février 2005アーカイブ

『オペラ座の怪人』を観た、と言っても映画版の方。
舞台の方は観たことがない。

言わずと知れたミュージカルを映画化した絢爛豪華なもので、登場人物の台詞は基本的に歌。
映画館の大きなスクリーンと整ったサラウンド環境で観ないと映画ならではのスペクタクルを充分に味わえないだろうし、寒々しいのではなかろうかと思うので、どうせ観るなら映画館で観るのがよろしいでしょう。
でも、生のミュージカルで観れたらこの上無いのにというのが正直なところ。

物語はと言うと、映画の後半、ずっと 2ch BBS の独身男性板に巣くう人々のことばかり頭に浮かんできた。
醜い顔を隠しながら暮らし、陰から手を尽くして惚れた女をスターへと押し上げたのに、彼女に拒絶されるわハンサム男に彼女を奪われるわで、破滅へ至るファントム。
「結局男はツラかよ!」と、もてない男たちからの怨嗟の声が暗闇の底から聴こえて来るのだ。
ああ、彼らに幸あらんことを。

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ヴァレンタイン監督の趣味で千葉ロッテマリーンズのユニフォームが一新されました。
それぞれのユニフォームの名前を公募で決めるようです。
投票は https://ssl.deskwing.net/marines.co.jp/univ2.html で。

  • タイプA:似非新撰組
  • タイプB:植木職人
  • タイプC:似非ヤンキース

といったところでしょうか。
ビジターユニフォームのパンツは灰色のままがよかったな。
あるいは上下真っ黒にすると強そうではないけれど、80年代のプロ野球っぽくてノスタルジック。

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  • ITmediaモバイル:CLIEの歴史に幕~ソニー、新機種投入を終了
  • 日本語版 Palm OS を搭載した個人向け PDA の終焉。

    CLIE は3台所有している私ですが、就職して初任給で買ったのが CLIE PEG-NX70V だけに寂しいものがあります。

    そもそも PDA ってもの自体、携帯電話に押されて完全にマニアのおもちゃになってるし、「 Palm 機といえば」「 PDAといえば」のイケショップも PDA から手を引いちゃってるみたいだし、この流れはやむを得ないんでしょうなあ。
    携帯電話と Palm OS 搭載 PDA が合体した treo はアメリカの本家 Palm の主力商品ですが、日本の閉鎖的な市場に切り込んでくる酔狂な真似はしてこないでしょう。

    その昔、といっても1998年くらいですが実用的 PDA として Palm OS 機がアメリカで売れ始めた頃、その性能に魅せられた日本人は Palm OS 機をアメリカから輸入して使っていました。
    日本語版なんてものはなく、山田達司氏ら熱心なファンの尽力により OS に日本語化を施していていたのです。
    その後 IBM が日本語版 Palm OS 機を発売、Palm や Handspring が日本に法人を作り、ブームに乗って SONY も Palm OS 搭載 PDA である CLIE を発売したわけですが、業績悪化により SONY 以外は全部日本市場から撤退してしまいました。
    そして SONY もついに撤退。

    かつてのように、熱心なファンがアメリカから機械を輸入して日本語化し細々と使う時代に逆戻りというわけです。
    だから使えなくなるということはないけれど、かなり厳しいです。
    なにせ昔と違って携帯電話が PDA 化してるし、 Palm OS 機以外の PDA の使い勝手も、ハードウェアの性能の向上により良好なものになってます。
    日本で敢えて手間と費用のかかる Palm OS 機を使うのはマニアックな PDA の世界でも更にマニアックな行為ってことで、日本での Palm ソフトウェアの発展はほぼ潰えるでしょう。

    私は Palm OS 機のファンですが、どこまでついていくことやら。
    Palm OS 機と携帯電話が合体した端末 treo が、日本で携帯電話として国産端末と変わりなく安価に使えたらと夢想するばかりです。

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私の兄の小学校時代の担任教師は父兄にも好評な熱血教師だったそうだが、交通事故のため既にこの世の人でないらしい。
そのことはつい先日まで知らなかった。
日本国中、ほとんどの人が知らないだろう。

たまたま交通事故で死ぬか、たまたま侵入して来た少年に殺されるか、死に至る過程は違うが、一つの命が失われたことに変わりはない。
だが、不運にして望まざる死を迎えるのであれば、少年に殺される方が世間の同情を得られ、お金もガッポリ貰えて得である。
なんと惨い不公平。

日々ニュースを過ぎ去っていく無名の死者たちに、私だけでも少しばかりの祈りを捧げよう。

失われた命にとっては、犯行に至った原因が分かったところで命が甦るわけではない。
また、所詮一人の少年の行動理由を、日本国中に遍くフィードバックしようとするなんて試みは余りに乱暴すぎる。
マスメディアが与えようとする「犯行に至った原因」というものは、彼らが信じたいものあるいは信じさせたいものであって、受け手である私たち=マスのものではない。
与えられることを鵜呑みにすれば自分の頭を悩ますことがなくて楽だし、手軽な安心を得ることができるが、それじゃ宗教と同じだろう。

そもそもマスメディアもマスメディアで、「コンピュータ・ゲームのやり過ぎ」を犯行に至った原因とミスリードさせるなんて、想像力が貧困で陳腐で実につまらない。
本当の原因は「家にたこ焼き器があるから」とか、「風呂で体を洗うとき左足から洗ってたから」とか、「親が実は河童だったから」とか、「食事のとき好物は最後まで取っておくタイプだったから」とか、「太陽がまぶしかったから」とか、「床屋で洗髪してもらうとき『かゆいところありませんか』と言われて『ありません』と答えてしまうタイプだったから」とかかもしれない。
差別化を図ろうという発想はないのか。

個人的には、「少年の家では○○新聞を購読していました。○○新聞を購読している家庭の子は人殺しになりますよ!」とキャンペーンを張って泥沼の戦いを繰り広げてもらえると非常に愉快です。

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Amazon.co.jp: DVD: 雲のむこう、約束の場所

『雲のむこう、約束の場所』を DVD で観直す。

以前この映画について不満を述べたけれど、色彩設計や演出、叙情性は気に入ってるから DVD を買った。

DVD では片面二層、おおむね8-9Mbpsで収録されていて、その映像の美しさを堪能できる。
ついでに、エンドロールで何回「新海 誠」という文字列が出てくるか確かめることもできる。

ヒロインのキャラクターは相変わらず気に入らないが、中学生くらいの少年が女の子に対して抱きがちな虚像を表現したものということで納得しよう。
この映画は男の視点で追憶され、描かれる物語。
女性にはこのロマンチシズムは分かりづらいかもしれないけど、男の子ってのはこういうもんなんですよ。

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野球というスポーツを題材に創作された物語は枚挙に暇がないが、それらの物語のジャンルのひとつとして、女子プレイヤーの活躍を描いたものがある。

水島新司のマンガ『野球狂の詩』の後半、水原勇気編はプロ野球史上初の女子プロプレイヤーの活躍を描き、テレビアニメーションや実写映画にもなった。
川原泉の『メイプル戦記』は女子プレイヤーのみで構成された新規参入プロ野球チームを、池田恵の『無敵のビーナス』は女子高校野球チームを、高橋ツトムの『鉄腕ガール』は第二次世界大戦後に創設された女子プロ野球リーグをそれぞれ描いたマンガである。
テレビアニメーションには『野球狂の詩』のほかに女子高校野球チームを描いた『プリンセスナイン 如月女子高野球部』がある。
コンピュータ・ゲームでは女子高校野球チームの部員と親しくなりつつ大会優勝を目指す『ドキドキプリティリーグ』『ドキドキプリティーリーグ 熱血乙女青春記』『ドキドキプリティーリーグ Lovely Star 』や、オリジナル女子高校野球チームを作り大会優勝を目指すシミュレーションゲーム『高校野球道 Girl's 』の名を挙げることができる。

仮にこれらを「女子野球もの」と呼ぶとしよう。
「女子野球もの」の魅力とは何か。
誤解を恐れずに俗っぽく言えば、それは「スポーツがもたらすドラマ性的興奮」と、「女性がもたらす性的興奮」を同時に味わうことができ、一石二鳥、楽しさ倍増なところにある。
「女性がもたらす性的興奮」というのはポルノという意味ではなくて、もっと広く、女性の美とか可愛らしさとかが感情を喚起するという意味だ。

さて、「女子野球もの」にアマチュア作品ではあるが、コンピュータでプレイするノベルゲームが登場した。
LOVER-SOUL『花咲くオトメのための嬉遊曲』である。

バス事故によって足とチームメイトと野球を失った男子高校球児=主人公が、同校の女子ソフトボール部員に誘われて女子野球部を設立、マネージャー兼コーチとして勝ち上がっていく。
プレイヤーの選択肢によって物語の展開が変わる挿絵・音楽つきの小説で、展開によっては主人公とチームメイトの濡れ場もある。
一般的には、恋愛ノベルゲームの一種と捉えられるだろう。

「女子野球もの」においては女性キャラクターの魅力に重点が置かれ、野球と言うスポーツそのものについては大味に描かれることが多いが、『花咲くオトメのための嬉遊曲』は野球というスポーツが濃密に描かれているのが特徴的であり、白眉と言える点である。
シナリオを書いた人物は野球経験者か、かなりの野球マニアだろう。
どちらにせよ、野球というスポーツが好きだから題材としてゲームを作ったのだということがよく分かる、読み応えのある描写だ。
「女子野球もの」の魅力の両輪のうち、「スポーツのもたらすドラマ性的興奮」の側が堪能できる。

ただし、野球というスポーツにあまり思い入れのない人にとっては、マニアック過ぎて退屈もしくは冗長に感じられるかもしれない。
また、野球をするわけだから9人以上の少女たちが登場するのだが、物語の語り手によって人物を苗字で呼んだり名前で呼んだりするかが異なる。
私の頭が悪いだけだからかもしれないけれど、短いシナリオの間に覚えるのがちょっと大変だった。
文章を読みながら誰が誰だったか混乱してしまうのはマイナスポイントである。

ヒロインの一人、氷室乃雪と主人公の会話は好き嫌いが分かれるだろう。
乃雪は作詞家枯堂夏子の作詞した「恋愛の時空」の歌詞を巡って、恋愛論を語る。

「別の言い方をすれば、唯一性は複数性のネガとしてしか現れ得ないし、複数性は単独性のネガとしてしか現れ得ない。孤立した内面、をそうと認識させるためには、そうでないものが必要になるのよ」
「この時、愛における本質的な格差が like と loveの間にあるわけではない事が分かるわね。第三文型なんて下品な構文だわ。受動態をしか取らない愛の動詞、be affected こそが私たちにとってもっとも重要な愛の動詞なの」

こういうインテリくさい語りに拒否反応が出るか、面白く読めるかによって、このゲームに対するプレイヤーの評価が変わってくる。
私はこういうの結構好きだけれど。

また、彼女の語る恋愛観と同様に、『花咲くオトメのための嬉遊曲』の物語においては恋愛は「所与のもの」として扱われているため、ボーイ・ミーツ・ガール的な恋愛展開の盛り上がりがない。
このことが野球シーンの描写の濃さを一層際立たせている。
恋愛物語を期待してプレイすると、期待はずれに終わるように思う。

おまけに、濡れ場ではメガネをかけたまま行為を行ったり、母乳が吹き出たりと妙にマニアックな性的嗜好の描写となっている。
乃雪は眠るときもメガネをかけたままだ。
小野寺浩二は感激して涙を流すかもしれないが、私は欲情とか萌えとか言う前に笑ってしまった。

主人公のチームの少女たちはどれも個性的で魅力的な面々である。
彼女たちの物語をもっと読みたいところだけれども、残念ながら濡れ場まで展開されるヒロインは3名だけ。
プレイヤーが文章を読む速さにもよるが、5、6時間もあればゲームとして完全クリアできるだろう。
LOVER-SOUL はアマチュアのサークルから商業ブランドへと進むようだが、いつかシナリオの分量を増やした新版を発売してもらいたいものである。

ともあれ、「女子野球もの」において野球シーンの卓越した描写が光る『花咲くオトメのための嬉遊曲』。
美少女ゲーム一般を愛好する向きには物足りないかもしれないが、私個人としては満足度の高い作品だ。

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14 février 2005

POPFile のすすめ

ログにコメントを頂戴していたのに2週間気づいてませんでした。
どうも申し訳ございません。

コメントがついたらメールで知らせてくれたら便利なのにな。
コメント SPAM 攻撃に遭った時困りますけど、SPAM メールは大量に来てるから多少増えたところで大したことはありません。

SPAMメールと言えば、 SPAM メール対策に導入して重宝しているのが『 POPFile 』というソフト。
メール版ローカルプロクシサーバーみたいなもので、受信したメールを分析して印をつけてくれます。
その印がついたメールをメールソフト側でゴミ箱に振り分ける設定にしておけば SPAM メールはゴミ箱へ、という寸法。
SPAM メールとそうでないメールを手動で振り分けて学習させるという操作が最初に必要だけど、一旦学習させてしまえばとても便利で手放せません。

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ナビオ TOHO プレックスで映画『ハウルの動く城』を観た。

ナビオ TOHO プレックスのシアター1は、『ハウルの動く城』の上映を大阪で唯一フルデジタル映写 DLP Cinema で行っている。
運良くスクリーン真正面ど真ん中の席で観ることができた。
映像にも音響にもベストポジションだ。

おかげさまで映像と音響の素晴らしさは堪能できた。
しかし倍賞千恵子の声はヒロインの少女ソフィーへの感情移入を妨げているとしか思えない。
ソフィーは魔女に呪いをかけられて少女の姿から90歳の老婆の姿に変えられるが、物語が進むにつれて元の姿と老婆の姿、その間の姿が交錯する。
その交錯を描くにはおばちゃん声が必要だったのだろうと理解しているのだけれど。

なんでソフィーの呪いが解けたのか、なんでソフィーはハウルの城を壊したのか、ハウルと火の悪魔の契約は何だったのか……物語に一見して分からないことが多かったが、日本アニメーション最高峰の絵を味わう作品ってことでいいと思う。
原作ではきっとその辺のことは説明されているだろうし。

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梅田ガーデンシネマで映画『スーパーサイズ・ミー』を観た。

以前、職場の昼休みにふらっと近場のマクドナルドまで足を運んだことがある。
なんとなく、久々にマクドナルドのハンバーガーを食おうかという気になって、少し歩く手間をかけて住宅地の国道沿いにあるその店に入った。
店の中には若い母親と6歳前後の子供たちのグループが居た。
私の子供の頃といえば、マクドナルドなんて休日、年に1、2回連れて行ってもらえるかという場所で、それこそたまのご馳走みたいなものであった。
それが平日の昼間、小さいうちからジャンクフードを食わせるのかと悲しい気分になった。
小さいうちからマクドナルドみたいな大味の食い物を食っていては、味覚が壊れた状態で大人になってしまうだろう。
彼女たちもそうそう毎日子供をマクドナルドに連れてきているわけでもないだろうが……。

『スーパーサイズ・ミー』は「一日三食、マクドナルドの食事だけを一ヶ月続けたらどうなるか?」という実験を監督自ら行ったドキュメンタリーだ。
その実験を軸に、有識者へのインタビューを重ねて現代アメリカの食文化を批判していく。

常識的に考えれば、そんな偏った食生活をすれば体を悪くするというのは想像がつく。
脂肪分と糖分の多さによるカロリー過多のため、監督の体重は10kg以上増加する羽目になる。
しかし「マック食」の悪影響は想像以上に強く、監督は3週間で肝機能障害を起こしてしまう。
アルコールの過剰摂取と同様に、「マック食」が肝臓にダメージを与えるとは医者も想像していなかった。
車の中で気分が悪かったのが、マクドナルドのハンバーガーを頬張ると幸せな気分になってしまい、医者に中毒だと診断されるシーンは可笑しくも恐ろしい。

そもそもスーパーサイズ1.2リットルのドリンクがメニューにあったり、バケツみたいなサイズのソーダが売られていたりする時点で異常だが、大量の食品広告、栄養の偏った学校給食、学校に置かれた飲料の自動販売機、乏しい栄養教育などによって、それを異常と思わない価値観と食習慣が子供のうちから作られる。
そりゃアメリカ人もバカになるわハッハッハ、と笑ってしまうが国際政治・経済を通して我が身に降りかかってくることだから、笑ってばかりも居られない。

日本のご飯・味噌汁・魚の食文化、栄養バランスの取れた学校給食は死守しなければと、ナショナリズムを刺激された作品であった。

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動物園前シネフェスタにて映画『パッチギ!』を観た。

『パッチギ!』は1968年の京都を舞台に、在日朝鮮人の朝鮮学校生の少女に一目ぼれした日本人の高校生の青年が奮闘する姿を描いた涙あり笑いあり暴力あり、の青春物語。
ヒロインの兄たちは主人公の通う高校の生徒と対立していて、喧嘩ばかりしている。
在日朝鮮人が好戦的、暴力的に描かれているのに、よく作品が公開中止に追い込まれなかったなと思う。
当時在日朝鮮人団体からクレームがついて発売中止になった歌「イムジン河」が物語の軸になって大団円に繋がる物語が展開できるなんて、時代は変わったんだなあ。
暴力まみれなのに不思議と嫌らしさがなく爽やか。
なお主人公は気弱なボンボンなので喧嘩には参加しない。
不良高校生のアクションものではありません。

在日朝鮮人というデリケートな問題を扱っているからといって重くてシリアスに物語が終始するというわけではなく、基本的には笑いが随所に散りばめられてエンターテイメント性が高い。
楽しい作品でした。

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11 février 2005

藤井寺球場の思い出

1月31日、藤井寺球場が閉鎖された。
じきに解体される予定だという。

日本生命球場、大阪球場、西宮球場、そして藤井寺球場――京阪神のスポーツを支えてきた舞台があっさり壊されていく。
しかも改築のために壊されるのでない。
地域から野球場が消えてしまう。

藤井寺球場は1928年の開設であり、日本にあるスポーツ施設の中でも屈指の長い歴史を持つ建築物だ。
閉鎖・解体どころか、大阪府が近鉄から文化財として買取り、改修を施して保存するべきものだと思う。
壊すことは作ることより遥かに簡単だ。

私が最初に藤井寺球場を訪れたのは小学生のときだった。
親に連れられて、藤井寺球場で組まれた近鉄バファローズ対阪神タイガースのオープン戦を観に来たのだ。
レフト側外野席あたりに座って、あまりおいしくない近鉄バファローズのマーク入り弁当を食べたのを覚えている。
天気のよい春の日だった。

次に訪れたのは1999年6月23日だった。
大阪近鉄バファローズ対千葉ロッテマリーンズの公式戦ナイトゲーム。
大学生になった私は放送局のアルバイトとして藤井寺球場にやってきた。
この時バファローズの本拠地は大阪ドームに移っており、藤井寺球場での公式戦は年に数回しか行われなくなっていた。
前日は早々に雨で中止を宣言したらすぐに晴れてしまい、抗議の電話が殺到したという記事が新聞に載っていた。
この日も空模様が怪しくて、阿部野橋から藤井寺に向かう電車の中、天気のことばかり気にかけていた。
ゲームは無事行われたが、翌日も雨天中止だったのだから、数少ない機会に恵まれたものだと思う。

晩飯は球場の関係者用食堂で食べた。
食べたのは丼物だったと思う。
プレイヤーたちも食事にきたりウエイトレスをナンパしに来たりしたと言う名物食堂だったようだ。
私は食事が早いのだけれど、無理に急いで食べていると勘違いされたのか、同席した解説者の岡義朗さん(現広島東洋カープ二軍守備走塁コーチ)に「そんなにかきこまなくてもいいよ」と言われたのが思い出深い。

折角の機会だからとこっそりフィールドに入ってみたが、やけにペラペラな人工芝で、人工芝というよりは、麻雀用のマットのようだった。
このとき、バファローズのゲームで場内アナウンスをして30年という大野博子さんにご挨拶した覚えがある。

放送席に上がるためにはまずエレベータに乗るのだが、そのエレベータが異常に遅かった。
確かエレベータから降りると記者席のあるところの高さに出て、そこから鉄製の階段を上がると放送席に着くという構造だったと思う。
放送席は狭いうえに、机は体重をかけると外れ落ちるから体重をかけるな、というほどのオンボロだった。

このときのゲームの内容は Web サイト「球場風土記」の「藤井寺球場」のページで詳しく紹介されている。
降雨による中断を挟みながらの、打撃戦だった。

その次に藤井寺球場を訪れたのは1999年10月7日、大阪近鉄バファローズ対千葉ロッテマリーンズのナイトゲーム。
藤井寺球場でのプロ野球公式戦最終ゲームである。
その話題性に加えて内外野自由席無料開放ということもあって、観客は多かった。
私はレフト側の席でマリーンズの応援に加わっていた。
当時はマリーンズのビジターユニフォームはグレーで、それに合わせてグレーの上着を着て行った。

応援団の人は金属製のゴミ箱をひっくり返して、その上に立って応援のリードを取っていた。
球場が狭いものだから外野手はよりフェンス際に守っているし、ドーム球場と違ってラバーフェンスが高くないので、外野手がすぐ目の前に居るような感覚がある。
レフトを守っていたバファローズの川口憲史に対し、誰かが「川口、ケツ掻くなー」としきりに野次っていた。
野次られた川口も「仕方ない連中だなあ」という表情で視線を外野席に送っていた。

この日のゲームはマリーンズの於保浩巳にプロ初ヒットが飛び出したり、代打の大村巌がレフトフェンス直撃のタイムリー二塁打を放ったりという場面があったが、バファローズのホームラン攻勢には敵わなかった。
そのホームランのうち、吉岡雄二のホームランが目の前に飛んできたが、なけなしのバイト代を使ってメガネを新調したばっかりだったので、「取り損ねて壊したら嫌だな」と思って躊躇してしまいホームランボールを取れなかった。
確かそのボールはベンチに傷をつけて跳ね上がり、勢いでブルペンに落ちていってしまったと思う。
後にも先にも、自分が取れる場所にホームランが飛んできたのはその一回だけだ。

藤井寺球場は外野席の手前ポール際にブルペンがあって、ファンはプロのピッチャーの投球練習を間近に観る事ができた。
その日はマリーンズ劣勢ということもあり、当時マリーンズのクローザーを果たしていたウォーレンが暇つぶしにと、車(ブルペンから内野までピッチャーを乗せて運ぶアレ)をブルペン内で乗り回して遊んでいた。
ファンもその様子を「ウォーレン、ウォーレン」と囃し立てて楽しんだのだった。

観客とプレイヤーの距離が近くて、暖かい雰囲気のある球場だと実感した。
その後二軍のゲームを数回観に訪れたが、バックネット裏からゲームを観るとファウルゾーンが狭いこともあって、一層強くそう思った。

そんな藤井寺球場も閉鎖された。
今にして思えば、藤井寺球場と過ごした時間は楽しい青春のひとときだった。
その記憶は死ぬまで大事にとっておきたい。

さて、この長文を最後まで読んだ人にプレゼント。
私がネットで収集した藤井寺球場の写真と映像の詰め合わせセットである。
主に 2ch BBS で撮影者が配布していたものだから、著作権上の問題はないと思う。

藤井寺球場の写真と映像の詰め合わせセット( 6.28 MB )

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10 février 2005

自閉の円環

買ったはいいが観てない映画 DVD が現在11枚。
いつでも観れると思うとなかなか観ることがない。

とりあえず買っておいて、積んでおく――。
DVD に限らず、本やゲームソフトもそんな感じで溜まっている。
置いてても腐るわけじゃなし、のんびり味わっていけばいいのだけれど、気が付けば「腐らないものに囲まれてひとまずの安心を得る暮らし」が当たり前になっている。

放っておくと壊れたり痛んだりするものも大事にしてやらないといけないはずなんだけど。

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mixi の RSS パーサは、文字コードが UTF-8 の RSS しか通してくれない。

以前は Shift_JIS でも通してくれてたのに、何時の間に変わったのでしょうね。
文字コードを UTF-8 にしてサイトを再構築すればあっさり反映。
気づくのに大分遠回りしましたわ。

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うろ覚え。
なんだか、もういっぺん観たくなってきた……。

観鈴「もっと彼氏らしくしてもいいのだよ?もっと仲良くしてくれてもいいのだよ?」

お気に入りのシーン。
ヒロイン生き生き。

往人「本気の本気なんてよ、まだ見たことも無い……存在しないんだよ!」

青臭いー。
矢吹丈っぽい語り。

往人「観鈴……お前は美しい」

背中が痒いです。

往人「観鈴に訊いてみてくれ……当分の間は、こいつといっしょだから」

格好つけやがってこのやろー。

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ネット上での『劇場版 AIR 』の評判を観ると、賛否両論、というよりは「そこそこ」派と「駄作」派に分かれているように思う。
どちらの意見にせよ、論点は脚本と演出についてである。

(ネタバレを含むのでご注意)

脚本

原作ゲームの物語は長い。
これをどう映画脚本としてまとめるかが問題となる。
パンフレットに監督インタビューと脚本第三稿の抜粋が掲載されているのだが、それによると監督は最初原作にほぼ近いその脚本を読んであまり理解できなかったようだ。
また、(原作に近いだけに)劇場映画として制作・上映が不可能なほどその脚本は長すぎると考えられた。
しかし監督はその物語がもつ独特の感性は感じとっていて、面白いと思ったらしい。
監督はシナリオの改稿を脚本家に命じ続けて一旦は脚本がグチャグチャになってしまったのだが、最初に読んだ脚本が持つ独特の感性を復活させようと、改稿過程の脚本を集めて組み立てなおしたという。
そういう経緯で出来上がった劇場版の脚本は、細部の改変はさておいても、作品のテーマが原作ゲームとは大分変わってしまった。

原作ゲームは、「1000年前に呪いを受けた翼人の記憶を受け継いだ少女」神尾観鈴と、「翼人の呪いを解く意思を受け継いだ青年」国崎往人が出会い、「翼人の記憶」と呪いを終わらせる物語である。
彼ら個人は、受け継いだもののせいで恋愛を育む未来を持ち得なかった。
翼人は地上を見守りその記憶を子に伝えるという性質を持っていたが、人間に迫害されてその数を減らしてゆき、1000年前、ついに翼人が人間と関わることのないよう最後の翼人の少女に呪いがかけられ翼人は地上から姿を消す。
翼人の少女の肉体は空の上に漂い続け、彼女の記憶だけは地上の人間に宿って輪廻を繰り返すこととなったが、「翼人の記憶」を受け継いだ人間は「翼人の記憶」の大きさに肉体が耐えられないため、大人になる前に死んでしまう。
翼人の少女にかけられた呪いは愛した相手を殺してしまうというものだったので、他者と絆を結ぶこともできない。
観鈴もまた「翼人の記憶」と呪いのために衰弱していき、往人もそれを止めることができず果てる。
だが鳥に身を変えた往人の意思の力により「翼人の記憶」の全てを引き受けた観鈴は、家族愛に溢れる生活を過ごしたという幸せな記憶を抱いて「翼人の記憶」の最後を全うする(=「ゴールする」)。
鳥がその記憶を天に運ぶことで、翼人の少女の呪いが解かれるのだった。

『劇場版 AIR 』は原作の翼人伝説を参照しつつもファンタジー色が大幅に削られ、より現実的な青春物語としてまとめられている。
「病気のために友達が一人もいないまま過ごしてきた少女」観鈴がその人生最後の夏、自分に残された命の短さを自覚し、一生懸命恋をしつつも家族の絆もまた強く結ぼうと奮闘する物語となった。
そして「傷つくのを恐れて人と深く関わることを避けてきた若者」往人が、人と交わることの辛さから逃げずに向き合おうとする物語でもある。
原作に沿った展開を期待していると、大きく裏切られる脚本といえる。
物語の改変にともなって、キャラクターたちの性格造形も変わることとなった。

原作ゲームのファンの間では、原作の物語の軸となる「翼人の記憶の輪廻」が脚本から省かれて重々しい悲劇性が消えたことに強い反発が巻き起こっている。
一方で、90分という劇場映画の限られた尺に物語をまとめるには仕方の無い改変だと割り切った評価する向きもある状況である。

演出

作品にそぐわない「出崎調」演出に強い拒否反応を覚えるか、監督に出崎統を据えた時点で「出崎調」演出はやむをえないものと予め受け入れているかに二分される。

ただし「出崎調」演出を甘受するにしても、その演出技法が多用されるために生じているくどさは否めず、演出の必然性が感じられないことに不満の声が多い。

また、海岸で太鼓を叩く一団のシーンが何度も挿入されることや、『あしたのジョー』に出てくるボクサーのようにヒロインが光る吐瀉物を流すシーンが存在することについて、必要性が疑問視されている。

クライマックスのシーンで、挿入歌「青空」が流れ出すタイミングが悪く名場面がギクシャクしているとの評価もあった。

その他

『 AIR 』は平行して TV アニメーション版が放送されている。
その TV アニメーション版は脚本が原作に沿ったもので、作画レベルも高いそうだ。
その比較から脚本の改変や作画レベルの低さを非難する意見が目立っている。
作画の問題点としては、絵の枚数が少ない点、ロングショットの際に作画が崩れている点が挙げられる。

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上映前

『劇場版 AIR 』公開初日に映画館へ行ったはいいが、チケット完売という壁に阻まれてしまった昨日。
今日は初回上映に合わせて出かける。

9時上映開始の15分前、8時45分に心斎橋のパラダイススクエア前に着いたが、そこには行列が出来ていた。
アメリカ村には不釣合いなオタクなお兄ちゃんたちの行列である。
今テレビで新番組『ふたりはプリキュア マックスハート』第一回の放送中だぞ、こんなところに居ないで家で観ろよと思ったが、当然彼らは録画していて帰宅後観るのであろう。
ああそうさ、私も帰ってから録画したのを観るさ。

10分ほど行列に並んで待つとカウンターにたどり着いたが、手に入った整理券は11時上映開始の回、97番であった。
劇場の定員が100人ちょっとだから、初回上映の観客を勘定に入れると私の前に200人もいたわけである。
朝も早くからご苦労様。
で、カウンターに着いて気が付いたのだが、上映スケジュールの表の下に張り紙がしてあった。
こんな内容。

「初日は尋常でない混雑のため大変ご迷惑をおかけしました。土日祝の上映に限り若干の立ち見をご用意いたします」

正確な文は覚えていないが、「尋常でない」という表現が強く記憶に残っている。
普通告知文では使わない、それこそ尋常でない表現だ。

11時上映開始の回に入場するための集合時間は10時40分。
それまで、腹ごしらえをしたり用意していた本を読んだりして時間を潰す。
心斎橋界隈でこの時間に開いている店は極端に少ないので、ウインドウショッピングで時間を潰すこともできない。
ロビーに男ばかり、しかもオタクなお兄ちゃんたちという極端にむさくるしい状況の中、同じ映画館で上映中の『テニスの王子様』を観に来たティーンエイジャーの少女たちの姿が救いであった。

そんな感じで上映を迎える。

本編

やはり出崎統の映画であった。
『あしたのジョー2』やビデオ版・映画版『ブラック・ジャック』をご覧になった方ならご存知の「出崎調」演出が繰り出される。
その度に「出崎キター!」と内心、笑ってしまう。
出崎統に特有の演出技法というのは、

・空から光線が降り注ぐ(理科で習ったチンダル現象の表現)

・セル画から一枚の止め絵に入るカットの多用

・フラッシュバック(同じカットを3回繰り返す)

といったものである。
あと、ロボットアニメでロボット操縦中のキャラクターが会話するシーンに似ているが、画面を左右に2分割して違うカメラの絵を一つの画面に納める技法が使われていた。
シーンの転換に真暗闇の間を置く演出も目立つ。

出崎統アニメというと劇画調のイメージがあって、上記の技法がハードボイルドあるいはシリアスな雰囲気を高めていたのだが、美少女アニメの絵でそれをやっているのでパロディを見せられているような違和感を覚えてしまい笑ってしまったのである。

物語の展開や舞台設定は原作ゲームとは異なる。
ヒロイン神尾観鈴の住む土地に伝わる翼人伝説を参照しつつ物語が進むが、その翼人伝説の結末が原作とは違う。
観鈴の運命は同じだが、主人公の国崎往人は観鈴と結末を同じくしない。
観鈴と過ごした日々を通じて成長したと感じさせる往人の、哀愁を帯びた追憶の独白で物語は終わる。

海辺の街の夏を舞台にしている点は同じだが、ずっと都会的であるし、電車が走っている。
原作ゲームでは夏の気だるさが強調されていたが、劇場版ではあっさりしている。
鉄道が廃線になるくらい寂れた田舎町の夏、その昼の倦怠感、夜のやさしさといったノスタルジーを感じさせる雰囲気が原作ゲームの持ち味だったと思うので、この辺はちょっと残念である。

では原作ゲームのことは忘れて考えるとどうだろう。
原作ゲームをプレイしたこともなければキャラクターも知らない人がこの映画を見たらどう思うだろうか。

「なぜ往人は人形を操ることができるのか?」
「なぜ往人の母は往人に『空の少女を救って』と言ったのか?(普通の母親はそんな突拍子もないことを脈絡もなく子供に言わない)」
「観鈴は何で病気にかかっているのか?」
「翼人伝説と観鈴の間にどういう関係があるのか?」

多分、そんな疑問が湧いて出てくる。
これらの点については原作ゲームでは明らかにされているが、映画では説明が一切ない。
往人はそれなりの芸を身につけた人間で、母親は精神に異常を来たした人間であり、観鈴はもともと病弱な少女であったのだが翼人伝説を自分になぞらえて恋を果たしたのだ――と割り切って考えるしか物語を消化できない。
あるいは観鈴と往人は翼人伝説の二人の直接の生まれ変わりである、と解釈するしかない。

かといって、批判ばかり言いたいわけじゃない。
いいと思ったところはある。

何といっても、観鈴が可愛い。
笑顔や明るさが魅力的に描かれている。
加えて原作ゲームでは頭が足りず奇行が目立つという印象の少女だったのが、主体性や意思を感じさせる描き方となっていた。
まあ、ヒロインが不細工だと悲劇的な運命も「あらあら気の毒なことで」と済んでしまって涙もクソもないのだから当然のような気がするけど、大事なところである。

そして観鈴の母、晴子の表情がいい。
観鈴に対して深い愛情を抱いていることがよく伝わる作画だった。
原作ゲームでは主人公の一人称視点で描かれるために、クライマックス付近を除くと晴子の心情描写は薄くなりがちであったが、三人称視点で描かれることで明確になっていたように思う。

ところで、観ているうちに思い出したことがある。
出崎統が監督をしているビデオアニメ『ブラック・ジャック』の第10話「しずむ女」だ。
ヒロインがその土地に伝わる、男女の悲劇的な恋の伝説を口ずさみながら話が進み、その伝説をなぞるようにヒロインは恋をして果てる。
そして主人公はそれを受け止めて去る。
『 AIR 劇場版 』によく似た展開ではないか。
出崎統が『 AIR 劇場版 』の監督を引き受けたのには、その経験がどこか関係しているんじゃないかと考えるのは想像が過ぎるだろうか。

まとめ

原作をプレイしたことがある人なら違和感があるだろうがそこそこ楽しめるだろう。
ただしゲームとは別物と割り切って、クリアな頭で作品に接しよう。
行列に並んでまで観るほど必死になる必要はない。
友人に DVD を借りて観るくらい力を抜いて観るのがちょうどいい作品である。

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チケット完売のため『劇場版 AIR 』を観ることができなかった私は、東急ハンズ心斎橋店に向かった。

ハクキンカイロは陳列場所が1m奥に移動していたが、店頭在庫は潤沢。
「ハクキンカイロ 3R 」が8個、「ハクキンカイロ 3R プラチナム」が5個、「ハクキンカイロ 3R プラチナム火口」が2個、「ハクキン純正ベンジン」が10本ほどあった。
スタパ齋藤が紹介していた木炭カイロ「 pocket hand warmar 」も同じ場所に陳列されていた。
木炭カイロに興味がないわけではなかったが、純正ベンジン1本を買うにとどめた。

カイロのシーズンはあと1-2ヶ月といったところだけど、まだ手にしていない人は東急ハンズへ行ってみよう。

ハクキンカイロを偵察した後は地下1階のポスターコーナーに立ち寄って、B2 のポスターフレームを購入。
帰宅後『劇場版 AIR 』前売券の特典についてきたポスターを入れてみたが、折り目がついたポスターはやはり美しくない。
以前からフレームに入れてみようと思って保管していた「マンデー・パ・リーグ」記念ポスターを入れて確定とする。

これは2001年だったと記憶しているが、大阪ドームにプロ野球を観に行ったときに無料で配布されていたもの。
パシフィック・リーグの各球団の看板プレイヤーのモノクロ写真6枚で構成された渋い一品である。
ライオンズが松坂、ブルーウェーブが田口、ファイターズが小笠原、ホークスが小久保、マリーンズが黒木、バファローズが中村。
今やそのうち田口と中村はメジャーリーグへ行っちゃったし、小久保はジャイアンツへ移籍してしまったし、黒木は怪我で戦線から外れている。
ブルーウェーブとバファローズは合併してしまった。
モノクロ主体のデザインは、遺影のようにも見えて寂しい。

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今日は『劇場版 AIR 』の公開初日。

オタクには言わずとしれたことだが、『 AIR 』は2000年に Key ( Visual Arts )から発売された Windows 用ゲームで、『劇場版 AIR 』はその物語をアニメーション映画化したものである。
先日、出崎統が監督をやっているということを知って俄然観る気が湧いてきた。
「あしたのジョー2」やビデオ・劇場版「ブラックジャック」のようにハードボイルドな世界を展開する作風の彼が、美少女もの悲劇をどう料理しているのか、非常に興味深かったからだ。

2月5日全国一斉に公開される中にあって、近畿での上映は心斎橋のパラダイススクエアだけである(シネカノン神戸での公開が予定されているが、2月26日から)。
パラダイススクエアは大阪の言わずと知れた若者の街、「アメリカ村」の大型商業ビル「 BIG STEP 」4階にある小さな映画館。
客席数100程度でスクリーン2つ。
規模で言うとミニシアターに近い。
私がここで初めて観た映画は『マインド・ゲーム』だった。
マイナーマンガの映画化作品であるそれとは違って、『劇場版 AIR 』はもっと客が入るだろうとは思っていた。
とはいうもののゴールデンタイムに放送しているアニメの劇場版映画ではなく、オタク向けゲームのアニメ映画版だから、混んでても席はあるだろうとも思ったのだが……。

18時50分上映開始の回に合わせてその直前に BIG STEP を訪れると、エレベータ脇のポスターに張り紙があった。

「劇場版 AIR の本日のチケットは完売しました」

公開初日は20時40分から特別にレイトショーが行われるのに、それも完売ということである。
ここまで客が入るとは。
オタクパワー恐るべし。

ひょっとしたら近畿、中国、四国一円からの遠征組がいるのかもしれない。
上映は札幌、東京、川崎、名古屋、大阪、福岡の各都市1館だけ。
対して『 AIR 』のファンは全国に居るのだから。

さて、「映画を観るぜ!」という盛り上がった心を挫かれた私は、すぐ近くにある APPLE STORE に向かった。
カッとなって持っていたクレジットカードで Mac mini を買い求めることはしなかったが、その小ささには感心した。
弁当箱のようなそのサイズは、実物を目にするとインパクトがある。
今すぐ買うことはないけれど、次の夏のボーナスあたりまでには買うかもしれない。

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滝本竜彦『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』(角川文庫)

ISBN:4043747012

不条理な物語設定とはいえ、さらっと流し読みできる素直でライトな青春小説。
しかし次世代文学の旗手」という宣伝文句には首を傾げてしまう。
リアリティよりマンガやゲームっぽい世界観とか雰囲気とかを共有しようってタイプの作風が次世代文学って言うんでしょうか……。
高校生向けかなあという感じ。

松沢呉一『ぐろぐろ』(ちくま文庫)

ISBN:4480038876

エロ、グロ、下品な話題を面白おかしく書いてはいるけれど、著者の良識・誠実さが垣間見える、そんなエッセイ。
おすすめ。

ウディ・アレン『羽根むしられて』(河出文庫)

ISBN:4309461077

パスティーシュ短編と、ドタバタ劇を収録した短編集。
文学論を売り物にするコールガール組織の話が特に笑えた。
清水義範を好む人に特におすすめできるが、絶版なのが悲しい。
復刊を願う。

苅谷剛彦『知的複眼思考法』(講談社+α文庫)

ISBN:4062566109

著者の語ることは私も経験的に分かっていて、心がけてはいるものの完全には実行できてません。
高校生、大学生はとりあえず読んでおくべき本。
マスコミに煽られて床屋政談しちゃうブロガーやサラリーマンにもおすすめ。

大塚英志『サブカルチャー反戦論』(角川文庫)

ISBN:4044191174

したり顔で傍観者を決め込むインテリやオタクっぽい態度よりは、乱暴なやり方であっても言いたいことを言っていく著者の態度の方が好ましい。
しかしあと10年近く経てば著者が何でこんなに必死になってるか分からない世代が出てきて生意気なこと言うんだろうなあ。

灰谷健次郎『子どもの隣り』(新潮文庫)

ISBN:4101331073

「友」という短編は中学生の心情がリアルに描かれていてよかった。
新潮文庫版は絶版になっていて、今は角川文庫から出ています。

北村薫『冬のオペラ』(中公文庫)

ISBN:4122035929

語り手であるヒロインのさらりとした感じや物語の哀切がいかにも北村薫的。
バイトで身を立てている名探偵巫弓彦は可笑しくもカッコいい。
表題作「冬のオペラ」はまさにカバー絵のとおり、目を閉じて雪に降られるような粛々と静かに沈む読後感。

森博嗣『女王の百年密室―GOD SAVE THE QUEEN』(新潮文庫)

ISBN:4101394326

SF ミステリー。
哲学的問答が好きなら楽しく読めると思う。

浅田次郎『壬生義士伝』(文春文庫)

ISBN:4167646021

これぞ大衆娯楽小説、上手いなあと素直に感心する。
素晴らしいストーリーテリング、ペーソス、カタルシスだわ。

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1 février 2005

ハクキンカイロ 3R

大阪で雪が積もるほどの寒波。
零度付近という慣れない気温での通勤は辛いものがあるが、ハクキンカイロのお陰でなんとか乗り切った。
懐に熱源があるというのは心強い。

さてそのハクキンカイロ、あのスタパ齋藤も紹介記事を書いていた。

「 ZIPPO ハンディウォーマー」を紹介して流行り物に乗るかと見せかけておいて、ハクキンカイロを猛プッシュしその運用法まで語っている。
さすがスタパ齋藤である。

ところで、実は私、先月の16日「ハクキンカイロ BM 」の記事を書いた直後にもう1個ハクキンカイロを買っていた。
東急ハンズ心斎橋店にたくさん陳列されている、という情報を 2ch BBS で得て、出勤途中に立ち寄ったのである。

PICT0411.jpg


これが現在のハクキンのスタンダードモデル「ハクキンカイロ 3R 」と、その消耗品である換火口のパッケージだ。
購入時、店頭では「ハクキンカイロ 3R 」が5箱、換火口が2箱ほど吊るされていた。
電池点火式の「ハクキンカイロ プラチナム」も1箱あった。
場所は3階、上りエスカレータを降りてすぐ右前方あたり。
俺も買うぜという人はその辺を探してみよう。
半月も経っているから在庫があるかどうかは保証しないけど。

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1 février 2005

風邪・薬・積雪

私は毎年冬になれば必ず風邪をひく。
毎年のことなので、症状の出方も分かりきっている。

丸一日喉に違和感を感じたら、それが風邪の引きはじめである。
翌日には薄く水のような鼻水がトロトロと溢れてくる。
その翌日には緑がかった鼻水に変わり38度前後の発熱。
それが過ぎると粘りの強い鼻水のために鼻づまりに悩まされる。
4・5日悩まされているうちに鼻の症状が消え完治する。

2日目の鼻水は鼻をかんでもかんでも分泌されてくるので、鼻にティッシュ・ペーパーを詰めてやらないといけないほどである。
こいつが大変集中力を削いでくれる。
またその鼻水が喉の側に流れれば喉の粘膜を更に痛めることになる。
こうなる前に鼻水の分泌を抑制させなければならない。

10日くらい前、喉の痛みが数時間続いたので、「これは風邪の初日か」と思いすぐさま薬屋で薬を買い込んだ。

まず喉の痛み対策として、殺菌剤が入っている「ヴィックス メディケイテッド ドロップ」を買う。
レモン味、オレンジ味、チェリー味、ミント味と種類があって楽しい。

鼻水対策としては超強力な「ダンリッチ」(住友製薬)が欲しいところだったが、2年前に既に製造中止になっていた。
有効成分の塩酸フェニルプロパノールアミン( PPA )にはまれに脳出血を起こす副作用があるらしく、厚生労働省からも PPA からの切替を促す指示が出ていたようだ。
特に病院で貰った「ダン・リッチ」は鼻の奥から喉の奥までカラカラになるくらい素晴らしい鼻水止めの効果があったのだけれど、残念だ。
そういうわけでマレイン酸クロルフェニラミンを有効成分としているものから適当に選んで、御馴染み「コンタック 600 ST 」を買う。
さらに1日目のうちに先手を打っておく意味で葛根湯も買っておいた。

結局このときは翌日には喉の痛みは治まり鼻水も出ず、風邪ではなかった。

しかし一昨日の1月30日、ついに来ましたよ風邪の第一陣が。
起き抜けからずっと喉が痛くて、一日ヴィックスのドロップをしゃぶることに。
ここで葛根湯を服用する。
そして翌31日、目が覚めたらトロトロの鼻水が私を出迎えてくれた。
ヴィックスのドロップが底を尽きかけていたので、出勤途中に薬局へ寄り買い増し。
さらにマレイン酸クロルフェニラミンを含むトローチ「ペレックス トローチ」(大鵬薬品)を買う。
「ペレックス トローチ」はオブラートを重ねたようなフィルム状トローチである。
2003年に市販開始されたばかりの製品らしい。
コンタックと併用するのは良くないが、口腔からの吸収と腸からの吸収のタイミング差を利用すれば大丈夫だろう。
素人医学だけど。

抗ヒスタミン剤による眠気に耐えて一日の仕事が終了。
風邪をひいてしまったものは仕方がない、後は早く治すことに力を注ぐ必要がある。
帰り際にビタミン剤を購入。
栄養の足しにする。
帰宅して夕食を摂ったら、コンタックを飲んでベッドへ直行する。

目が覚めると3時半だった。
早く床に入った分だけ早く目覚めてしまった。
体の具合はというと、コンタックの効果が切れて鼻水が出ている。
かんでみると緑がかった鼻水に変化していた。
相変わらず喉が痛い。

窓の外では粉雪が舞い、自転車や植え込みにうっすらと白く積もっている。
大阪市内で積雪は珍しい。
1時間くらい経つと、石畳の上は完全に真っ白になっていた。
アスファルトの道路もほのかに白みを帯びている。
3mm の積雪といったところだ。

症状の進行予定では、今日は熱が出て一日中だるい日だ。
積雪するほどの寒さは体に毒だけれど、滅多に見れない大阪の雪化粧姿を見ないでおくものか。
寝込んでなどいられない。

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文学部出身ですが文学は苦手です。

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