡寛次『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する―歪曲された対日関係史』(小学館文庫)

ISBN:4094023763

韓国・中国は日本の歴史教科書を歪曲だ修正しろ云々とケチをつけてくるが、では逆にその韓国・中国の歴史教科書の内容はどうなんだと、その内容を検証・批判し、修正要求を突きつけている本。
批判が妥当がどうかはさておいても、爽快な気分にさせられる。

清水義範『普及版 世界文学全集 第1期』(集英社文庫)

ISBN:408748369X

古典から近代の外国文学作品をネタにしたパスティーシュ小説集。

清水義範『普及版 世界文学全集 第2期』(集英社文庫)

ISBN:4087483894

近代から20世紀の外国文学作品をネタにしたパスティーシュ小説集。
最後に収められた一編「20世紀の文学」は元ネタを知っている人には笑えるし、知らない人には文学史の勉強になる。

清水義範『深夜の弁明』(講談社文庫)

ISBN:4061850733

パスティーシュ作品のほかミステリー風の小説も収めた短編集。

清水義範『似ッ非イ教室』(講談社文庫)

ISBN:4062635852

エッセイ集のパロディ。

清水義範『ザ・勝負 』(講談社文庫)

ISBN:4062750481

ソース対醤油、米対麦といった二つの物事の対立をネタにした、雑学読物的な短編小説集。

清水義範『日本ジジババ列伝』(講談社文庫)

ISBN:4062738368

様々なお年寄りたちの日常を書いた短編小説集。
大したもんだ。

筒井康隆『夢の木坂分岐点』(新潮文庫)

ISBN:4101171246

SF における多世界解釈のように、一人の人間の様々な可能性が錯綜し流転する小説。
ここでは現実・虚構の別が取り払われている。
主人公はある時は夢の中の登場人物であり、ある時は作中内小説の登場人物である。
技巧としては凄いんだけど、正直なところ展開がだるくて読み進めるのが少々辛かった。

沢木耕太郎『テロルの決算』(文春文庫)

ISBN:4167209047

1960年、社会党委員長の浅沼稲次郎が右翼少年に刺殺された。
その加害者と被害者それぞれが事件に至るまでの経緯を丹念に取材し明らかにした伝記。
事件のことは歴史の事実として知っていたが、経緯がこんなに面白いものだったとは。

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お父さんのバックドロップ

私は子役という奴がどうも苦手である。
TV や映画での子役は言葉遣いがたどたどしいだけでなく、大抵関東言葉で話す。
子供が芝居をしているということが露骨に伝わってきて、自分が勝手に設定している「子供らしさ」からの乖離が著しいせいか、非常に不快なのだ。

大阪から関東方面に旅行したときに、周りの見知らぬ人々が関東言葉を話しているのも不愉快だが、「郷に入れば郷に従え」の精神で耐え忍ぶ。
関東言葉を話す知人については正直なところあまり気持ちのいいものではないが、諦めるのは容易い。
しかし、転勤族の子供だろうか、地元大阪で関東言葉を話す子供を見かけると蹴り飛ばしたくなる。
もちろん実際には蹴り飛ばしたりはしないけれども。

さて、映画『お父さんのバックドロップ』である。
主人公は小学生の少年、一雄。
母と死別した一雄は、1980年、東京から父方の祖父が住む大阪へと引っ越してくる。
一雄の父、牛之介の職業は、弱小プロレス団体「新世界プロレス」のプロレスラー。
学校行事のときにも、母親が死んだときにもプロレスの試合に出ていた父親を、そしてプロレスを、一雄は嫌っている。
大阪でできた友達にも、父親がプロレスラーであることを秘密にするよう頼む。

盛りの過ぎたプロレスラーである牛之介は、「新世界プロレス」の経営不振のため、悪役へと転向。
その姿が TV 中継され、一雄と母親の姿が記録されたビデオテープの上に祖父が試合の模様を録画してしまう。
さらに一雄は友達に父親がプロレスラーであることを同級生に暴露される。
同級生にからかわれた一雄は暴力沙汰を起こし、迎えに来た牛之介も拒絶する。

折りしも日本にブラジルの世界空手チャンピオンが来日。
誰の挑戦でも受けるという彼に、牛之介は無謀な戦いを挑む。
プロレスラーとしての誇りのため、そして、一雄に尊敬される父親であるために……。

物語としては先が読めるありふれたなもの。
ビデオデッキが当時のローディングタイプだったり、牛之介の通う焼肉店の壁にバファローズの法被がかけてあったり、バファローズアワーやバファローズナイターのポスターが飾られていたり、当時のバファローズやタイガースのプレイヤーが写ったカレンダーがあったりと小道具は細かい。
原作者の中島らもが端役で出演し、事故で亡くなる直前の姿を見せているのが切ない。

しかしこの映画の売りは、一雄を演じる神木隆之介である。
誰が何と言おうと神木隆之介。
女の子みたいに柔和な顔つき、なよなよした仕草、白い肌、サラサラの髪、澄んだ声。
可愛過ぎる!
この破壊力はそんじょそこらのグラビアアイドルなんか軽く凌駕する。
男の子だけど抱きしめて頭をなでなでしてあげたい。
関東言葉なのは気に入らないが可愛いから許す。

そう、周囲の登場人物はみな大阪弁を話すのに、一雄だけはかたくなに関東言葉を話す。
それは東京での母との生活を忘れられないからであり、父と父の育った土地を受け入れたくないからだ。
しかしラストシーン、牛之介との和解を果たし、秘密を破った友達とも仲直りした一雄は、ついに大阪弁を話すようになる。

ああ萌え萌え。
僕はもうダメです。

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SuperLite 2000 シリーズ Remember11 -the age of infinity-


私が絶賛してやまないアドベンチャーゲーム『 Ever17 - the out of infinity - 』
その次回作、『 Remember11 - the age of infinity - 』は買ってからずっと棚に積みっぱなしにしていたのだが、休暇を活用してこのほどようやくプレイした。

結論から先に言うと、この作品はキング・オブ・メタフィクションである。
そのシナリオ構成は恐ろしく精巧に設計されており、舌を巻かざるを得ない。
しかし技巧に走りすぎた分、難解になってしまっていて、多くの人に勧めるのは難しい。

物語

『 Infinity 』シリーズ第1作『 Never7 -the end of infinity- 』では、作中で女性キャラクターと恋愛関係になって結末を迎えることがプレイヤーへの課題であった。
第2作『 Ever17 -the out of infinity- 』ではサバイバルと謎解きがプレイヤーへの主な課題となり、恋愛はそのための手段に過ぎなくなった。
第3作である『 Remember11 - the age of infinity - 』(以下、『 Remember11 』)では、ついに恋愛が課題ではなくなり、プレイヤーへの課題はサバイバルと謎解きに絞られている。

『 Remember11 』の物語はまず「冬川こころ」という女性の視点で語られ、その視点でのグッドエンディングを迎えると、「優希堂悟」という男性の視点で物語が語られる。

2011年1月11日、北海道の孤島にある特別精神医療施設「 SPHIA 」に軟禁されている連続殺人犯、犬伏景子と面会するため、冬川こころは北海道へ向かう飛行機に搭乗する。
その機内で冬川こころは楠田ゆにという11歳の少年と知り合う。
彼女たちを乗せた飛行機は青森県の朱倉岳に墜落してしまうが、冬川こころが意識を取り戻したとき、彼女はなぜか目的地である「 SPHIA 」にいた。
しかも彼女の肉体は優希堂悟と呼ばれる人物になっていた。
一方、墜落事故に遭った冬川こころの肉体は、生存者によって現場付近の避難小屋に運ばれており、優希堂悟の人格が入っていた。

「 SPHIA 」にいるのは、優希堂悟の肉体のほか、涼陰穂鳥と名乗る犬伏景子、内海カーリー、楠田ゆにの4人。
避難小屋にいるのは、冬川こころの肉体のほか、黄泉木聖司、黛鈴、楠田ゆにの4人。

「 SPHIA 」の優希堂悟の肉体は何者かに命を狙われているらしい。
また、避難小屋の冬川こころの肉体も、救助隊が来るまでの間、真冬の雪山で命の危険に晒されている。
冬川こころと優希堂悟の人格は前触れなく頻繁に入れ替わり、彼らを翻弄する。
彼らは生き延びねばならない。
特に冬川こころの置かれた状況は厳しい。
避難小屋には、避難していた事故の生存者たちが2011年1月17日に発生した雪崩によって、楠田ゆに以外全員死亡したことを告げる新聞が置かれていたのだ。

なぜ未来の出来事を記した新聞があるのか。
なぜ楠田ゆにだけは「 SPHIA 」と避難小屋の両方にいるのか。
なぜ人格の入れ替わりが起こるのか。
物語を進めつつ、プレイヤーはそれらの謎に迫っていくことになる。

メタフィクション

生き延びるために、冬川こころと優希堂悟は奮闘する。
ゲーム中、数多くの選択肢が現れるが、選択を間違えると死へと繋がる選択肢があちこちに仕掛けられている。
エンディングの数は33個もあるが、そのうち冬川こころと優希堂悟が生き残るエンディングは2個だけで、残りは全てバッドエンディングである。
バッドエンディングを迎えたプレイヤーは、グッドエンディング目指して何度も何度も物語をやり直すことだろう。
そう、冬川こころと優希堂悟が生き延びるために実際に奮闘しているのはプレイヤーにほかならない。

そしてグッドエンディングにおいてプレイヤーは、やっとハッピーエンドを迎えたと思うのも束の間、衝撃的な謎かけを浴びせられることになる。
謎を残したまま、グッドエンディングは終わる。
謎が解明される真のエンディングはないのだろうか。
解答を求めるプレイヤーは必死に物語をやり直すことだろう。
その中でプレイヤーは真相のヒントを得ていくが、決定的な解答は提示されない。
プレイヤーは無限ループに巻き込まれる。
神の視点にあるプレイヤーの特権的立場を崩壊させ、無限ループに閉じ込めること、これこそが『 Remember11 』の作り手と、作中のある登場人物の狙いなのだ。
私がキング・オブ・メタフィクションと呼ぶ所以である。

評価

推理小説に喩えるなら、『 Remember11 』は名探偵が密室殺人の犯人を言い当てるだけで、犯行トリックや犯行動機を説明し尽くさないまま終わっているような状態だ。
真相の解明はプレイヤーに委ねられている。
これではフラストレーションが溜まる一方。

前作の『 Ever17 』は、作中で張り巡らされた伏線が一気に収束し謎が解き明かされ、ハッピーエンドに至ることから、衝撃と感動をプレイヤーにもたらした。
その次回作として期待されたこの作品が、謎の解答を提示しないまま未完であるのだから非難されるのも無理はない。
「解答編を付属させた完全版を発売して、もう一度金を稼ごうとするメーカーの策略である」と言う人もいるくらいだ。
しかし未完であることそれ自体が『 Remember11 』の物語のトリックであり、物語がハッピーエンドに至るための必然的な道なのである。
アドベンチャーゲームとしては恐ろしく高等なシナリオであり、驚嘆せざるを得ない。
ただ、一般にゲームソフトには娯楽や爽快感が求められているわけで、それらが満たされず難解な『 Remember11 』は少数の人にしか評価されないだろう。

明確な解答が提示されていない謎解きにこそ価値がある、と思う人には『 Remember11 』はお勧めだ。
今では『 Ever17 』と並んで「 SuperLight2000 」シリーズに収められ、2,000円で購入することができる。

……と偉そうなことを書いていますが、私は下記のサイトの助けがなければ真相(と思われるもの)には到達できませんでした。
御礼申し上げます。

Remember11 -the age of infinity- 攻略
http://sukehi.hp.infoseek.co.jp/oreally/reference/remember11/

朝日が昇り そしてまた落ちる Remember11 -the age of infinity- 微ファンサイト
http://f9.aaa.livedoor.jp/~glassun/index.html

補足、蛇足

シナリオのみならず、グラフィック、音楽、操作性も優秀だ。
グラフィックはどちらかというと、女性向けマンガ風の絵柄。
楠田ゆに萌え。
衆道に落ちそうで危険。

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つい先日、浪花グランドロマンの最新公演『激情都市 - Song of Birds -』を観に扇町公園まで足を運んだ。
毎度おなじみ扇町公園にテントが建てられ、そこで演劇が行われるのである。
久しぶりの観劇だ。
演劇って映画なんかと比べて上演開始時刻が早いうえに上演回数が少ないから、つい足が遠のいてしまう。

今回の公演も浪花グランドロマンおなじみの幻想奇譚。
キュアブラックがキュアホワイトを探しに旅立ち、マックスハートで鳥の詩!
ラッキーアイテムはペットボトルと携帯電話よ!
というお話であった。
多分。

それにしても野村しょーけん氏が登場すると安心するのはなぜだろう。
確かに、村上ショージとかなかやまきんにくんとか、スベリ系のお笑いは嫌いじゃないが。
「お約束」だからかなあ。

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もう2005年度も半分過ぎようとしていますが。

北村薫『覆面作家の愛の歌』(角川文庫)

ISBN:404343202X

表題作で使われているトリックがすぐに理解できず、自分の頭の悪さを痛感した。
今でも答えを見ずにトリックを説明できない。

北村薫『覆面作家の夢の家』(角川文庫)

ISBN:4043432038

「去年、マリエンバートで」のギャグには笑った。
多分、一生忘れないと思う。

最後のくだりは痒くて悶絶しそう。

中谷宇吉郎『雪』(岩波文庫)

ISBN:4003112423

雪の結晶の研究者であり、優れた文筆家としても知られる中谷宇吉郎。
彼が自らの雪の研究について一般向けに記した本。
戦前に書かれた本とは思えないほど平明な文章だ。
中学生から高校生あたりに科学する心を伝えるのにはうってつけなんじゃなかろうか。

安野モヨコ『美人画報』(講談社文庫)

ISBN:4062747936

マンガ風のイラストがついたエッセイ。
マンガ家という過酷な仕事をしつつも、キレイであろうとあれこれ美容を試したり、美について語ったりといった内容。
決して高尚なものではないけれど、美への情熱がくだけた文章でよく伝わってくる。
話し言葉でガンガン切り込んでいくスタイルが嫌味なく似合ってて、女性読者に人気が高いのも納得。

清涼院流水『コズミック 流』(講談社文庫)

ISBN:4062646498

清涼院流水『ジョーカー 清』(講談社文庫)

ISBN:4062648466

清涼院流水『ジョーカー 涼』(講談社文庫)

ISBN:4062648695

清涼院流水『コズミック 水』(講談社文庫)

ISBN:4062648687

もともとは『コズミック』『ジョーカー』という単体のミステリー小説なのだが、文庫化にあたって分冊されている。
冒頭で「流→清→涼→水」の順番に読むよう著者が強く薦めているので、それにしたがって読んでみた。

『コズミック』では「密室卿」なる人物が「1200の密室で1200人が殺される」という予告を行い、その通りさまざまな密室で人間が殺されていく。
その捜査にあたるのは、350人の探偵を抱える組織、日本探偵倶楽部(JDC)。
『ジョーカー』は『コズミック』の作品世界における事件の少し前の物語で、登場人物は共通である。
陸の孤島となった幻影城で行われる、装飾的密室連続殺人事件を描いている。

密室殺人のインフレ、探偵のインフレ。
多用される言葉遊び、メタフィクション的構成とトリック。
マンガのキャラクターのような、現実離れした造形と推理法を持つ探偵たち。
型破り、荒唐無稽もいいとこで、探偵たちが真相に近づいていくたびにズッコケそうになる。
『コズミック』の犯人が明かされたところでは「ハァ?」と口に出してしまいそうになった。

作者は既存のミステリー小説を踏まえた上で、それらを全部ぶっ潰しにかかっている。
決して主流にはならないだろうが、ミステリー小説の歴史には残るであろう奇書。

別役実『虫づくし』(ハヤカワ文庫)

ISBN:4150501432

虫について、真面目な文体で嘘八百な考察を繰り広げている作品。
ニヤニヤ笑いを呼び起こす。

ロバート・コーミア『フェイド』(扶桑社ミステリー)

ISBN:4594011454

清涼院流水が作中で激賞していたので読んでみたミステリー小説。
この作品において用いられている「作中内小説」の物語構成が、清涼院流水に多大な影響を与えていることがよくわかる。
清涼院流水が言うほど結末は衝撃的ではなかったけど、つまらなくもなかった。

山際淳司『エンドレスサマー』(角川文庫)

ISBN:4041540526

著者のおなじみである、1980年代半ばの様々なアスリートたちを描いた実録もの。

北村行孝、三島勇『日本の原子力施設全データ―どこに何があり、何をしているのか』(講談社ブルーバックス)

ISBN:4062573458

原子力発電所以外にも、日本にはいくつもの原子力関連施設がある。
それらの立地場所や業務内容を網羅するとともに、原子力発電や原子力事故、安全対策について解説した本。
原発大国日本に住むなら読んでおきたい。

豊田泰光『サムライたちのプロ野球―すぐに面白くなる7つの条件』(講談社プラスアルファ新書)

ISBN:4062721953

日本プロ野球に対する批判と提言を記した本。
著者の昔はよかった式の論調はいつものことなので置いとくとして、現役時代のエピソードは面白く、プロ野球改革のための提言は大筋で同意できる。
ただし、記述は実現のための方法論にまでは至っていない。
セ・パ交流戦については実現しましたね。

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11 septembre 2005

参政権を行使した

衆議院議員選挙その他の投票に行ってきた。

実際のところ、党や組合や創価学会なんかの組織票の前には、自分の一票なんぞ誤差程度の価値しかない。
しかしながら文明の歴史の中で見れば政治に参加できる人間は少数であった。
政治参加しようと思えばそれは地域社会や国家に対する反抗、反乱の形を取らざるを得なかった。
数々の血が流された結果、現在我々は平等に参政権を有している。
無念のうちに死んでいった先祖に対する墓参り程度の価値はあると思って、私は欠かさず投票に行っている。

ところで、議会議員の選挙というのは、行政機関を通じて自分に利益をもたらしてくれる人間を選ぶ手続きだ。
ある人の利益が他の人の不利益となることは多々ある。
そうした利害を調整し、利益とリスクの配分を決定する場が議会である。
別に社会正義の実現を目指す場ではない。

ただ、宝くじの当選金は宝くじを買わないと得る可能性がないが、日本のような先進国となると、社会福祉のような利益は必ずしも政治に参加しなくても得られる。
それに、自分の選んだ代表者が、必ずしも自分の意思に即して利益をもたらしてくれるとは限らない。
利益を代表するべき候補者がいないこともある。
その結果、政治に対する無関心を生み出してしまう。
難しいところだ。

正直なところ、私も自分の利益を代表する候補者がいなくて困っている。
私にとっての利益とは、これから増加の一途を辿るであろう社会保障費用を徹底的に縮減し、予算配分を高齢者から若年層にシフトさせることである。
高齢者に搾取されるのは真っ平御免だ。
下記のような政策を掲げたキチガイ候補者、政党が居たら迷わず投票するのだが、残念ながら今回の選挙では存在しなかった。

  • 今後10年間で75歳以上人口を1000万人削減する
  • 安楽死を合法化し、費用は公費負担とする
  • 安楽死により発生した相続については、相続税を半額にする
  • 今後累計2年以上の生活保護受給者は死刑とする(但し未成年者は成年に達するまで受給可)
  • 刑罰は、軽微な犯罪に対しては1年以内の懲役刑とし、それ以外は原則死刑とする
  • 65歳以上の国民には長寿税を課す
  • 医師法を改正し、資力のないものに対する医療を拒否できるようにする
  • 健康保険および公的年金未加入・未納者に対しては財産を差し押さえ、自動車運転免許、パスポートその他公的免許資格の一切を喪失させる
  • 社会保険に未加入の事業所の事業活動を禁止する
  • 消費税を税率10%に増税する
  • 小児科への診療報酬を倍増する
  • 係長未満の国家・地方公務員の給与について、上限を現行の2/3にする
  • JASRAC を解体する
  • 今後100年間で全国の電柱を地中化する
  • タバコを20本入り1箱500円程度に値上げする

全部実現したら世の中すっきりするだろうけど、絶対無理。

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「映画バトン」を拝領。
そんなに数多く映画を観ているわけではないので大したことは書けないけれど。

設問が別の blog で見かけたものと大分違って、抽象的だなあ。

1 心に残り続ける映画

『2001年宇宙の旅』( 2001: a space odyssey )

2001年宇宙の旅


1968年、アメリカの作品。
SF 映画の最高傑作。
私の中では、後にも先にもこれを越える SF 映画はない。
技術的にはどうあれ、商業映画として制作不能だろう。

幻想的であり、荘厳であり、詩的である。
抑制された台詞と効果的に現れるR.シュトラウスの音楽が、観る者を宇宙の深淵、神性へと誘う。
お陰で人によっては観てる途中で眠ってしまうのだが。
一度でいいから、映画館の巨大スクリーンと整った音響設備でこの作品を観たい。

ちなみにフランスでの題名は「 2001 : L'Odyssée de l'espace 」。

『ブレードランナー』( Blade Runner )

ブレードランナー 最終版

1982年、アメリカの作品。
SF 映画にしてフィルム・ノワール。
この作品の近未来描写が以後の映像作品に与えた影響は大きい。
20年以上経ってもちっとも古びていない傑作。
映像上で象徴的な仕掛けがあちこちに成されているのも見逃せない。
DVD が絶版なんて世の中間違っている。

ちなみに『ブレードランナー』は劇場公開・ビデオ販売にあたっていくつかのバージョン違いがあることで有名。
私は「完全版(ヨーロッパ劇場公開版)」の LD ( NJL-20008 )と「ディレクターズカット版」の DVD を所有している。

『ガメラ 大怪獣空中決戦』

1995年、日本の作品。
自分で金を払って映画館で観た初めての映画ということで記憶に残る。
旧来の怪獣映画より描写が大幅に格好よく、リアリティが高かった。
昔の「ちびっ子の味方」なガメラと違って、大人も楽しめるエンターテイメント作品だったと思う。

2 愛する人と観たい映画

思いつかない。
語りえぬものについては、沈黙せざるをえない。

3 震えたホラー映画

『2001年宇宙の旅』( 2001: a space odyssey )

1968年、アメリカの……
……いや、これ本当。
子供の頃に TV 放送されていたのをたまたま観たとき、超然と立つモノリスをバックに流れる「レクイエム」や、赤い眼でじっと船員を見つめる HAL 9000 の姿が何とも恐ろしかった。

『風が吹くとき』( When the Wind Blows )

1986年、イギリスの作品。
アニメーション作品である。
田舎で静かに老後を送っている夫婦がラジオで戦争勃発を知る。
彼らは政府の指示に従って核シェルターを作り、避難の準備を始める。
そして敵国の核兵器が炸裂。
家は滅茶苦茶に壊れるが、核シェルターに避難したお陰で夫婦は助かる。
しかし放射線障害が彼らを蝕んでいく……。
小学生の頃だったか中学生の頃だったか、TV の「アニメ大好き!」で放送されていたのを観たのだが、ひたすら淡々とした描写が怖かった。
DVD 化されていないのが残念。

いわゆるホラー映画については、私は怖がりなので観ない。

例によってバトンはここで終わります。

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恐らく今の小中学生は知らないことだろうが、「ノストラダムスの大予言」というものがかつて流行したことがあった。
五島勉という作家が紹介したところによれば、16世紀フランスの占星術師、Michel de Nostredame がその予言書で、1999年7月に「恐怖の大王」により世界が滅亡すると予言しているというのだ。
もちろん2005年現在、当然のように世界は滅亡していない。
今どうしているんだろう、五島勉。

私も小学生の頃にこの「ノストラダムスの大予言」を知って怖いなと思ったけれど、怪談話程度の怖さしか感じなかった。
当時といえば少年向けの読物には依然として科学技術による輝かしい21世紀像が喧伝されていたから、そのせいかもしれない。
「ノストラダムスの大予言」よりかは、ある夜に布団にくるまりながら、「自分はいつか死ぬんだ」と突然悟ったときの思考の混濁の方が怖かったように思う。

『終ノ空』は終末が予言されていた1999年7月の一月後、すなわち1999年8月に発売されたノベルゲームである。
終末論と死生観をテーマにした作品だ。

1999年7月にある学園で発生した集団自殺事件が、4人の視点でそれぞれ描かれる。

最初の視点は、この作品において観察者に位置づけられる男子生徒、水上行人のもの。
ある日、彼の同級生である少女、高島ざくろが他校の少女2人とともに屋上から飛び降りて死ぬ。
それをきっかけとして、「7月20日に世界が終わる」という噂がクラスに広がり始める。
さらに今までいじめられっ子だった同級生の少年、間宮卓司が、突然自らを終末における救世主であると宣言し、生徒たちを煽動。
学園中に終末妄想が広がっていく。
多数の信者を獲得した卓司は、7月20日を迎える前に「始まりも終わりもない世界」に至るべく、信者とともに校舎の屋上から飛び降りて死ぬ。

第二の視点は、行人の幼馴染であり同級生である少女、若槻琴美のもの。
行人と同様に「世界の終わり」を信じない彼女は、彼女を敬愛するあまり仲間に取り込もうとする狂信者によって拉致され、性的暴行を受ける。
行人の視点で判らなかった彼女の被害の模様と、彼女が行人に抱く恋心がここで明かされることとなる。

第三の視点は、事件のきっかけとなった少女、高島ざくろのもの。
彼女が屋上から飛び降りるに至った事情が明かされるのだが、その真相は過酷な経験から獲得することとなった滑稽な妄想だった。
いわゆる前世女という奴である。
「アタマリバース」や「スパイラルマタイ」といった創作語に笑いを禁じえない。

第四の視点は、救世主を標榜して集団自殺に至った間宮卓司のもの。
高島ざくろの視点から盛り上がり始めた狂気の描写が、ここに至って頂点に達する。
どうやら彼は、もともと統合失調症的な狂気をもともと備えていたらしい。
高島ざくろの死後、幻覚と幻聴が彼を襲う。
彼の行く先々で異形のものが彼を見つめるようになる。
いじめを受ける過酷な生活の中、彼が秘密の安息場所で壁に描き話し相手としていた魔法少女が実体化し、彼を救世主として目覚めさせる。
死人と会話するわ、妄想を実体験と錯覚してセックスするわ、もう無茶苦茶である。
そんな彼の狂った認識がグラフィックとしてプレイヤーにも提示されるものだから、非常に不気味だ。
この間宮卓司の暴走こそ、『終ノ空』の売りといって差し支えない。

作中ではウィトゲンシュタインやカントの哲学が名指しで引用されてプレイヤーを煙に巻く。
ベルクソンの哲学も混じっているかな。
間宮卓司の視点が終わると、集団自殺後の世界が水上行人の視点で語られて物語は終わるが、登場人物たちが見た「終ノ空」とは何なのか、そして物語の狂言回しである少女、音無彩名は何者なのか、それらははっきりと説明されないままだ。
ウィトゲンシュタインの言うように「語りえぬものについては、沈黙せざるをえない」とでも言うのだろうか。

ゲームを小説化した『小説 終ノ空』をゲームをプレイする前に読んでいたので物語自体の新鮮味はなかった。
しかし狂気が絵で表現されることの不気味さや恐怖感、そして画面切り替わりのインパクトはゲームならではだ。
それに、作中の事件の真相はちょっとした勘違いが連鎖して妄想や狂信へと発展していったということなのだが、そのことが異なる視点で同じ事件を読み進めるうちに明らかとなるシナリオ構成はよくできていると思う。
『ひぐらしのなく頃に』に通じるところがある。

全クリアに要する時間は7時間から8時間程度。
エンディングおよび途中の展開の変化は二種類しかないようだ。
私はこの作品を中古価格2,000円で入手したが、それくらいの値段が丁度いいと思う。

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キル・ビル Vol.2

『キル・ビル Vol.1 』は去年に劇場で観たが、『キル・ビル Vol.2 』は安売りされていた『 Vol.1 』とのセットの DVD で観ることとなった。

『キル・ビル』の物語は単純。
かつて所属していた暗殺団から抜け出し、過去を隠して結婚式に臨んだ暗殺者の女が、暗殺団の仲間に見つかり襲撃を受ける。
奇跡的に助かった彼女は、自分を殺そうとした暗殺団のメンバー5人に復讐を行っていく。
『 Vol.1 』と『 Vol.2 』がそれぞれ前編、後編となる構成だ。

『 Vol.1 』はヤクザ映画へのオマージュなのか、日本のヤクザ界に君臨するメンバーの一人を斬るため、主人公が料亭で大チャンバラを行う。
途中でアニメーションが入るわ、血が吹き飛びまくるわ、やりたい放題にやってる破天荒な表現に苦笑している間に酩酊感に包まれるバイオレンス映画だった。

『 Vol.2 』は一転、西部劇とカンフー映画へのオマージュを織り込みつつも、ドラマが前面に出てきている。
子供には見せられない暴力描写や、現実にはあり得ないようなぶっ飛んだ展開はあるけれども、『 Vol.1 』に比べれば大人しい。
タランティーノのことだからきっと最後にどんでん返しを食らわしてくるだろうと身構えていたが、食らったのは肩透かしだった。

誰かの言葉をそのまま借りれば、「金をかけてマンガをわざとB級映画に仕立て上げた」ようなヘンテコな作品。
こういう映画を作れるってのは、それはそれで一種の天才だ。

それにしても主役のユマ・サーマンって、あるシーンでは美人に見えるけれど別のシーンではすごく不細工に見える。
不思議な女優だ。

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知らないうちにフェチバトンというものを押し付けられた。
フェティシズムの中でも性的嗜好を尋ねる内容で、あまり答えたくないんだけど、ほかならぬ同志から託されたものなので思い切ってお答えしましょう。

Q1:「あなたは何フェチ?」

強いて言うとメガネをかけた美しい女性に魅力を覚えます。
ここで誤解してもらいたくないのは、メガネそのものに執着するわけではないということと、メガネをかけた女性ならなんでもよいというわけではないということ。

喩えるならメガネはご飯にかける「ふりかけ」のような存在なのです。
ご飯にふりかけをかけると、ご飯を食べるのが進みますね?
かと言って、ふりかけだけ嘗めて食べようとは思わない。
ふりかけはご飯にかけてなんぼ、というもの。
そしていくらふりかけをご飯にかけても、ご飯が腐ってたら食えたもんじゃない。
逆にいくらおいしいご飯でも、ふりかけが変な味だったら折角のご飯の味をダメにしてしまう。
調和が重要!
それに、ご飯がおいしければふりかけがなくてもそれはそれでオーケーであるのと同様に、メガネをかけた女性じゃないと魅力を感じないわけではありません。

上記の比喩が判らない人はワサビと寿司、刻みネギと冷奴、柚子と湯豆腐、辛子とおでん、レモン汁と唐揚げなんかでその関係性を考えてみよう。

ところで、人体と人工物であるメガネという対比で考えれば、メガネもイヤリングやピアスや指輪と大差ないのではないでしょうか。
装飾品として文化的承認を受けているか受けていないかというところが、いわゆるフェチとの分かれ目なのでは。

人体と人工物といえば、女の子とヘッドホンの組み合わせもなかなか可愛らしくてよろしい。
最近街中でよく見かけますね、大き目のヘッドホンをかけてポータブルオーディオを楽しむ女の子。
これも女の子が不細工なら全体がダメになる。

Q2:「異性を見る時、まず何処を見る?」

異性かどうか、つまり人間の性別を判断する段階で髪型、服装、女性的特徴を示す身体の部位なんかを記号的かつ統合的に見ていると思うので、まずどこを見るかという設問に明快な回答はできなくはないですかね?
設問がその次の段階を問うているのであれば、顔、かな。

Q3:「最近プッシュ出来る部位」

設問の意味がよくわからん。
『まいっちんぐマチコ先生』?
設問を、「最近性的魅力を感じる異性の身体的部位」と解釈するとすれば……腹から腿にかけてのS字曲線か。

Q4:「異性の好きな部位5つ」

身体を外観したときに医学的に捉えられ女性的特徴を示す部位はどこも好きです。
それ以外で強いて挙げるならば、手とか脚とか。

Q5:「フェチを感じる衣装は?」

制服やスーツは好き。
制服って言っても、学生服とか官吏とか交通機関職員とかの制服、つまりそれを着て式典にでも出ることができるタイプね。
工場の作業服とか白衣とか予防衣とかウェイトレス服とかはいまいちピンと来ない。
学生服でも女学生のセーラー服は当落線上の微妙なところ。

しかしこれも着用する人間の存在は不可分であり、かつ調和が重要。
着ている人間がダメなら簡単に台無しになり得る。
だから下着泥棒や制服を買い集める趣味の人の気持ちがよくわからない。

Q6:「バトンを渡す5人」

例によって打ち止め。

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Triumph of the Will (Sub)

仕事柄、社会の底辺の方々や社会的弱者の方々と関わることが多いのだが、彼らには一般的な常識は通用せず、私に激しいストレスを与えてくださる。
いっそナチスが政権を取って彼らをガス室にぶちこんでくれないだろうかと、外道な感情が湧いてくる。
もちろんそれは高校生じみた幼稚な発想であって、抑圧しなければならないものである。

だからというわけではないが、映画『意志の勝利』( Triumph des Willens )を観た。
この作品は日本では商品化されていない。
その理由は恐らく扱われた題材のせいだ。
1935年のドイツで生まれたこの作品は、1934年9月に行われたニュルンベルクでのナチス党大会を記録した映画なのだ。
だが題材はどうあれ、名画として誉れ高く、いつか観たい作品の一つだった。
アメリカで DVD 化されているのを知って、このたび個人輸入で DVD を入手した。
リージョンフリーなので、日本でも特別なプレイヤーを用意しなくても視聴できる。

実際に観て思ったのは、記録映画のお手本のような作品だということ。
ナチスが政権を獲得して1年が経ち、第一次世界大戦後の混乱からドイツが抜け出していった時代。
人々はナチスに熱狂し、陶酔している。
工夫を凝らしたカメラワークによって生まれる臨場感が、彼らの熱狂と陶酔を観客にも与える。
民衆の生き生きとした表情、若い党員たちの輝く瞳。
ヒトラーの前を行進する、SS (親衛隊)や SA (突撃隊)の一糸乱れぬ隊列。
美しい、と言わざるを得ない。
こいつらは人類史上に残る大罪を犯すことになる連中である。
否定しなければならないものである。
だけれども、美しいと思うこの気持ちは否定できない。
民衆や党員とは対照的に、演説シーンに登場するナチス幹部の姿が美しくないことが唯一の救いだろうか。

危険な映画である。
迂闊に手を出してはいけない。
観るなら『独裁者』と『ショアー』を観てからだと私は言おう。
美しいものが必ずしも正しいものとは限らない、と知ることができる者にのみ、『意志の勝利』は観ることを許される。

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ワイヤレスサラウンドヘッドホン『 SE-DIR2000C 』を買いに行った時、店頭に並んでいた有線のヘッドホンをいろいろと試してみた。
その中で、素晴らしく軽快な装着感に強いインパクトを受けた製品があった。
オーディオテクニカの『 ATH-AD1000 』だ。

『 SE-DIR2000C 』を購入してから3週間。
このトランスミッターに『 ATH-AD1000 』を繋いでみたらもっと軽快に、もっといい音質で音を楽しめるのではないか。
そんな誘惑に勝てなくなり、ついカッとなって『 ATH-AD1000 』を購入してしまった。
Internet の安売り店でも30,000円前後。
オーディオマニアにはいざ知らず、一般的には高級な商品だが、楽天市場の某店舗にて送料・税込25,500円で売られていたのを見て突撃した私であった。

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『 ATH-AD1000 』は開放型のダイナミック式ヘッドホン。
ハウジングの背面は中のドライバが透けて見えるほどパンチングされている。
お陰で大きさの割にとても軽い。
その代わり遮音性は全然期待できないし、音も漏れまくる。

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本体の軽さに加えて側圧も非常によい具合のため、装着したとき耳全体を覆われるにも関わらず、押さえつけられているという感覚が乏しい。
頭頂部に至ってはオーディオテクニカ独自のウイングサポート機構により、全く圧力を感じない。
しかし全体としては頭を動かしてもずれることなく、しっかりホールドされている。
イヤーパッドはエクセーヌというスベスベした布で覆われており、ベタベタ感やザラザラ感がなく、絶妙な圧力とあいまって、穴の開いた薄いハンカチが耳に当てられているのかという感覚だ。
下位機種の『 ATH-AD900 』以下はイヤーパッドがエクセーヌではないので、どうしても装着感が『 ATH-AD1000 』よりも劣る。

例によって音質については私はオーディオマニアではないのでよくわからない。
だが、装着感の爽快さが聴覚にも影響を及ぼしているのか、聴く音までも爽快な心地がする。
オーディオマニアが言う「開放型の音抜けの良さ」というのはこういうことを言うのだろうかと、勝手に解釈してしまう。
『 SE-DIR2000C 』も開放型ではあるが、それよりも一層、音が広がっているような気分だ。
注意深く聴き比べてみると、『 SE-DIR2000C 』よりも『 ATH-AD1000 』は低音が弱い。
私の聴覚程度では同じ曲についてヘッドホンをとっかえひっかえしないと判らないくらいだけど。

ヘッドホンマニアにとっては『 ATH-AD1000 』は中途半端なのか、オーディオテクニカの開放型ヘッドホンについてネット上で見かけるレビューは上位機種の『 ATH-AD2000 』か下位機種の『 ATH-AD700 』が多い。
しかし『 ATH-AD2000 』は実売価格が5万円台と完全にオーディオマニア向けだし、『 ATH-AD700 』は『 ATH-AD1000 』を知ってしまうと装着感に不満が出てくる。
コストパフォーマンスを考えると多くの人に対して『 ATH-AD1000 』を推薦するのは躊躇してしまうが、安物を何台も掴むよりかは『 ATH-AD1000 』を何年も使う方が満足度が高いのではないかと思う。

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