完全犯罪の類型

主に殺人について。

1.犯行が露見しない

 ・警察にバレない
 ・被害者が失踪扱い

2.犯行が露見したものの、犯罪とみなされない

 ・事故扱い
 ・自殺扱い
 ・病死扱い

3.犯行が露見したものの、告発できない

 ・犯人が特定できない(未解決事件)
 ・犯人が行方不明
 ・証拠不十分
 ・法律上の制限(心身喪失者の犯行、法律にない行為、公訴時効、一事不再理)
 ・司法機関自身による隠蔽(意図的な未解決事件化)

完全犯罪の例

未解決事件

 ・三億円事件(1968年)
 ・切り裂きジャック事件(1888年)
 ・グリコ森永事件(1984年-1985年)
 ・悪魔の詩訳者殺人事件(1991年)
 ・八王子スーパー強盗殺人事件(1995年)
 ・世田谷一家殺人事件(2000年)
 ・その他多数

証拠不十分

 ・城丸君事件(1984年に行方不明となった男児の遺骨を被告が所持していたが、黙秘を貫いたため殺意を立証できず無罪判決)

公訴時効成立後に犯人が自首

 ・弘前大学教授夫人殺人事件(無実の人物が犯人とされ服役した冤罪事件でもある)
 ・足立区女性教師殺人事件(犯人が自首するまで被害者は失踪扱い)
 ・生坂ダム殺人事件(犯人が自首するまで被害者は自殺扱い)

組織的隠蔽

 ・タコ部屋労働者の死亡(1914年に開通した常紋トンネルにおいて1970年に改修工事が行われた際、大量の人骨が発見された)

自殺・事故・病死扱いされた不審死

 ・アナタハンの女王事件(1946年-1948年頃)
 ・徳島自衛官変死事件(1999年)
 ・病院入院患者の不審死

フィクション

 ・『ゴルゴ13』
 ・『ハサミ男』
 ・『ひぐらしのなく頃に』
 ・『うみねこのなく頃に』
 ・『インサイド・マン』(銀行強盗)

完全犯罪の失敗例

 ・トリカブト保険金殺人事件(当初は病死扱いだったが、保険金支払いの民事裁判中にトリカブトによる中毒死であることが判明し逮捕へ)
 ・埼玉愛犬家連続殺人事件(犯人は遺体を分解・焼却して山林等に遺棄。共犯者の自白を基に遺体・遺留品が発見され逮捕へ)
 ・北九州監禁殺人事件(遺体7体は分解され鍋で煮込まれた上で遺棄されたため未発見だが、逃亡に成功した被害者の証言で事件が発覚し逮捕へ。共犯者と生き残った被害者の証言に基づき有罪判決。)
 ・江東マンション神隠し殺人事件(犯人は遺体を分解して警察の家宅捜索をやり過ごし、その後遺体をトイレに流したり一般ごみに混ぜたりして遺棄。被害者宅、犯人宅に残された物証を基に逮捕された。監視カメラの映像から被害者がマンションを出ていないことが分かっていた)
 ・松山ホステス殺害事件(犯人は整形手術を行い逃亡したが公訴時効成立寸前に逮捕された)
 ・栗岡病院患者リンチ殺人事件(1968年、精神病院の院長・看護職員による患者リンチ殺人事件を病院が急性肺炎として処理。入院患者が石に告発文を添えて外へ放ち、この告発文が警察に届けられたことから事件が発覚した。栗岡病院は阪奈サナトリウムに改称し現在も元気に営業中。主犯の栗岡良幸院長は医師免許を剥奪され、現在は聖美幼稚園・阪奈中央看護専門学校・阪奈中央リハビリテーション専門学校を運営する学校法人栗岡学園の理事長を務めている)
 ・安田病院患者リンチ殺人事件(1969年、看護職員による患者リンチ殺人を急性心不全として処理。職員や患者間で事件が噂になり警察に訴えが相次いで発覚した。この事件を受けて病院は大和川病院に改称)
 ・大和川病院患者リンチ殺人事件(1979年、精神病院の看護職員による患者リンチ殺人事件を病院が急性心不全として処理。目撃した入院患者が先に退院する患者の下着に手紙を仕込み保健所職員に通報したが握りつぶされ、自身の退院後警察に通報し事件が発覚した。1993年には病院から牢名主を任じられていた患者6人による患者リンチ致死事件が発生、被害者は他医に救急搬送され不審を抱いた医師により警察に届けられた。不審死事件は1992年2月から1997年2月の間だけでも26件が明らかになっている。1997年に診療報酬不正請求が発覚し開設許可取り消しにより廃院)
 ・報徳会宇都宮病院事件(元患者の告発、東大病院の調査、マスコミ報道等により内情が明るみになり、被害者の遺体が土葬だったため暴行死が立証された。無資格診療、無資格解剖、患者の強制労働が常態化しており、起訴されてはいないが過去3年間で222人の患者の不審死も指摘された。この事件は国際問題に発展し精神保健法成立に繋がった。なお、宇都宮病院は現在も元気に営業中)
 ・久留米看護師連続保険金殺人事件(睡眠薬入りの酒を飲ませて被害者を熟睡させ、静脈に空気を注射して殺害。共犯者の自首により発覚)
 ・奈良長女薬殺未遂事件(准看護師の母が勤務先から盗んだ薬品を用いて長女の殺害を図った。犯人の長男、二女、両親も事件前後に死亡しており体内や尿から薬品が検出されているが証拠不十分で訴追されていない)
 ・新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件(被害者の妻が犯行後遺体を分解して路上、民家、公園等に遺棄。被害者宅の防犯カメラの映像が逮捕の決め手となった)
 ・時津風部屋力士暴行死事件(当初は病死扱い。犯人らは遺族への遺体引き渡し前に火葬を計画したが、遺族が反対して独自に解剖を依頼し暴行死が発覚)
 ・鳥取連続不審死事件(元スナックホステスと関わりのあった男性6人が次々と自殺、事故死、病死。うち一人についてカーナビの走行記録を基に強盗殺人容疑で逮捕)
 ・結婚詐欺・連続不審死事件(容疑者と交際していた男性たちが次々と死亡。うち一人の被害者について練炭自殺を装った殺人を疑われ警察が捜査した結果、結婚詐欺容疑で逮捕。のちに殺人罪で起訴)
 ・北朝鮮による日本人拉致

犯罪者側の立場からの考察

 ・共犯者が居ると警察に自首・自供される危険が大きい
 ・失踪事件を装う場合は、遺体が発見されないよう徹底的に処理すべきである
 ・医療従事者は病死を装うのに有利
 ・被害者に家族が居ると事件の露見、警察への有力情報の提供がなされる危険がある(遺体が見つかったとき、捜索願が出ている行方不明者と照合されたり、行方不明時の状況が分かる)
 ・犯行の数が多いと、過去に完全犯罪に成功していても露見の危険が高まる
 ・被害者と面識があると警察に犯行への関与を疑われる危険がある
 ・被害者宅が防犯カメラつきのマンションで犯行現場が同じマンション内の場合、失踪事件を装うのが難しくなる
 ・事件への関与が警察やマスコミに疑われるだけでも生活に影響が出るので、犯行が露見しないことが最も望ましい

被害者側の立場からの考察

 ・家族に医療従事者が居る場合は自分や家族の素行に注意する
 ・失踪事件に偽装された場合に備えて、家族と同居する
 ・失踪事件に偽装された場合に備えて、普段からできる限り規則正しい生活、防犯カメラに映る行動を心がける
 ・独身男性の場合、交際している女性に金品を与えることを避ける
 ・泥酔状態での事故に偽装された場合に備えて、普段から飲酒を徹底的に避け、出来るだけ多くの人にそれを印象付ける
 ・生命保険には加入しない
 ・入院治療を拒否する
 ・失踪事件に偽装された場合に備えて、常に行動を監視してもらう(皇位継承者の配偶者になる、スキャンダルの多い有名人になる、公安にマークされる等)。
 ・刑務所や精神病院や福祉施設のような閉鎖的な住環境に身を置かない。
 ・犯罪に遭う前に何とかして死んでおく

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2ch BBS の「【ひぐらし】作品批判スレ【うみねこ】」に書かれている批判意見テンプレートに逐一ツッコミを入れてみた。

2ch BBSで指摘したとしても分量が多すぎてまともに読まれないか、「信者乙」で流されることが予想されるので、ここに記す。

うみねこep5で指摘された問題点

ミステリー関連

■本物のノックスは5条で中国人を禁止している。
(=謎の中国人が「私、秘術使えるアルヨ」と怪しげな呪術で殺人をしたという中途半端なミステリが多かったため。
江戸川乱歩も5条については「西洋人には中華人は何となく超自然、超合理な感じを与えるからであろう(探偵小説の定義と類別)」との解釈)
 これを類推解釈すれば魔法使いも禁止となり、ステイルメイトしかねない。
 よってプレイヤーからはゲームの構造上、ノックス遵守など主張できなかったのは当たり前のこと。
 にもかかわらず、5条を欠番扱いするわ大幅に都合のいいように独自解釈したノックスを出して良い気になっている厚顔無恥さ。

→「にもかかわらず」ではなく「だからこそ」作者は5番を欠番扱いにしたのだろう。
独自解釈の「ノックスの十戒」が登場するのも、乱立可能な解答を絞るために転用したに過ぎない。
そもそも作中で「これは20世紀初頭の小説家ノックスの定めたルールである」と述べられて登場人物が議論しているわけではないし、「本作はノックスの十戒が守られている」と作中で明言されたわけでもない。
「良い気になっている」というのは悪意に基づいた偏見。

■ノックスの十戒をもちだして推理可能だと信じればよかったなどといいだすも、肝心のノックスが『竜騎士定義のノックスであり本物とは異なる』ために、
『読者からルールが想定不可能』、『誰がお前独自のノックス十戒定義なんてしるか』

→「ノックスの十戒をもちだして推理可能だと信じればよかった」と作中には書かれていないので、前提から間違っている。作中に書かれているのは全く逆で、「ノックスの十戒が通用するとは限らない」と書かれている。

■謎にたいしてノックスやヴァン・ダインを持ち出して挑むという趣向自体が、日本三大探偵小説である「虚無への供物」にて行われていたことだが、
それから四十年以上の時が流れ21世紀に作者が行ったことは、ルールを作者に都合のいいように改変したことと、女の子にしたこと。あまりにも程度が低い。

→『虚無への供物』は日本三大探偵小説ではなくて日本探偵小説史上の三大奇書と言われているのでは? それはともかくとして、「ノックスの十戒を作者の都合のいいように改変したのは実在の人物ノックスに対して敬意がない」と批判するならもっともだが、改変そのものは作劇上の道具として作品内に留まる限りは不具合はない。女の子キャラ化についても同様というか、趣味の問題だろう。

■隠し扉があるかどうかを前もって検証しておかなければ、そもそも「謎が生まれない」以上、ミステリ以前の問題であり、ノックスがあるから隠し扉があるか検証する必要がないという指摘は正確ではない。
 地の文などで隠し扉がないと示すか、あるいは作中の謎を捜査する側の人物により隠し扉がなさそうと示すなどで、隠し扉がないことを予め示しておかずに、
 解決編で隠し扉がありました、ではそれは駄作ミステリ。

→本作がミステリを自称するならそのとおり。しかし本作はミステリを自称していない。そして、解決編で「隠し扉がありました」という種明かしはされていない。あたかも隠し扉をトリックとして使ったかのように誤読されかねない文章である。
(事実認定としても問題がある。作中で隠し扉があるがあるか検証する必要がないという主張が通ったのは、ノックスの十戒にあるからではなく、「隠し扉が存在しない」というルールが作中設定「真実の赤」で保証されたからである。)

■「フーダニット・ハウダニット・ホワイダニットはミステリの三点セットです」という、
 竜騎士がインタビューで言い出して、ほかの人は誰もいってない言葉が一般論とされて、ヱリカが使っている。

→作者は「ミステリ」という単語を一度も作中でも作外でも使っていない。使っているのはすべて「ミステリー」という広い意味を含有する単語である。
フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットは三点セットというより三類型というのが批評言語としては正確なのだろうが、誤用されていることもしばしばある。
ただ、ミステリについて深い知識がなく、ミステリマニアに揚げ足を取られやすい不正確な記述を行ったという点では作者の落ち度だろう。

■作中で出てくるミステリーの死亡人数に対する豆知識は藤原宰太郎『真夜中のミステリー読本』の
「大量無差別殺人を除き、もっとも死体が出てくるのはアガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』の10名である。国内では、坂口安吾『不連続殺人事件』、島田荘司『占星術殺人事件』の8名である」から引用した疑いが濃厚。

→『真夜中のミステリー読本』を読んでいないので疑惑については不明。ただ、確かに死亡人数について言うと私の知ってる限りでも清涼院流水の『コズミック』の方が多いので作中の記述は誤りである。

■竜騎士のミステリ用語の解釈が、それまでのミステリの歴史とは大きく異なる解釈をしているため根本的にずれている。

→これは正しい。ただ、ミステリマニアではない人がミステリではないものに対して使う場合の解釈としては許容範囲だと思う。

推理関連

■食堂組にはアリバイがある。楼座が食堂を出たのは午前1時の小休止。と示しておきながら
 第一の晩の6人が1時までに殺されたことを示そうとするヱリカの無理のある立証に、裁判中誰一人として突っ込みが入らず終わる事が不自然。
 判決の主文ですら1時までに殺されたとなっているのに、ドラノールの報告の内容は異なっている。

→これは正しい。ただ、正確には楼座が食堂を出たのは午前1時「頃」であるし、犯人がゲストハウス2階に午前1時までに侵入できるかどうかが問題で、侵入できなければ殺害もできないため、致命的なミスとまでは言えない。ミスではあるから完結までに修正した方がいいが。

■夏妃が犯人の可能性がある、戦人が犯人の可能性がある。どちらか1つに確定できないから「魔女幻想が存在する」という言い分が駄目駄目。
 どちらの主張にせよ人間がトリックを使って行ったと全て説明できるのだから、魔女幻想など必要ない。

→「確定できないから魔女幻想が存在する」という主張は作中に存在しない。また、「夏妃は犯人ではない」「戦人は犯人ではない」という赤字より、夏妃犯人説も戦人犯人説も成立しないため、魔女幻想そのものは存在する余地がある。

シナリオ関連

■魔女を否定することを期待されていた主人公が魔術師になってしまった。

→読者の意表を突く展開ではあるが、作中で辻褄が合っていれば何の問題もない。

■頭がよくない無能に描写されてきた戦人が、的外れな青字を繰り返した真相とは遠い白紙状態の場所から、突然全部の謎が解けた状態へと転移。金字まで使い出す超展開。
 これでは自力で謎を解いたとは言い難い。物語の要請に従って、作者から答えを教えてもらったカンニングやチートという感想しか持てない。

→確かにこれは唐突である。好意的に解釈するならば、戦人がすべてを知ったその直前の問答と思考が最重要であると作者が暗示しているのだろう。

■戦人がどのようにしてベアトの謎を論理的に解いていくかという過程に楽しみがあるのに、
 謎を解いてしまった結果、プレイヤーが推理しなくてもあとは戦人が勝手にしゃべってくれるだろ、みたいな雰囲気に。

→戦人に期待するのはプレイヤーの勝手で狭量な思い込みである。本作は(本格)ミステリを自称しているわけではないので、必ずしも論理的に謎が解かれる必要はない。それに、作者は探偵役に解答を述べさせる以外の別の表現手段によって謎の解答を示すことが禁じられているわけではない。勝手にそのような縛りを設けることは、作劇の可能性を狭めてしまう。

■妹がベアトを倒し帰ってきて、と発破して死んだにもかかわらず、それでもベアトを介護する戦人に、
 ep4までの流れや縁寿はどうしたという批判や疑問、違和感が噴出。

→EP5の時点では確かに疑問や違和感がある。しかし、作者が戦人の行動に必然性があることを完結までに描写すれば問題はなくなる。

■ベアバト派に媚びた創作姿勢、過剰なカップリング描写、甘々なボーカルソングにうんざり。

→ベアバト描写、カップリング描写に必然性があることを作者が完結までに描写すれば問題はなくなる。むしろ、そこまでしつこく描写されているということは何か重要な意味があると考えた方がよいのでは。ボーカルソングについては演出論であるから、様々な見解があるだろう。

■「戦人の青き真実なんて、ほとんどハズレてるわよ! ベアトのヌルい赤なんて隙間だらけだもの」と廃人化してゲーム投げ出すベアト。
 これでは結局ベアトがやる気をなくしただけ、ということで縁寿がベアトに最後まで戦えと発破をかけて死んでいったのが全くの無駄に。

→縁寿が発破をかけて死んだのはベアトのためではなく戦人のためである。そして、廃人化したのは戦人がベアトの期待に応えられなかったからである。

■ワルギリアが「戦人は犯人ではない」だの助言するが、EP4後のあやしい人物投票1位にまでなった人物の白か黒かが、単なるネタバレの一言で片付けられてプレイヤーはがっかり。

→あたかもプレイヤー全体ががっかりしたかのように語っているが、それは貴方個人のことでは?

■ベアトは瀕死で苦しんで最後には死にました。次のゲームマスターは戦人です。
 さあ皆さん、戦人の出す謎に挑戦しましょう。読者が悪者という流れで推理気力が減少する。

→読者が悪者とは明示も暗示もされていない。

■今回の「お前らひぐらしでノックスノックスうるさいからノックスだしてやったぞ」で竜騎士いいたいこと全部いえたろ。

→それが作者の言いたいことの全部と断定する根拠は何? 『うみねこ』が『ひぐらし』で作者が受けた非難を作品に織り込んでいるのは確かに作中で伺えるが、そのこと自体が作品のテーマと断言するにはあまりも根拠がなさすぎる。

■作中やインタビューで登場人物が多いことを自慢しているが、半数は名前がついているだけの空気キャラだった。
 しかも何人その場にいても作者に洗脳されたように思想が1つにまとまっていることが多いので沢山いる意味が無い。
 口調で区別をつけなければ判別がつかないレベルなのだが、ついに法語なるものまで飛び出したのには失笑する。

→自慢しているというのは不適切な物言いであるが、登場人物が多いためにエピソードによって存在感のないキャラクターが頻出しているのは確かに批判の余地がある。

■とりあえずキャラをいじめておけば「かわいそう」ということで人気が出るだろ、という昔からのワンパターンテクが炸裂。
 悪役も、さらなる悪役にいじめさせればOKとか、それしか出来ないのか。

→根拠がなく悪意に基づいた偏見。

■とりあえずキャラを高所から転落させれば話が作れるだろ、という昔からのワンパターンテクが炸裂。今回は使用人と赤子。ひぐらしから数えて、いったい何人を高所から転落させているのか。それしか出来ないのか。

→それを言い出すと、「とりあえず人を死なせれば話が作れるだろ」という物語が神話の時代から世の中には多すぎる。
 事故か他殺か自殺かが不明瞭という点において、高所からの転落というのは作劇上便利なのだろう。

■ep5で明かすつもりだった金蔵死亡を、すでに推理されていたためにep4で明かしたにもかかわらず、ep5で金蔵死亡についての論戦を行っても、退屈極まりないだけ。
 戦人がクライマックスの切札としてつかった金字も金蔵死亡の保障だが、それがep5単体だけでは何か重大な新事実が明らかになったとは言えず、退屈である。

→金蔵が死亡している事実そのものが問題なのではなく、その事実に基づいて長男一家や使用人等がどのように思考・行動していたかが作中で描写されたことがEP5の重要な点である。そしてEP5の論戦は当初は金蔵の死亡をめぐる事柄ではあったが、次に主題が夏妃の冤罪に移っており、そこで新たな「赤き真実」が発生することに意義がある。

■展開編で、そろそろ幻想描写がはがれて下位世界の人間たち中心になるかと思ったら、ベルンやラムダが出ずっぱりで本編とお茶会と裏お茶会の区別すら不明瞭。
 裏お茶会で登場人物の口を通した竜騎士の持論語りを延々聞かされる苦痛。

→幻想描写がはがれて下位世界の人間たち中心になると期待したのは貴方の勝手。個人の不満、感想としては間違ってはいないが。
 登場人物の口を介して作者の持論が語られるのは名作にもあるので、一概には否定できない。それは脇に置くとしても、延々聞かされるというほど分量は多くない。

■金蔵の死を暴いてはいけない秘密として描写しておきながら、主人公自らがそれを金字で証明しずっと隠していた夏妃がお礼を言う展開の矛盾。
また、前提として死亡隠蔽を美談として書く不自然さ。

→夏妃は礼を言っていない。作者を死亡隠蔽を美談としても書いていない。死亡隠蔽の報いとして夏妃を冤罪で苦しめている。

キャラクター関連

■ep4後人気投票後のインタビューで「ベルンカステルはなぜこんなに票を集めているのかよくわからない(笑)。いや、わからないことはないのですが、それでもちょっと票を集めすぎですね。
 もうちょっと低くてもいいんじゃないかな(笑)」 と発言した後、
 ベルンはep5での言動により人気が急降下。人気投票を意識した露骨な「調整」が浮き彫りに。

→根拠が明らかでないにも関わらず、連続して発生した事象に因果関係があると思ってしまうのは人間の悪い癖である。

■しかし新キャラの名前からして古手梨花劣化コピーの古戸ヱリカは上位に食い込んでおり、ベルンを転落させた意味が無い。

→名前以外に古手梨花とは全然似ていない古戸ヱリカが上位に食い込んだところで作者は困らないだろう。

作者の姿勢への批判

■ノックスのこと知らないの? と竜騎士が勝ち誇ったように使いまくってるけど、ひぐらしの後の作品なんだから謎の病原菌や特殊部隊を思考の隅に置くのは当たり前。
 なのに作中で鬼の首をとったようにそういう推理をしていた人を馬鹿にするセリフを延々キャラに言わせる。

→「勝ち誇ったように」「鬼の首をとったようにそういう推理をしていた人を馬鹿にする」というのは悪意のある偏見、曲解である。そもそも、思考の隅に置くのは自由だが、作者が同じネタを2回も使う人物と仮定すること自体作者をバカにしているし、ジョークとしてではなく本気でその説を中心に推理するのはプレイヤーとして芸がない。

■解いてみるか→まだ解けないの?特殊部隊とか何言ってるの?w
 →お前がひぐらしでそれをやったから考慮に入れたんだろ。もう知らんわ。
 →これは解ける問題なんですよ。何で解いてくれないんですか?→泣き事と意味分からない例え話。

→偏見、曲解、読解力不足。

■そもそも推理可能か不可能かわからんうちから真面目に謎に挑んできたのに
「推理可能だと信じてなかったんだろ? それは愛がないね。推理可能だから推理してみな!」とか、プレイヤーを馬鹿にしている。

→偏見、曲解、読解力不足。作者の言いたいのは、「EP4までの間に、推理可能であることを示唆する表現を入れておいた」ということだろう。

■プレイヤーは推理可能だと信じていなかったから謎が解けなかった、よって俺を信頼しないのが悪い。俺に対して愛がないのが悪い、という作者の説教に。

→偏見、曲解、読解力不足。

■たとえep5で「解けるように作りましたよ」なんて親切丁寧にいったとしても、
 同時に「読者のバーカ! 作者の俺は偉い!」なんて書いてあるミステリの謎なんて解こうとは…。

→そんなことは作中のどこにも書かれていない。そして本作はミステリを自称していない。

■梨花や幼少時の鷹野そっくりなキャラ(声優も同じ)が、雛見沢症候群や山狗やH173などを「馬鹿みたいそんなの正式なミステリーじゃない~」と貶し、ひぐらしからのファンがショック状態。
 それにひぐらしやって無くてうみねこやってた人にとって最悪のネタバレでもある。
 入江が「山狗」と発言した時点で、症候群と特殊部隊と薬物が確定してひぐらし終了。

→「正式なミステリー」が本格ミステリやミステリを指すのであれば事実だし、『ひぐらし』からのファンには既知の話題だからショックを受けるまでもない。
 『ひぐらし』を未プレイの人にはネタバレではあるが、『ひぐらし』を読むまで僅かなそのくだりを覚えているかどうか確実ではない。それに覚えていても「綿流し編」のトリックや、ホワイダニットの謎を目的に読むことが可能。

■ミステリの探偵をヱリカという登場人物を通して揶揄する態度と、その程度の低さ。
 しかもひぐらしをミステリーじゃないと叩いた人間をモデルにしたようなキャラ。
 そんなヱリカを作品の中で倒して自分を肯定するってどんだけ幼稚なんだ。

→ヱリカが探偵小説の探偵役を戯画化・揶揄したものであるのは確かだが、それ以外の点は曲解だろう。その論を認めるならば、「貴方は作者を批判することで自分が偉い人間になったかのような気分になっている」と言われても反論は難しい。

■登場人物の口を借りた、竜騎士の自己擁護と批判者批判、恨み節ばかり。
 作者が自己優位性を確立するためにつくった、作者の性格がにじみでた作品となっている。

→ひょっとしたら貴方は前作で非常に不愉快な思いをしたのかもしれない。それには同情するが、自分の言葉がそのまま自分の発言に当てはまるところはないか、自己を省みることをお勧めする。

うみねこep6で指摘された問題点

ミステリー関連

■「ここまでは全部創作の作り話で文章上の出来事です」
これによって今までの物語、全ての信憑性が崩壊してしまった

→EP1の時点で創作の可能性は明確に提示されているので崩壊などしない。

シナリオ(物語)関連

■トリックのために登場人物を動かすので、登場人物の動機が理解不能

→想定外の探偵役が犯人となった段階で下位世界は混沌としてしまう。

■今までを全部創作にしたため、人物描写が空中浮揚

→下位世界が創作である可能性はEP1の時点で提示されている。1986年10月4日から5日まで以外の部分が創作かどうかは明確ではない。

■竜騎士の頭がロジックエラーしてるから登場人物が無能に見える

→貴方の頭がロジックエラーしているから無能に見える可能性もあるぞ。物事は多角的に検討してみよう。

■魔女の不在を証明する役がいつの間にか魔女の仕事に

→必然性があれば問題ない。もちろん、最後まで必然性が描写されなければ批判の対象になる。

■また作中の登場人物の口を使って読者批判

→作者が読者に喧嘩を売っていると解する自分自身が短絡的思考に陥っていないか、落ち着いて検討してみては如何だろうか。まあ、確かに八城の発言は、作者の本心ではないとしても曲解されかねないリスキーな表現ではあるので、わざわざ地雷を踏みに行く作者は趣味が悪いと思う。

■また新キャラか!

→作者は孤島ミステリーなのにキャラクターが増えていくというおかしさを重視しているのだろう。わざわざ自分で絵を描く手間を増やすほどの価値をそこに見出しているわけだ。それが成功しているとは言わないが。

うみねこ全体を通しての批判(暫定)

■中身が無いのに文章の水増しが多すぎて、だれる

→どの部分を指して水増しと言ってるかどうかは分からないが、紙媒体の小説やゲーム媒体の外注シナリオとは違って文章量でギャラ(本人の金銭的利益)が決まるものではないし、文章量の多さを売りにした作品でもないので水増しする意味がない。個人的な感想だが、文章よりもむしろつまらない魔法演出(シュワーン、ガキンガキン、ビュシューン)が多すぎてだれていると思う。

■作中の登場人物の口を使っての読者批判が不愉快

→前述のとおり。

■竜騎士の文章力がないから読んでいて、苦痛

→確かに一流の文筆家と認識されている人ほど文章力があるとは言えない。しかしこのレベルを苦痛と言っていると、2ch なんかに書かれた文章など読むに堪えないはずだが……。

■結論からすると物語として、つまらない

→つまらないかどうかは個人の受け取り方なので自由。批判というよりただの感想。

■内容のない話を、演出術やいらぬ例え話で引き伸ばしているのだが、今回はまさにその総決算ともいえる酷さ。
話としては第一の晩で終り、あとはほとんど全部カップル妄想話、カップル好きな人以外は本当にうんざり。
こんな水増し話を面白いと自画自賛とか普通の感性ではできない。

→好き嫌いで断じる前に、カップル話が多いということはそのシークエンスが作品としてよっぽど重要な意味を持つという可能性を検討して読解するべきだろう。

■朱志香のひぐらし目、裏お茶会の猫の目が話題にならないという、ひぐらし演出の不発、もはやひぐらし演出で
どうかなるというレベルではない。

→「作者がひぐらし演出でどうにかしたかった」と貴方が判断した根拠は何だろうか。

■フェザリーヌが答え合わせをせよなどと言っているが、すでに竜騎士がインタビューで答えを出したくないと言っているので、
手遅れ。まともな人は答えが出ないと聞いて去っていった。ひぐらしも答えが出ない部分が多数あったので、
うみねこで残った人も答えが完全に出るとは思っていない。よってゲームになっていない。竜騎士の単なる自己満足。

→作者がインタビューで語ったのは、「ギリギリまで答えを出したくない」ということであり、「全く答えを出したくない」と言ったわけではない。
答えが完全に出るとは思っていない人が居るとゲームになっていないというのは訳の分からない理屈だ。
それに、まともな人は答えが出ないと聞いて去っていったのだとすると、去らずにエピソードの続きを読んでは的外れな批判をしている人もまともな人ではないだろう。

竜騎士理論と一般的に用いられる語句や概念との相違について

→悪魔の証明、ヘンペルのカラス、後期クイーン問題、シュレディンガーの猫といった言葉について、作者が誤解しているか、あるいは意図的に誤用しているのは事実である。ただしそれが作品内において作劇上矛盾なく存在しているならば問題ない。詐術の一種とかで。単純ミスの場合でも、作品の瑕疵ではあるが物語を根本的に損なうものではない。しかしながら、正直に言って下読み担当者が気づくべきところではある。

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『うみねこのなく頃に』シリーズ第7話の感想などを。
犯人はヤス。

今回のエピソードは作者が今までとは雰囲気が異なる、最も解答的なものと事前に言っていたとおり、明確に既存のエピソードとは異なる。
再び1986年10月4日の六軒島で殺人事件が起き、その事件について問答を行うというものではない。
今回のゲームマスター、ベルンカステルから最初に与えられる課題は、「誰がベアトリーチェを殺したか」というものである。
この謎に挑む役柄として、『ヴァン=ダインの二十則』をモチーフにしたキャラクターが招聘される。
彼は六軒島で執り行われているベアトリーチェの葬儀に赴き、参列者である右代宮家関係者から六軒島での殺人事件前の出来事について聞き取りを行う。
その右代宮家関係者の回想、証言が作中のほとんどを占める。

つまらなくて単調な魔法演出が少なくなっているせいもあるだろうが、随分読みやすかった。
しかしその反面、物語展開のメリハリ、盛り上がりがこれまでのエピソードに比べると乏しい。
読み終わったとき、「あれっ、もう終わりか……」というようなスッキリしない感じが残る。
読了に必要な時間も8時間程度で短かったように思う。

EP1-EP4で提示された個々の犯行についての解答は、プレイヤーを煙に巻くような曖昧なものであった。
この点について不満を表明する意見がネット上に散見されるが、私にとっては想定内のことだったからそれほど不満はない。
もちろん探偵小説のように逐一筋道の立った解答が展開されれば親切だしスッキリするが、それで物語が冗長になる恐れを考えれば納得できる。
作者の意向として、自分なりに答えを持っている人に優先的に答えが分かるように書きたい、答えをそのものずばり明示するのではなく読者が自分で導きだせるような表現をしたい、といったことをインタビュー記事で予め知っていたのも不満の少ない理由である。

あとは最終作のEP8において、残された謎を回収しつつ物語として破綻のないよう結末を迎えてくれることを望むばかりだ。

さて、ここでネット上でよく見かけるバッシングについて反論しておきたいと思う。

大前提として、『うみねこのなく頃に』は本格ミステリだとか、狭い意味でのミステリだとか自称したことはないということを理解しておかなければならない。
宣伝文句にも作中にもそのような記述は一つたりとも存在しない。
どちらかといえば、アンチミステリを標榜していると言った方がいいかもしれない。

「解答に必要な情報は出題編で全て読者に明かされ、回答は論理的に一つに限定されるように作られていなければならない」というのも、本作が本格ミステリあるいは狭い意味でのミステリであるという誤った前提に基づく誤った指摘である。
EP1の段階で語り手に全幅の信頼がおけるかどうか不明な物語であることが示唆されているし、EP2で非現実的な描写が頻出する以上、本格ミステリの暗黙のルール「地の文に虚偽を書くな」に反していることは明白だ。
さらに、作中で明確に要求されるのは「人間が犯行可能であることを一つの殺人についてでもいいから矛盾なく主張せよ」ということである。
「一撃必中を狙うのではなく、仮説を機関銃のように浴びせろ」という趣旨の記述も、一意に求まる解答の可能性を間接的に否定している。
推理という単語が使われているからといって、必ずしもミステリとして厳密な意味での推理を指すものではない。
仮定に仮定を重ねたような妄想、思いつきのような説であっても、矛盾がなく作中に手がかりさえあれば許される余地がある。
要するに、本作は作者が独自に設定した変則ルールでの戦いなのだ。

言い換えると、本作への批判の中には、前提を理解せずに思い込みで行われていたり、記述を読み飛ばしていたりするものが含まれている。
中には作品を実際に読まずに便乗して行われているものがあるのではないだろうか。

ただ、上記のような意見が出ると、「こいつは作品を無謬の聖典のように扱う信者だ」というように極論、曲解に出る者が現れかねない。
困ったものだ。

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