21 février 2005

寝屋川小学校教師殺傷事件に思うこと

私の兄の小学校時代の担任教師は父兄にも好評な熱血教師だったそうだが、交通事故のため既にこの世の人でないらしい。
そのことはつい先日まで知らなかった。
日本国中、ほとんどの人が知らないだろう。

たまたま交通事故で死ぬか、たまたま侵入して来た少年に殺されるか、死に至る過程は違うが、一つの命が失われたことに変わりはない。
だが、不運にして望まざる死を迎えるのであれば、少年に殺される方が世間の同情を得られ、お金もガッポリ貰えて得である。
なんと惨い不公平。

日々ニュースを過ぎ去っていく無名の死者たちに、私だけでも少しばかりの祈りを捧げよう。

失われた命にとっては、犯行に至った原因が分かったところで命が甦るわけではない。
また、所詮一人の少年の行動理由を、日本国中に遍くフィードバックしようとするなんて試みは余りに乱暴すぎる。
マスメディアが与えようとする「犯行に至った原因」というものは、彼らが信じたいものあるいは信じさせたいものであって、受け手である私たち=マスのものではない。
与えられることを鵜呑みにすれば自分の頭を悩ますことがなくて楽だし、手軽な安心を得ることができるが、それじゃ宗教と同じだろう。

そもそもマスメディアもマスメディアで、「コンピュータ・ゲームのやり過ぎ」を犯行に至った原因とミスリードさせるなんて、想像力が貧困で陳腐で実につまらない。
本当の原因は「家にたこ焼き器があるから」とか、「風呂で体を洗うとき左足から洗ってたから」とか、「親が実は河童だったから」とか、「食事のとき好物は最後まで取っておくタイプだったから」とか、「太陽がまぶしかったから」とか、「床屋で洗髪してもらうとき『かゆいところありませんか』と言われて『ありません』と答えてしまうタイプだったから」とかかもしれない。
差別化を図ろうという発想はないのか。

個人的には、「少年の家では○○新聞を購読していました。○○新聞を購読している家庭の子は人殺しになりますよ!」とキャンペーンを張って泥沼の戦いを繰り広げてもらえると非常に愉快です。

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